二
岡山の空港からT市へ電車で向かう途中『吉備津神社』へ寄り道した。中学生のときに何度も訪れたこの旧い建物は、悠久の昔から変わらずその姿を留めている。
「変わらないな」
知らず知らずのうちに口にしていた。重厚な吉備津造りの屋根と、どこまでも続く回廊。神話のふるさとにやってきたのだなと実感させられる。『吉備津の釜』があるのもこの神社だ。
早速、『お竈殿』へと足を向けた。竈の下にはウラという鬼の首が埋められているそうだ。ウラの首は犬に食わせて骸骨だけにしても、いつまでも叫び続けていたという。近くにある朝鮮式の城跡の大将で、桃太郎伝説に通じる逸話だ。毎年5月16日に『鳴釜神事』が行われる。巫女がかまどで湯を沸かし、セイロを乗せて玄米を入れる。そのときに出る音を神官が聴き、吉兆を占うのだ。普段の日も申し込めば占ってもらえるそうだ。
再び電車に乗り、倉敷へ移動した。昼どきだったので、岡山名物のバラ寿司を備前焼の食器でいただいた。酢飯と魚のつけ酢と食材を混ぜたご飯の上に具材を飾る、混ぜご飯で作ったちらし寿司のような食べ物だ。いろいろな料理をいっぺんに味わえる、とてもぜいたくなご飯だ。ぼくにとっては懐かしい味だった。行者の奥さんがよく作ってくれたからだ。関西から向こうは料理の色も味付も薄いが、関東に比べて塩や下味はしっかりと付けてある。ぼくは多感な時期を岡山で過ごしたせいか、こちらの味付が大好きだ。
腹ごなしに岡山の城下町を歩き、きびだんごを食べた。情緒豊かな川の流れや枝垂れ柳を見ていると、中学時代にタイムスリップしたみたいだ。遠足や課外活動で友人たちと訪れた街、倉敷。岡山は空襲がひどかったが、倉敷は美術館があったお蔭で城下町は無事だった。
ここ吉備国からは鉄鉱石や砂鉄がたくさん産出できた。大陸との交流も盛んで鉄製技術が発達していた。数多くの遺構や巨大古墳群がひしめいている事実からも、吉備の豪族が朝廷に並ぶほどの勢力だったことがわかる。山も海もあり温暖で肥沃なこの土地は、近代になり工業化で後れを取るまでずっと、日本の中心地の1つだった。
行者さんと暮らしていたT市は、ここから南へ下った海沿いの田舎町だ。岡山は米の生産が盛んだ。行者さんは山の麓で農業を営んでいた。彼の友人の祈祷師さんは海沿いで漁業関係の仕事をしていた。2人は修行の場で知り合ったと聴いている。
彼らが亡くなり17年経つが、法要は1度も行われていない。行者さんは事件の内情が悲惨だっただけに、親戚が恐がって永代供養に入れてしまいそれきりだ。祈祷師さんは神道なので寺での供養は行われない。
倉敷から電車に揺られT市の駅へ着いたときには、すでに夕刻になっていた。電話を入れると、すぐに祈祷師さんの息子が車で迎えに来た。彼は亡くなった祈祷師さんにそっくりで、よく潮焼けしてがっちりとした体型をしていた。ジーンズに白いポロシャツといったラフな格好をしている。ぼくよりも5つ年上の35歳で、会うのは今日が初めてだった。濃く太い眉の下には、黒々とした大きな目が悲しげに輝いていた。何か、気掛かりなことでもあるのだろうか。
「はじめまして。秦野安夫といおるで。おつかれさまじゃ。こねーな遠くまで申し訳あらんじゃった。どうぞ、車にお乗りつかあさい。家はすぐそこじゃ。十分ほどで着きょるけん」
「はじめまして。お世話になります。風間圭と申します。お父さまには、たいへんお世話になりました」
岡山なまりが懐かしかった。母に持たされた菓子を渡して車に乗り込んだ。今日のぼくは、萌黄色のジャケットを羽織り、グリーンのストライプのワイシャツの下はグレーのズボンだ。茶の旅行かばんには、もしものために背広や喪服も入れてある。
「遠路はるばる、ほんまにすみませんじゃった。十分におもてなしさせてもらうで。旅費その他の経費はまっとう気にしのうてよろしいじゃろうから」
「そんな、旅費は自分で出します。墓参りには、ずっと来たいと思っていましたから」
「ええんじゃろうか? 行者さんの骨も、父とつれのーて永代供養に納められておるで。あのような死に方をした父を、親戚がどうしても一緒の墓にゃー入れられんと申しまして。墓はうちのすぐ裏の寺にあるんじゃ」
「そうでしたか……お2人は仲がよかったので、それでよかったのではないでしょうか」
「そうじゃね……」
行者さんと祈祷師さんは、同じ永代供養の墓に入っているらしい。
「今日はお天気でよかったじゃ。どちらかへ寄って来られたのじゃろうか?」
「はい。吉備津神社と倉敷へ。なつかしかったです」
「せーはよかったじゃ。けーから行く我が家でも『鳴釜神事』の行事が毎年行われとるんじゃ。うちは大昔から、特別に許可を得とる。明日の午前中に行われるんじゃ。ぜひ風間さんにも立ちおーとっただきたいと思いまして」
「そうですか、鳴釜を……。それではぜひ、立ち会わせてください」
安夫さんのお宅の神社でも『鳴釜神事』を行うらしい。1度も見たことがないので、興味があった。明日はどんな音が鳴るのか楽しみだ。
車は十分ほどで秦野家へ到着した。海のすぐそばにある大きな旧いお屋敷で、安夫さんと叔父夫婦が暮らしていた。立派な門構えの塀の中には右側に母屋があり、奥の真ん中に祈祷所を併設した神社があった。あちらの祈祷所で、鳴釜神事が行われるそうだ。
「さきー墓参りに行きましょう。荷物は車に置いて行きましょう」
「はい」
安夫さんと裏山の小道を登った。小山の頂上にある古い本堂の脇に、大きなイチョウの木が立っていた。その裏側に永代供養の塔が建っていた。この下に、行者さんと祈祷師さんが眠っている。17年ぶりにやっと来られた。あの悲惨な事件は、地元ではすっかり風化されているらしい。
ぼくたちは線香をあげ、供養塔に向かって静かに手を合わせた。鳥のさえずる声がする。ずいぶんとのどかなところだ。彼らの魂はいま、安らかに眠っているのだろうか。
「ちーと待っていてつかあさい」
安夫さんが脇にある墓場へ行き、熱心に手を合わせていた。
「お待たせしたんじゃ。家の墓に手を合わせてきたんじゃ。では、行きましょうか」
「はい」
「父と違ってうちにゃー霊感はまっとうあらん。うちは神社を継ぐんはやめようと思っておるで。叔父とつれのーて父の会社を継いでおるで。海苔の養殖と加工をしておる」
田舎道を戻りながら、安夫さんが自分の話をしてくれた。彼は宮司の叔父の手伝いで神官をやっているが、神社を継ぐ気はないらしい。父親の不幸な死が、トラウマになっているのかもしれない。
秦野家に戻り、岡山の郷土料理でもてなされた。例のバラ寿司が大皿で出された。
安夫さんはひとりっこなので兄弟はいない。安夫さんの母親は早くに病気で亡くなっているそうだ。亡くなった祈祷師さんの弟夫婦、安夫さんにとっては叔父夫婦が親代わりをしていた。彼らには子供はいないので、安夫さんを本当の息子のようにかわいがっていた。安夫の叔父の奥さんは美人で優しそうな人だが、ぼくが行者さんの家に居た中学生だと知り脅えていた。あのときのことは今も思い出したくないそうだ。当然だ。ぼくにとっても恐ろしく悲しい思い出だ。
瀬戸内海の幸がふんだんに使われた料理をいただきながら、行者さんとの生活を思い出していた。瀬戸内海は小魚がたくさん獲れる。行者の奥さんが毎日、ニシンの酢漬け、ままかりなど多くの小魚を料理してくれた。だからぼくはいまでも魚が大好きだ。行者さんのこどもたちはぼくにとても懐いてくれていた。いつもこうやって、みんなで食卓を囲んでいた。皆が生きていれば、こんな風に楽しい付き合いがいまでも出来ていたことだろう。
安夫さんは食事を終えると、会社に用事があるからと出掛けていった。
「風間さんはほんまにええ声をしとるね。霊能力がおありだとか。あなたからは清々しい気が流れとる。神官になられたらええのに。もったいねーです」
安夫の叔父である神社の宮司さんが、酒を注ぎながら話し掛けてきた。酒は飲めないとさっきから断っているのだが、どうやら本人が大の酒好きらしい。
「昼間はやこーおいしいもんでも食べられたんじゃか?」
「ええ。久々にきびだんごを食べました」
「黍は、はあ岡山ではほとんどこしらえておらん。今は長野が有名じゃのー。ここ数年は岡山でも子供たちが学習でこしらえとるみたいじゃけど。うちも神事用に、ちーとだけ庭で栽培しておるで。今時分に秋の収穫に合わせて、種を蒔きはじめるんじゃ。五穀豊穣の五穀の筆頭で、昔はそねーな物しか食べられなかったんじゃのー。今じゃ鳥の餌じゃ。なんとも贅沢な世の中になったんじゃよね」
「そうですね。でも、万が一、食糧難にでもなったら、我々もキビを食べなくてはなりませんね」
「ハハハハ、そうならんことを祈っとる」
安夫の叔父もがっしりとした、たくましいタイプだ。細身のぼくからすると、うらやましい限りだ。
「明日はよそから巫女が来るのじゃ」
「巫女さんが?」
「『吉備津神社』の『鳴釜神事』は阿曽地域の巫女が行うが、うちはちごーとる。うちで使われる火は、毎年、広島のM島から持ち込まれるんじゃ。その島の神社のお堂にある『消えずの火』を巫女が舟で運んでくるんじゃ」
「不思議な風習があるんですね」
「安夫の亡くなった妻は、その巫女じゃったんじゃ」
「亡くなった? 安夫さんは結婚されていたんですか?」
「知らんじゃったか? 安夫は18歳のときに、同い年の幼馴染、巫女の浦上小夜子と結婚したんじゃ。ちょうど祈祷師じゃった兄が死んだ年じゃった。あの年は釜が鳴らのうて……安夫は皆の猛反対を押し切って結婚に踏み切ったのじゃ。小夜子は1年も経たなゆーちに病で亡くなったんじゃ……」
「そうでしたか……」
では、熱心に墓に手を合わせていたのは亡くなった奥さんのためだったのか。
「安夫もたいへんじゃ。家業が傾いてしもーたから、仕方なく金持ちの出資者の娘と婚約したんじゃ。はあすぐ式を挙げます」
「え? 安夫さんはもうすぐ結婚されるんですか?」
「ああ、そうじゃ。来月な。出資会社の社長がえらく安夫を気に入って、どうしても娘と結婚させると息巻いとるんだ」
「そうですか……」
明日はどんな釜の声を聴かせられることやら。
東京よりはるかにきれいな星空を眺めながら、ぼくは不安になった。




