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第16話 もう一度、夫婦になりましょう

第16話 もう一度、夫婦になりましょう


 翌朝。


 レオンハルトは、いつもより早く目を覚ました。


 昨日。


 エレノアに正式に求婚した。


 返事は、まだもらっていない。


 それでも。


 不思議と焦りはなかった。


 以前の自分なら、一刻も早く答えを求めただろう。


 だが。


 今は分かっている。


 エレノアが自分を信じるまでには、時間が必要なのだ。


 だから。


 待つつもりだった。


 ――たとえ、それが何年でも。


「旦那様」


 侍従の声で、レオンハルトは顔を上げた。


「奥様から、こちらを」


「……エレノアから?」


「はい」


 一通の封筒を受け取る。


 レオンハルトの鼓動が速くなる。


 封を開ける。


 中には、短い手紙が入っていた。


『旦那様へ。


 朝食のあと、お庭でお話があります。


 エレノア』


「……」


 レオンハルトは手紙を何度も見返した。


 ただそれだけの内容なのに。


 胸が騒ぐ。


     ◇


 朝食を終える。


 レオンハルトは約束の場所へ向かった。


 庭園の中央。


 白い薔薇が咲いている場所。


 そこに。


 エレノアが立っていた。


「待たせましたか?」


「いや」


 レオンハルトは首を横に振る。


「私も今来たところだ」


 嘘だった。


 約束の時間より三十分も早く来ていた。


 けれど。


 そんなことを言えば、エレノアに笑われそうだった。


「旦那様」


「うん」


 エレノアは何かを握っていた。


 左手。


 そこに。


「……指輪」


 昨日渡した指輪が輝いていた。


 レオンハルトは息を呑む。


「つけてくれたのか」


「はい」


「……」


 言葉が出なかった。


 ただ。


 その指輪を見つめる。


「嫌でしたら、外します」


「いや」


 レオンハルトはすぐに首を振った。


「外さないでほしい」


「はい」


 エレノアが微笑む。


「では、このままにしておきます」


 レオンハルトは、ゆっくり息を吐いた。


 それだけで。


 昨日までより、ずっと近くに感じた。


     ◇


「昨日、手紙を書きました」


 エレノアが言う。


「ローディア侯爵家へです」


 レオンハルトの表情が少しだけ強張る。


「……そうか」


「お断りしました」


 レオンハルトは目を見開いた。


「本当に?」


「はい」


「なぜ?」


 エレノアは少し考える。


「お相手の方が嫌だったわけではありません」


「……」


「とても誠実な方だと思います」


 レオンハルトの胸が、わずかに痛む。


「ですが」


 エレノアは彼を見つめた。


「私が、まだ好きなのは……」


 言葉を止める。


 頬が赤くなる。


「……旦那様です」


 レオンハルトの目が見開かれた。


「エレノア……」


「ただ」


 彼女はすぐに続けた。


「以前と同じようには戻れません」


「ああ」


「私も、もう一度やり直すなら、今までとは違う夫婦になりたいです」


「分かった」


「一方だけが我慢するのではなく」


「うん」


「言いたいことを言えて」


「うん」


「嬉しいことも、悲しいことも共有できて」


「もちろんだ」


「お互いを、一人の人間として大切にできる夫婦に」


 レオンハルトは頷いた。


「約束する」


「……約束だけではなく」


「行動で示す」


「はい」


 エレノアは笑った。


「では」


 一歩。


 彼女が近づく。


「もう一度、夫婦になりましょう」


 レオンハルトは息を止めた。


 そして。


「……本当に?」


「はい」


「私を選んでくれるのか?」


「はい」


 その瞬間。


 レオンハルトの表情が崩れた。


 安堵。


 喜び。


 そして。


 今までエレノアを傷つけてきたことへの後悔。


 すべてが混ざった顔だった。


「ありがとう」


 レオンハルトが手を伸ばす。


 だが。


 途中で止めた。


「……抱きしめてもいいか?」


 エレノアは少し驚いた。


 そして。


 小さく頷く。


「はい」


 次の瞬間。


 レオンハルトの腕が、そっと彼女を包んだ。


 強く抱きしめることはしない。


 壊してしまわないように。


 大切なものを扱うように。


「……ずっと」


 レオンハルトの声が震える。


「この瞬間を待っていた」


「私も……」


 エレノアは胸元に顔を寄せる。


「本当は、ずっと待っていました」


「……すまない」


「もう、謝らないでください」


「でも――」


「これからは」


 エレノアが顔を上げる。


「私を幸せにするだけではなく」


「……?」


「旦那様自身も、幸せになってください」


 レオンハルトは目を見開いた。


「君が隣にいてくれるなら、それだけで――」


「そういうところです」


「え?」


「また自分のことを後回しにする」


 エレノアが笑う。


「二人で幸せになるんです」


 レオンハルトは。


 しばらく何も言えなかった。


 やがて。


「……ああ」


 ゆっくり頷く。


「二人で幸せになろう」


     ◇


 その日の午後。


 屋敷には、正式に二人の関係が変わったことが伝えられた。


 使用人たちは皆、嬉しそうに顔を見合わせる。


「本当に良かったですね」


「はい」


「奥様、以前よりずっと明るくなられました」


「旦那様もですね」


 そんな声が屋敷のあちこちから聞こえてくる。


 エレノアは少し恥ずかしそうに笑った。


「そんなに変わりましたか?」


「はい」


 侍女が即答する。


「以前の奥様は、いつも旦那様のことを考えていらっしゃいました」


「……」


「今は」


 侍女が微笑む。


「旦那様と一緒に、ご自身の幸せも考えていらっしゃいます」


 エレノアは胸元に手を当てた。


 確かに。


 以前とは違う。


 以前は。


 レオンハルトに愛されることだけを願っていた。


 今は。


 自分も彼を愛したいと思っている。


 それだけではない。


 彼にも幸せになってほしいと思う。


     ◇


 夜。


 二人は久しぶりに同じ食卓についた。


 以前とは違い。


 会話が途切れない。


「今日の料理、おいしいですね」


「そうだな」


「特にこのスープ」


「君は昔から、それが好きだったな」


「覚えていたんですね」


「ああ」


 レオンハルトは笑った。


「今度は忘れない」


「ふふ」


 食事が終わる。


 レオンハルトが立ち上がる。


「エレノア」


「はい?」


「少し散歩しないか?」


「今からですか?」


「ああ」


「夜ですよ?」


「嫌か?」


「……いいえ」


 二人は庭へ出た。


 月明かりが、静かに二人を照らしている。


 レオンハルトが手を差し出す。


「手を」


 エレノアは、その手を見る。


 そして。


 今度は迷わず握った。


「はい」


 二人は並んで歩き始めた。


 以前は。


 同じ屋敷に住みながら。


 まるで別々の世界にいるようだった。


 今は違う。


 歩く速度も。


 見る景色も。


 少しずつ同じになっている。


「エレノア」


「はい」


「これから先」


「はい」


「何があっても、私に言ってくれ」


「……努力します」


「努力ではなく」


「え?」


「約束してほしい」


 エレノアは少し考えて。


「……分かりました」


「ありがとう」


 夜風が吹く。


 エレノアの髪が揺れる。


 レオンハルトは、その髪をそっと耳にかけた。


 今度は。


 エレノアも避けなかった。


     ◇


 こうして。


 二人はもう一度、夫婦として歩き始めた。


 政略結婚から始まった関係。


 愛されることを諦めた妻。


 そして。


 失って初めて妻の愛に気づいた夫。


 二人の間にあった傷は。


 一日で消えるものではない。


 けれど。


 これから二人で。


 少しずつ埋めていけばいい。


 エレノアは、隣を歩くレオンハルトを見上げた。


「旦那様」


「何だ?」


「……これからも、よろしくお願いします」


 レオンハルトは笑った。


「こちらこそ」


 そして。


 二人は手を繋いだまま。


 月明かりの下を歩いていった。

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