三
翌日は朝からどんよりと曇っていた。朝飯をいただくと秦野家の神社へお参りして、安夫さんたちと境内の掃除をした。行者さんと暮らしていたときのようで懐かしかった。
安夫の婚約者、羽鳥麗子はぼくと同い年。ロングヘアにつけまつげの濃いメイク、高級スーツを身につけた派手な美女だった。今日はぼくも、スーツを着込んでいる。
「風間さんとおっしゃるの? 良い声をしているわね。わたしも東京出身よ。父の会社で働いているので、その関係で岡山に来ましたの。最近、来たばかりだから、なかなかこちらの味や言葉に馴染めなくて……」
「住んでいればそのうち慣れるでしょう」
「そうかしらね……」
こちらも浮かない顔だ。結婚に、あまり乗り気ではないらしい。
『鳴釜神事』がはじまった。
長年のススで黒く塗りこめられた祈祷所の中には、正座をした人々がひしめいている。氏子や神官仲間が集まる大きな行事であることに、ぼくは驚いていた。
神主の格好をした安夫の叔父が前に進み出て皆に一礼した。神棚の下にあるかまどの前に座ると祝詞をあげはじめた。布で口元を隠した巫女が、手にした壺の中から火種を取り出しかまどに火を熾した。あれが、M島から持って来た千二百年以上も続く炎なのか。巫女が、かまどの上に置かれた釜に桶の水を注いだ。今朝、井戸から汲んできた清い水だ。静まり返った祈祷所に、パチパチと薪の爆ぜる音だけが響いた。皆と一緒に黙って湯が沸くのを待った。
しばらくすると釜にモウモウと湯気が立ち込めはじめた。巫女がその上に、大きなセイロを乗せた。しばらくするとセイロからも湯気が出はじめた。巫女がかまどの向こう側へ回り、セイロの蓋を開けてパッと茶碗1杯のキビの実を入れた。長い箸で掻き混ぜると再び蓋をした。吉備津神社の鳴釜神事は玄米が使われるが、秦野家では庭で栽培している黍で行われる。
しばらく待ったが何も起きない。これが『鳴釜神事』なのか? 皆、無表情でおし黙っているが、明らかに動揺している。安夫の叔父である宮司の顔が、みるみる青ざめていった。
ドタン!
大きな音が響いた。振り返ると、麗子さんが倒れていた! 咄嗟に安夫さんが駆け寄り、皆で祈祷所の外へと連れ出していった。5分ほど経っても釜から音は出ない。宮司が立ち上がり、終わりを告げた。人々が静かに帰りはじめた。皆に続いて外へ出ようとすると、見知らぬ老人に呼び止められた。白髪でよく日に焼けている。小柄で鋭い眼光をしていた。
「ぶしつけにはあしわけあらん。あなたはもしや、風間家の……」
老人が風間の名を出した。
「え? はい……そうです。ぼくは風間圭と申します」
「やっぱり……卜部さんの所に居た子じゃのー」
卜部というのは、行者さんの苗字だ。
「どうして知っているんですか? 卜部さんの家に居るときにお会いしましたか?」
「や、直接、おーたこたーねー。おれがあんたを卜部さんに世話したんじゃ。おめーさん、霊能力が強くて困っとったんじゃね? あのときはほんまに済まなかった。あねーなことになるなんて……」
「では、ぼくを卜部さんに紹介してくれた、うちの遠い親戚というのはあなただったんですか?」
「ああ……おれは親戚ではのうて、あんたの祖父の弟子じゃったんじゃ……」
「祖父の? 祖父は今、どうしているのですか?」
「なんも知らされていねーんだな。じゃったら、せーでええ。あんたの祖父の神社は今はねー。せーだけ教えといてあげよう」
それだけ言うと老人は行ってしまった。彼の背中を見送りながら、不思議な巡り会いに唖然としていた。
「風間さん、どうされたんじゃか?」
安夫の叔母が声を掛けてきた。
「あの、さきほどの老人は?」
「ああ、あの方じゃろうか? 隣村の神社の宮司さんです」
「そうですか……」
「すみません、うちは麗子さんの様子を診てきょるけん」
「ああ、そうですね。神事中に倒れる人はよくいるんですか?」
「倒れる人なんていません。不吉です。お釜も鳴らんじゃったし……」
「やっぱり、鳴らなかったんですか……。何を占ったんですか?」
「主に漁や稲の出来を占うんじゃけど……来月、安夫の祝言があるから……釜が鳴らんときは結婚せんほうがええんです」
安夫さんの結婚に暗雲が立ち込めはじめた。
まるで『吉備津の釜』のようで、背筋がゾッとした。




