表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/22

第15話 政略ではなく、君に

第15話 政略ではなく、君に


 翌朝。


 エレノアが食堂へ向かうと、レオンハルトはすでに席についていた。


「おはようございます」


「おはよう」


 いつもの挨拶。


 けれど。


 今日は、レオンハルトの様子が少し違っていた。


 落ち着いているようで。


 どこか緊張している。


「旦那様?」


「何だ?」


「何かありましたか?」


「……分かるか?」


「少しだけ」


 レオンハルトは苦笑した。


「君には、隠し事ができなくなったな」


 エレノアの胸が、少しだけ温かくなる。


 以前なら。


 そんな言葉を聞くことさえなかった。


「朝食が終わったら、少し時間をもらえるか?」


「はい」


「大事な話がある」


「分かりました」


     ◇


 朝食を終えると。


 二人は庭へ出た。


 以前、離縁について話した場所だった。


 レオンハルトは立ち止まる。


「エレノア」


「はい」


「私は、君に謝らなければならない」


「……」


「今まで何度も謝ったが、それだけでは足りないと思っている」


 エレノアは黙って彼を見る。


「私は君と結婚したとき、政略結婚なのだから、愛情など必要ないと思っていた」


「はい」


「君が私を愛してくれていることも、いつまでも変わらないと思っていた」


「……」


「だから、君がどれほど傷ついているのか、考えもしなかった」


 レオンハルトは深く息を吐いた。


「私は、君の優しさに甘えていた」


 エレノアの瞳が揺れる。


「そして君が離れていって、初めて分かった」


 レオンハルトはまっすぐ彼女を見る。


「私は、君がいなければ嫌なんだ」


「……」


「君と食事をしたい」


「……」


「朝、君におはようと言いたい」


「……」


「夜、君が帰ってくるのを待ちたい」


 エレノアの胸が締めつけられる。


「君が今日何をしていたのか、何を考えていたのか……もっと知りたい」


「旦那様……」


「そして」


 レオンハルトは一歩近づいた。


「これから先も、君の隣にいたい」


     ◇


 エレノアは目を伏せた。


「……それは」


「うん」


「公爵夫人として、ですか?」


「違う」


 即答だった。


「一人の女性として、君にいてほしい」


 エレノアは顔を上げる。


「私は、君にもう一度求婚したい」


「……!」


 レオンハルトは懐から小さな箱を取り出した。


 蓋を開ける。


 中には、一つの指輪が入っていた。


 以前の結婚指輪とは違う。


 飾り気のない。


 けれど、とても美しい指輪だった。


「これは?」


「新しく作った」


「……どうして?」


「今までの指輪は、政略結婚の証だったから」


 レオンハルトは静かに答えた。


「これは違う」


 指輪を取り出す。


「私が、君を愛している証にしたい」


 エレノアの瞳に涙が浮かぶ。


「だから」


 レオンハルトは片膝をついた。


「エレノア・グランヴィル」


 彼女の名前を。


 初めて。


 愛する女性へ向けるように呼んだ。


「もう一度、私の妻になってくれないか」


 エレノアは息を呑んだ。


「今度は、政略ではない」


 レオンハルトの声は震えていた。


「君が嫌だと言うなら、私は無理に引き止めない」


「……」


「ローディア侯爵令息を選んでもいい」


 その言葉に。


 エレノアが驚く。


「だが」


 レオンハルトは続ける。


「できることなら、私を選んでほしい」


「……」


「君を幸せにすると約束する」


 そして。


「もし私がまた間違えたら、そのときは私を叱ってくれ」


 エレノアの頬を涙が伝った。


「……本当に、ずるい人」


「そうかもしれない」


「今になって、そんなことを言うなんて」


「分かっている」


「もっと早く言ってほしかった」


「……すまない」


 エレノアは涙を拭った。


 そして。


 レオンハルトの前にしゃがみ込む。


「顔を上げてください」


 レオンハルトが顔を上げる。


「旦那様」


「はい」


「私は……」


 言葉が出ない。


 胸の中には。


 怖さもある。


 不安もある。


 それでも。


 この人と過ごした日々を。


 全部嫌いになったわけではなかった。


 むしろ。


 今も好きだからこそ。


 こんなにも苦しかった。


「……すぐに答えを出してもいいのですか?」


「もちろんだ」


「本当に?」


「ああ」


 エレノアは小さく笑った。


「では……」


 レオンハルトの表情が強張る。


「もう少しだけ、時間をください」


「……分かった」


 レオンハルトは頷いた。


 けれど。


 その顔に落胆はなかった。


「待つ」


「はい」


「何日でも」


「……」


「何年でも」


 エレノアは少し笑った。


「二年は長いですよ」


「それでも待つ」


「では、一年」


「待つ」


「半年」


「待つ」


「……三か月」


「それでも待つ」


「ふふ」


 思わず笑ってしまう。


 レオンハルトも笑った。


 その瞬間。


 二人の間にあった長い緊張が、ほんの少しだけほどけた。


     ◇


 その日の夕方。


 エレノアは一人で庭を歩いていた。


 手には。


 レオンハルトから渡された指輪。


 まだ指にはつけていない。


 けれど。


 捨てることもできなかった。


「……どうしましょう」


 小さく呟く。


 そこへ。


「エレノア」


 振り返る。


 レオンハルトだった。


「旦那様」


「ここにいたのか」


「はい」


「指輪……」


「まだ、つけていません」


「そうか」


 レオンハルトは少し寂しそうに笑う。


 その顔を見て。


 エレノアの胸が痛んだ。


「でも」


「……?」


「大切に持っています」


 レオンハルトが目を見開く。


「それだけで、今は十分だ」


 そう言って。


 レオンハルトはそれ以上近づかなかった。


 エレノアはそんな彼を見つめた。


 昔の彼なら。


 自分の答えを急かしただろう。


 今は。


 待ってくれている。


 だから。


 自分も。


 もう一度だけ。


 この人を信じてみてもいいのかもしれない。


     ◇


 その夜。


 エレノアは机に向かい、一通の手紙を書いた。


 ローディア侯爵家への返事だった。


 便箋に、ゆっくりと文字を綴る。


 そして最後に。


 ペンを置いた。


「……ごめんなさい」


 その手紙に書かれていたのは。


 丁寧な断りの言葉。


 エレノアは封をした。


 もう。


 他の誰かとの未来を考える必要はない。


 まだ。


 レオンハルトを完全に許したわけではない。


 けれど。


 もう一度だけ。


 夫婦になってみたい。


 今度は。


 政略ではなく。


 愛する人と。


 エレノアは引き出しから指輪を取り出した。


 そして。


 左手の薬指に、そっと通した。


「……もう一度だけ」


 小さく呟く。


 その指輪は。


 今までの結婚生活を終わらせるためのものではない。


 新しい二人の始まりを。


 静かに告げるものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ