一
【キビの種を撒くころ釜が鳴る】
郷土史ライター風間圭は、中学時代を過ごした岡山へ墓参りに出掛ける。それは、自身のルーツへの旅立ちだった。
「本当に行くの、圭?」
「ああ。なんで」
「だって……」
ぼくは今、姉の瞳と午後のお茶をしている。姉はこのところ紅茶に凝っていて、ぼくが家に居るとチョクチョクいれてくれる。どうせまた、3日坊主で終わるのだろう。フランスから取り寄せたスリランカ産の紅茶がどうのこうのとウンチクがはじまった。だったら直接、スリランカから購入すればいいじゃないかと言ってやりたい。決して口には出さないが。
姉は、明日からのぼくの岡山行きをひどく心配している。気持ちはわかる。ぼくが岡山で過ごした中学の1年間は、決して穏やかなものではなかったのだから。
「あのとき姉さんは、義兄さんと新婚旅行の真っ最中だったじゃないか」
「たしかにわたしは、圭が岡山で体験した出来事をよく知らないわ。でも、いまさらお墓参りだなんて……」
「ぼくが行きたいから行くんだ。ただ、それだけだよ。心配しないでくれ」
「そうなの? なら、もうこれ以上は言わないわ。気をつけていってらっしゃいね」
「ああ。何かみやげでも買ってくるよ」
「わかったわ……」
いつになく、姉がしおらしく引き下がった。我が家で霊感があるのはぼくだけだ。たぶん、父の系統を受け継いでいるのだろう。父は幼い頃に岡山の神官の家から風間家へ養子に出された。詳しい経緯はわからない。父が引き取られたとき、父の養父母、ぼくの祖父母はすでに高齢だった。彼らは、ぼくが生まれる前に老衰で亡くなっている。
ぼくが遭遇する不思議な事件に関し、風間家の人間は一切、口を出さない。恐いので関わらないようにしているのだ。懸命な策だと思う。ぼくのように、知りたくないことまで知る必要はないのだ。
今は5月の中旬だ。ぼくは明日、中学のときにお世話になった行者さんと祈祷師さんの墓参りに行く。実に17年ぶりの岡山行きだ。最近、父親の祈祷師さんが息子の夢枕に立ち、東京の風間圭に『鳴釜神事』に来てもらえと訴えてくるそうだ。祈祷師さんの息子がぼくに電話してきて、ぜひ岡山へ来て欲しいとお願いしてきたのだ。
実は、ぼくの夢にも行者さんが現れていた。『人の運命にゃーほんまは介入せん方がええんじゃ』『不思議な力は人のためにつこーてこそ生かされるんじゃ。おめーはそのために、霊感を持って生まれてきたんじゃ』という相矛盾する2つの言葉を、交互にくりかえすのだ。
祈祷師さんの息子からの電話で確信した。ぼくの命を助けてくれた祈祷師さんが岡山に来てくれと懇願している。いまこそ、恩返しすべきときがきたのだ。
翌日の早朝、家族に見守られながら家を出た。さわやかな五月晴れだ。恐ろしい記憶のある地へ旅立つぼくにとって、ひどく似つかわしくない朝だった。
羽田から航空機に乗った。静岡に差し掛かり雲の下に富士山を見たとき、とても悲しい気分になった。17年前、岡山から両親と新幹線に乗った。ひどく寒い日で、富士山は真っ白だった。景色よりも行者さんたちが心配で仕方がなかった。何事も起きませんように。無事を祈る少年の純粋な思いは、その後にもたらされた残酷なニュースに打ちのめされた。ぼくはその日、神への愛を失った。
もしもあのとき、神さまがぼくの願いを聞き入れてくれていたならば、行者さんと祈祷師さんはいまごろ生きていたはずだ。




