三
ホーホー、ホーホー。
ふくろうが鳴きはじめ、夜になった。おかしい。東京のど真ん中にふくろうがいるだろうか?
東の空に半月が出はじめた。夜もだいぶ更けたとみえる。服部さんはさっきから心配そうに、井戸の回りをずっとウロウロとしている。
「おや?」
突然、生暖かい風が吹きはじめた。井戸の向こうの植木の陰から誰か出てくる。
女だ! だが、奥方とは違う。もっと品があり、寂しげな面差しの女だった。
「ああああっ……まさか……奥ではないか……」
どうやら、亡くなった前妻らしい。服部さんが腰を抜かし、真っ青な顔でブルブルと震えだした。
前妻の幽霊は井戸の脇に屈み込むと、袖から小皿を出して数えはじめた。
「一ま~い……二ま~い……三ま~い……」
「お、おまえ……皿は割れた! 数えるのは止めろ! おまえは……死んだのだ!」
「四ま~い……五ま~い……」
「おい! 女! その皿を見せてみろ!」
急に御先祖様が前に進み出た。幽霊にとんでもないことを言っている!
「御先祖様! やめてください! 火に油を注ぐようなものです! ここは通例どおり、十枚と数え上げてあげれば……」
ぼくの制止も聞かず、御先祖様が幽霊から皿をすべて取り上げてしまった!
「見てみろ! この文様。犬の絵が描かれている! しかも、この赤い色は絵の具ではない! 犬の血だ! これを描いたのは、陰陽師に違いない!」
御先祖様が皿を持った腕を、天高く突き上げた。
ガッシャーアアアアン!
唖然と見守るぼくたちの目の前で、地面に全部、叩き落として割ってしまった。
「なんてことを! 御先祖様!」
いそいで井戸へ駆け寄った! だが、皿は無残にも1枚残らず粉々に割られていた。
「恐がるな! 恐れれば恐れるほど、魔はやってくる。人生に不幸は付きものじゃ! 覚悟を決めて対処せよ! 見よ、この皿を! 不幸の源を断ち切ってやった! 女! これで満足じゃろう? 皿が全部、割れてしまえば、数える必要がもうなかろう!」
奥方がにっこりと笑顔をつくり、井戸の中へと消えていった。服部さんを抱いて。
「あー! 服部さん! 御先祖様! なぜ、助けないのですか!」
ぼくはいそいで、井戸の中を覗いた。
――服部さんが、井戸の中で溺れ死んでいる!
「見ただろう? 服部はとっくの昔に死んでいる。奴は自殺だ。妾と一緒になるために、妻を殺した報いだ。犬神の皿の祟りだ」
「そんな……ぼくたちはただ、再現フィルムを見ていたようなものですか?」
「そんなこともない。わたしたちも登場人物の1人だ」
「御先祖様……皿の祟りなんて、ないって言ったじゃないですか!」
「皿自身にはな。だが、皿に仕掛けが施されておった」
「同じことです! だれが皿に犬の絵を描いたのですか?」
「あの男は服部半蔵の末裔だ。おおかた、皿は徳川家から譲り受けたものだろう。相当に有名な陰陽師の仕業だ。皿を割らなければ、祟りは受けなかったはずだ」
たしかに、このあたりには服部半蔵の屋敷があったはずだ。
夜が白々と空けてきた。
結局、電波が通じないため家には連絡できなかった。いまごろ家族が心配していることだろう。書き置きぐらい残しておけばよかった。
「そうだ! 待ち合わせ! 新宿の目の前……どうしよう!」
「おい! どこに行く!」
電話が通じないなら、一刻も早く帰って家族を安心させてあげなくては。捜索願でも出されたら大変だ!
慌てて屋敷の外へ飛び出した。『キツネノカミソリ』が足下で揺れていた。
往来に出たところで、坂の上に背の高い男の人影を見つけた。
あれは?
「あきらくん!」
ぼくは、全速力で走りはじめていた。




