第20話 味方の中に、裏切り者がいる
# 第20話 味方の中に、裏切り者がいる
翌朝。
レオンハルトは、いつもより早く執務室へ向かった。
机の上には、昨夜見つかった紙が置かれている。
『公爵夫人を信用すると、あなたもすべてを失います』
何度見ても。
不快な文字だった。
だが。
レオンハルトが気にしているのは、脅迫そのものではない。
この紙を置いた人物が。
どうやって、エレノアの部屋の前まで入り込んだのか。
そして。
なぜ、二人が書類を調べていることを知っていたのか。
「……内部の人間だな」
そう呟いたところで。
「旦那様」
側近のセドリックが入ってきた。
「昨夜の件ですが」
「ああ」
「屋敷の出入りを調べました」
「どうだった?」
「不審な外部者は確認されていません」
「つまり?」
「屋敷の者の中に、協力者がいる可能性が高いかと」
レオンハルトは頷いた。
「そうだろうな」
「使用人を調べますか?」
「まだだ」
「なぜです?」
「犯人がこちらの動きを知っているなら、下手に調査を始めれば証拠を消される」
「では?」
「こちらが何も知らないふりをする」
セドリックは目を見開いた。
「泳がせるのですか?」
「ああ」
「危険では?」
「だからこそだ」
レオンハルトの目が鋭くなる。
「犯人が動いた瞬間を捕らえる」
◇
その頃。
エレノアもまた、自分の部屋で書類を調べていた。
「この取引……」
昨日から何度も帳簿を見直している。
すると。
一つの共通点に気づいた。
不正な契約が行われた日は。
すべて、同じ人物が帳簿を確認している。
「……まさか」
エレノアは帳簿を閉じた。
その人物の名前は。
グランヴィル公爵家の財務を長年担当している男。
バルド子爵。
公爵家への仕官歴も長く。
レオンハルトからの信頼も厚い人物だった。
「そんな……」
エレノアは首を横に振る。
証拠がない。
長年仕えている人間を、帳簿の一致だけで疑うことはできない。
そのとき。
扉がノックされた。
「奥様」
「どうぞ」
侍女が入ってくる。
「旦那様がお呼びです」
「分かりました」
エレノアは帳簿を閉じた。
◇
執務室へ向かう。
「失礼します」
「エレノア」
レオンハルトが立ち上がる。
「何か分かったか?」
「少しだけ」
エレノアは帳簿を差し出した。
「この人物が関係している可能性があります」
「誰だ?」
「バルド子爵です」
レオンハルトの表情が変わった。
「……バルド?」
「はい」
「なぜそう思った?」
「不正な取引が行われた日は、すべて彼が帳簿を確認しています」
レオンハルトは書類を受け取る。
しばらく確認する。
「確かに」
「でも、これだけでは証拠になりません」
「ああ」
レオンハルトは頷いた。
「だから、まだ本人には何も言わない」
「はい」
「実は」
レオンハルトは一枚の書類を取り出した。
「私も、別のところから同じ名前に辿り着いていた」
「……!」
「昨日、王宮から来た記録を調べた」
書類には。
バルド子爵の名前が記されている。
「彼は不正取引が行われた直前に、王都の商人と接触している」
「では……」
「まだ分からない」
レオンハルトは首を横に振る。
「だが、調べる価値はある」
◇
その日の午後。
レオンハルトは、何食わぬ顔でバルド子爵を呼び出した。
「最近、領地の商取引について問題が起きている」
「……そうなのですか?」
「ああ」
バルド子爵は驚いたような顔をする。
「実は、公爵夫人の署名を使った不正取引が見つかった」
「まあ……」
バルドの表情が曇る。
「それは大変なことですな」
「そうだな」
「しかし、奥様がそのようなことをなさるとは到底思えません」
「私もそう思っている」
レオンハルトは相手の目を見る。
「だから犯人を探している」
「なるほど」
「何か心当たりはないか?」
「いえ」
バルドは即座に首を横に振った。
「私には何も」
「そうか」
「公爵家の名誉に関わることです。私もできる限り協力いたします」
「頼む」
短いやり取り。
バルドが退出する。
扉が閉まる。
レオンハルトはセドリックを見る。
「どうだった?」
「……妙でした」
「私もそう思う」
「質問されたとき、一瞬だけ視線を逸らしました」
「やはりな」
◇
しかし。
その夜。
予想外の出来事が起きた。
「旦那様!」
使用人が慌てて執務室へ駆け込んできた。
「どうした?」
「財務倉庫で火事が!」
「何だと?」
レオンハルトはすぐに立ち上がった。
「怪我人は?」
「今のところ、確認されていません!」
「消火を急げ!」
屋敷中が騒然となる。
レオンハルトとエレノアも現場へ向かった。
財務倉庫からは黒い煙が上がっている。
「ここには何が?」
「過去数年分の帳簿が保管されています」
レオンハルトの顔色が変わった。
「……帳簿を狙ったのか」
火はすぐに消し止められた。
しかし。
倉庫の中にあった帳簿の一部は焼けていた。
「旦那様」
エレノアが一冊の帳簿を拾い上げる。
「これ……」
「どうした?」
「昨日、私が見ていたものです」
ページの一部が黒く焦げている。
そして。
不正取引に関係する記録だけが。
不自然なほど綺麗に焼けていた。
「……偶然ではないな」
レオンハルトが呟く。
「はい」
エレノアも頷く。
「誰かが証拠を消そうとしています」
◇
その夜。
レオンハルトはエレノアを自室へ呼んだ。
「今日は、もう休め」
「でも――」
「十分だ」
「旦那様」
「ここから先は私がやる」
「……」
エレノアは少し寂しそうに笑った。
「やっぱり、私は足手まといですか?」
「違う」
レオンハルトは即座に否定した。
「君を危険に巻き込みたくないだけだ」
「でも」
エレノアは彼を見る。
「私を守るために、私を遠ざけるのはやめてください」
「……」
「約束したでしょう?」
レオンハルトは黙り込む。
「二人で向き合うって」
「……ああ」
「なら、私にも知る権利があります」
しばらくして。
レオンハルトは頷いた。
「分かった」
そして。
「ただし、これだけは約束してくれ」
「何ですか?」
「絶対に一人で動かないこと」
「分かりました」
「誰かに呼び出されても、私に知らせる」
「はい」
「どんな理由でも」
「はい」
エレノアは微笑んだ。
「旦那様もですよ」
「私も?」
「一人で全部背負わないでください」
レオンハルトは少し驚いた。
そして。
「……分かった」
二人は頷き合った。
◇
その頃。
屋敷の外れにある使用人用の通路。
一人の男が、暗闇の中を歩いていた。
手には。
小さな箱。
中には。
焼けずに残った帳簿の一部が入っている。
「……これだけでも十分だ」
男は低く呟いた。
そして。
「奥様が自分で署名したことにすればいい」
口元に笑みを浮かべる。
だが。
その直後。
「そこまでにしてもらおう」
背後から声がした。
男の足が止まった。
「……!」
振り返る。
暗闇の向こうに。
レオンハルトが立っていた。
「バルド子爵」
男の顔から。
血の気が引いた。
「……公爵閣下」
「その箱を置け」
「これは――」
「言い訳は後で聞く」
レオンハルトの声は冷たかった。
「今度こそ、すべて話してもらう」
バルドは。
逃げ道を失った。




