第21話 すべてを奪ったのは、あなたでした
# 第21話 すべてを奪ったのは、あなたでした
バルド子爵は、しばらく動かなかった。
手にしていた箱を。
ゆっくりと床へ置く。
「……なぜ、ここに?」
「それはこちらの台詞だ」
レオンハルトは箱を拾い上げる。
中には。
焼け残った帳簿と、数枚の書類が入っていた。
「財務倉庫の火事」
レオンハルトが低い声で言う。
「お前がやったのか?」
「……」
「答えろ」
「……はい」
バルドは俯いた。
「私が火をつけました」
レオンハルトの表情が険しくなる。
「なぜだ?」
「証拠を消すためです」
「誰の命令だ?」
「……」
「誰に命じられた?」
バルドは唇を噛んだ。
やがて。
「私自身の判断です」
「嘘だ」
即座にレオンハルトが言い切る。
「公爵夫人を陥れるために、これほど大掛かりなことを一人でやる理由がない」
「……」
「誰かを庇っているな」
バルドは答えない。
レオンハルトは一歩近づいた。
「エレノアを陥れた目的は何だ?」
「……奥様を」
バルドの声が震える。
「公爵家から追い出すためです」
その言葉に。
レオンハルトの目が鋭くなる。
「なぜ?」
「奥様が公爵家の商業政策に口を出すようになったからです」
「それだけか?」
「……」
「違うな」
レオンハルトは帳簿を開いた。
「不正取引で利益を得ていたのは、お前だろう」
バルドの顔が強張る。
「違います!」
「では説明しろ」
「……」
「この帳簿には、王都の商会からお前の管理する口座へ金が流れた記録が残っている」
バルドは何も言えない。
「エレノアの名前を使い、不正な契約を結ぶ」
レオンハルトが続ける。
「そして、証拠が見つかれば彼女に罪を着せる」
「……」
「そうすれば、お前は今まで通り公爵家の財務を握れる」
沈黙。
それが答えだった。
◇
「どうして……」
突然。
背後から声がした。
レオンハルトが振り返る。
「エレノア?」
そこには。
エレノアが立っていた。
「どうして、私を……」
バルドは顔を伏せた。
「申し訳ありません、奥様」
「謝って済むことではありません」
「……はい」
「私は、あなたを信頼していました」
エレノアの声が震える。
「私がこの屋敷に来たときも、色々教えてくれましたよね」
「……」
「私が公爵夫人として何も分からなかった頃、帳簿の見方も教えてくれた」
「はい」
「だから……」
エレノアは拳を握る。
「あなたが私を陥れるなんて、信じられません」
「私も……本当は、したくありませんでした」
「なら、なぜ?」
バルドはしばらく黙っていた。
そして。
「息子の借金がありました」
「……」
「王都の商人に借金をしてしまったのです」
「それで?」
「返済できなければ、息子が捕らえられると脅されました」
エレノアは言葉を失った。
「最初は、一度だけ帳簿を改ざんするつもりでした」
バルドは続ける。
「ですが、一度手を染めると、もう戻れませんでした」
「だから私を利用したのですか?」
「……はい」
「私が何も知らないことを利用して」
「申し訳ありません」
「私が罪を着せられることも分かっていたのに?」
バルドは答えられなかった。
「……許せません」
エレノアの目から涙が落ちた。
「どんな事情があっても、私の人生を壊していい理由にはなりません」
「はい……」
「私は以前」
エレノアは涙を拭う。
「自分さえ我慢すれば、周りが幸せになると思っていました」
レオンハルトが黙って彼女を見る。
「でも、もう違います」
エレノアはバルドをまっすぐ見た。
「自分の人生を、誰かに勝手に壊されることを受け入れたりしません」
◇
翌日。
バルドは王宮へ引き渡された。
不正取引。
帳簿の改ざん。
証拠隠滅のための放火。
いずれも正式に調査されることになった。
そして。
エレノアへの疑いは完全に晴れた。
「奥様、本当に申し訳ございませんでした」
関係者から謝罪を受ける。
エレノアは静かに頷いた。
「もういいです」
「ですが――」
「二度と、私の名前を勝手に使わないでください」
「はい」
エレノアはその場を離れた。
レオンハルトが待っている。
「終わったか?」
「はい」
「疲れただろう」
「少しだけ」
レオンハルトは彼女の手を取った。
「帰ろう」
「はい」
二人で歩き始める。
◇
屋敷へ戻る馬車の中。
エレノアは窓の外を眺めていた。
「旦那様」
「何だ?」
「今回のことで、少し分かったことがあります」
「何を?」
「私は以前より、強くなったみたいです」
レオンハルトが微笑む。
「ああ」
「以前なら、きっと怖くなって逃げていました」
「……そうだな」
「でも今回は、逃げませんでした」
「私が隣にいたからだ」
「それだけではありません」
エレノアはレオンハルトを見る。
「私自身が、逃げたくないと思ったんです」
「……」
「この生活を守りたいと思いました」
レオンハルトの表情が柔らかくなる。
「それは……」
「はい」
エレノアは左手を見る。
指輪が光っている。
「旦那様と一緒に作っていく未来を、失いたくないからです」
レオンハルトは何も言わなかった。
ただ。
彼女の手を握った。
「私もだ」
◇
屋敷へ戻ると。
レオンハルトはエレノアを庭へ連れ出した。
「ここ?」
「ああ」
以前。
二人がもう一度夫婦になることを決めた場所。
白い薔薇が咲いている。
「どうしたんですか?」
レオンハルトは彼女の前に立つ。
「今回のことが終わったら、言いたいと思っていた」
「何を?」
「君に、もう一度伝えたいことがある」
レオンハルトはエレノアの手を取った。
「私は君を愛している」
まっすぐな言葉だった。
「政略結婚だからではない」
「……」
「公爵夫人だからでもない」
「はい」
「君がエレノアだからだ」
エレノアの目に涙が浮かぶ。
「私も……」
言葉が詰まる。
「私も、あなたを愛しています」
レオンハルトが微笑む。
「ありがとう」
「……こちらこそ」
二人は静かに抱きしめ合った。
今度こそ。
過去の傷に縛られるのではなく。
これからの未来を見るために。
◇
しかし。
二人はまだ知らなかった。
今回の不正事件を調べる中で。
バルドの帳簿から、もう一つの名前が見つかっていたことを。
王都の商会。
その背後にいる人物。
そして。
その人物が。
かつてレオンハルトの結婚を決めた、政略そのものに深く関わっていたことを。
エレノアとの結婚は。
本当に、ただの政略結婚だったのか。
すべての真実が。
少しずつ明らかになろうとしていた。




