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音がする  作者: M38
雪かき
24/38

雪の日

【雪の日】


 郷土史ライター風間圭が、冬の早朝に出会った不思議な出来事。

「圭! 明日の朝は絶対に雪掻きしてよね! 子供たちの学校があるんだから! 父さんも和弥さんも雪で帰って来られなかったから、男手はあんただけなんだからね!」

「圭さん、悪いわね。わたしも沙織とお茶の発表会があるのよ。タクシーを8時に呼んであるから、それまでによろしくね」


 一昨日から日本列島を覆い尽くした寒冷前線により、風間家の広大な庭は一面の雪景色となった。


 女どもの勝手な言い分に従い、ぼく、風間圭は雪掻きのために早起きをした。義兄の和弥さんが買い込んだ雪掻きグッズを身にマトい、静まり返った我が家の玄関をソッと開けた。

 ザアッと、ドアの隙間から冷気がいっぺんに押し寄せてきた。頬に突き刺さる冷たさに、思わず目を閉じた。東京生まれのぼくでも、白銀に朝日が照り返す光の強さは充分に承知している。目を開けるのが恐い。ビクビクしながら瞼を上げた。だが、次の瞬間くるであろう目が眩むようなまぶしさは、いつまで経ってもやってこなかった。


「あれ?」


 真っ白な息の向こうに、真っ黒な無限が拡がっていた。異様に静まり返っている。

 ドアを閉めて玄関の外に降り立ち、自分の目を疑った。おかしい。もう、6時は過ぎているはずだ。いくらなんでもこんなに暗いわけがない。時間を間違えたか? だが、西の空には月が沈みかけている。夜が明ける時間だ。

 梢から、ザザザザーッと細かい雪が降りはじめた。やはり、朝なのだ。目をスガめてあたりの様子を伺った。雪は夜のうちにまた降り積もったとみえ、甥っ子たちが作った雪だるまがそっくり姿を消している。ふと足元を見ると、赤い点が散らばっていた。


「おや?」


 玄関脇にある、赤い南天の実が散っているのだろうか? よく見ると、それは血液だった。庭の西の隅へと続いている。



 サクッサクッ、サクッサクッ。



 新雪に足跡をつけながら、血の跡をたどった。

 庭に溜まった冷気がいっぺんに襲ってきた。今朝はことのほか寒い。スノーブーツの厚い靴底から、冷たい空気が攻め込んでくる。寒さに強いぼくでも、たった数メートルの行程で震え上がってしまった。


「え? 」

 

 目を疑った。点々と続く血の先に、白無垢姿の花嫁がうずくまっている。


「あの……大丈夫ですか? もしや、怪我を?」


 ぼくの呼びかけに、花嫁はゆっくりと頭をもたげた。歳の頃なら十七、八歳。透き通るような白い肌をしている。紅色の唇をひらき、綿帽子の影でニッコリと微笑んだ。


「はい……大丈夫です」


 花嫁が手にした懐剣から、血が滴り落ちている。


「でも……その血は……」

「ああ……これは、わたしの血ではありません」

「はあ……でも、あなたはここで何を?」


 ぼくはここにきて、初めて異様な事態に気がついた。雪に埋もれた庭の片隅に、花嫁衣裳の女がいる。仮にいまが早朝ではなく真夜中であったとしても、月が出ているのに真っ暗なのはおかしい。

 ぼくは、夢を見ている最中なのか。それとも、モノノケにでも化かされているのだろうか。


「今日は西から強い風が吹きました。ここ世田谷まで、吹いてきたようですよ」

「え? 西から? はあ……たしかに天気予報では、そのようなことを言っていましたが……」


 花嫁が唐突に、天気の話をはじめた。懐剣からはポタポタと血が落ち続け、白い雪の上に真っ赤な水玉模様を描いていく。


「これも何かの縁です。わたしの身の上話をお聴かせしましょう。皆が知りたがっている話だと思いますよ」

「はあ……では……とりあえずお聴きいたしましょう」


 妙な威圧感に押され、花嫁の身の上話を聴くこととなった。彼女が怪我をしていないなら、それでいい。だが、花嫁衣裳を身につけているということは、これから結婚式に行くのだろうか。こんな時間に祝言を挙げるのか?


「あなたは、雪女の話を知っていますか?」

「え? 雪女ですか? ええ……各地にありますよね。小泉八雲の名作が有名です。あれはたしか……多摩地方の逸話です。雪女に父親を殺された子供が、大きくなって不思議な女と結婚する。雪女の話をしたとたん、女は去ってしまうんですよね」

「はい。女の正体は雪女だったからです。雪女の正体をバラした者は、たとえ身内でも殺さなくてはいけない掟があるのです。では、雪女の子供が、その後どうなったのかはご存知ですか」

「雪女が男の元に置いていった子供ですか? いいえ、その後どうなったのかは聴いたことがありません」

「その子は母の面影を恋い慕いながら17歳になり、母によく似たおゆきという女と恋に落ちました。でも、おゆきにはすでに許婚イイナズケがおりました」



 風間家の庭に突然現れた白無垢姿の花嫁が、不思議な話を語りはじめた。



「おゆき、今夜必ず、峠の山小屋に来てくれ。絶対だぞ。ずっと待っているから。そこから隣りの村まで逃げよう」

「はい、茂作モサクさま。必ず行きます」

「おゆき……」


 茂作とおゆきはかたく抱き合い、駆け落ちの約束をした。今夜、おゆきと許婚の祝言がある。


 夜になり、茂作は山小屋で囲炉裏の火にあたりながら、いまかいまかとおゆきの姿を待ちわびていた。だが、待てど暮らせどおゆきはやってこなかった。茂作はいつの間にか、ウトウトと寝てしまった。



 しばらくのち。



 バンッ!



 いきなり戸が開き、ビュウッ! と冷たい北風が山小屋に吹き込んだ。おゆきが来たのだと思い、茂作はいそいで囲炉裏端から駆け出した。山小屋の入り口に、見知らぬ女が立っていた。真っ白な肌に真っ白な着物、長い髪に真っ赤な唇をしていた。そして、ゾッとするほど美しかった。


「あ、あなたはいったい……どなたですか?」

「茂作、おゆきは来ない。そなたは裏切られたのだ」

「え? なんで、おらのなまえを?」

「追っ手が来る! 早く逃げなさい!」

「追っ手が?」


 女は茂作の手を取り、引っ張った。茂作はゾーッと鳥肌がたった。その女の手は死人のように冷たかった。茂作はいそいで、女から飛びのいた。


「あ、あの……おゆきは? おゆきはどうしたのですか?」

「おゆきは祝言を済ませ、旦那と一緒に寝ておる。全部、おゆきと旦那が仕組んだハカリゴトだ。茂作の田畑が欲しくて、純粋なおまえを騙したのだ。先ほどから、村の青年団が茂作を探している。茂作が人妻のおゆきに懸想したから、血祭りにあげるといき込んでおる。殺される前に、早く隣村へお逃げなさい!」

「でも、それでは……おらの気が済まねえ! おゆきとその旦那に復讐してやる!」

「茂作……おまえが他人の許婚に懸想したことは事実だ。恋などすぐに忘れられる。命のほうが大事だ。早くお行きなさい!」


 茂作はここにきて初めて、目の前にいる女が恋い慕っていた母親であることに気が付いた。


「そうまで言うなら、おらを雪女にしてください! おらを一緒に連れて行ってください!」

「茂作……それは出来ません。雪女は雪山で死んだ女の情念のカタマリです。魂だけの人間なのです。雪女になるということは、死んで雪山をさ迷わなくてはならないと言うことです。それだけはなりません。あなたの父親に申し訳がたたない」

「だったら、母ちゃん。おらは、このことを人に言いふらします! 雪女に会ったということを、近辺の村々に言ってまわります!」

「茂作……雪女を見た人間は、絶対に殺さなくてはいけない掟なのだ。それをしなかったのは茂作、あんたの父親にだけだ」

「父ちゃんはとうに亡くなった。最後まで、母ちゃんに会いたいと言いながら。代わりに、おらを連れて行ってください!」

「そこまで言うなら……仕方あるまい……」



 青年団が山小屋に着いたとき、煙が立ち上る囲炉裏端イロリバタに茂作の姿はなかった。村人が総出で茂作を探したが、春がきて雪解け水が流れても、彼の姿はどこからも見つからなかった。隣村に逃げた形跡もない。村では、茂作は雪女にさらわれたのだと噂された。



 花嫁の話は終わったようだ。身の上話というよりは、民話のようだった。


「では、おゆきは許婚と結婚して茂作の田畑を横取りしたんですか?」

「いいえ。おゆきは旦那と一緒に、殺されました」

「え! どうしてですか? だって……茂作は復讐はあきらめ、雪女になったんですよね?」

「おゆきの許婚は悪い男で、村の女と浮気していたんです。その女は騙されたとわかり、初夜の床で寝ていたおゆきと旦那を刺し殺したのです。新婚夫婦の寝所の血飛沫は、天井の梁まで飛んでいたそうです。刺した女の恨みの深さが伝わってくるというものです。凶器はおゆきの花嫁衣裳の懐剣でした。初夜の床から点々と続く血の跡をたどっていくと、近くの川で途切れていました」

「そうですか……悪いことは出来ませんね」

「結局のところ、おゆきは茂作と逃げたほうが命拾い出来たのです。おゆきの許婚もそうです。おゆきと祝言を挙げなければ、殺されずにすんだのです。殺人犯の女も、おゆきが茂作と駆け落ちしていれば、残された許婚の男と夫婦になれたかもしれません。この事件は『血の祝言』と呼ばれ、村では雪が降る日は祝言を挙げてはいけないという暗黙の掟になりました」

「悲惨な出来事だ……ところで、さっきから茂作の話ばかりですが、あなたの話はないのですか?」

「わたしのですか? さっきからずっと、わたしの話しかしていませんよ」

「え? でも……」


 そのとき、立ち上がろうとした花嫁が雪に足を取られてぐらついた。咄嗟に手を伸ばし、花嫁の手を握り支えた。


「あっ!」


 ゾッとして、すぐにパッと手を離した。花嫁の手が、死人のように冷たかったのだ。これは、生きている人間の手ではない。ギョッとして、思わず綿帽子の中を覗き込んだ。


「おわかりですか……」


 花嫁は、男だった。





「圭! 圭ってば! 雪掻きぜんぜん、出来てないじゃない! 誠たちが学校に行く時間よ!」

「え?」

「もう! 何やってんのよ! 雪だるまで遊んでないで、早くやってよ!」


 気がつくと、朝の光の中で雪だるまの前にしゃがみ込んでいた。赤い南天の実がポツポツと、血のシタタリりのように玄関から続いている。誠たちが雪だるまに目をつけようと運んだ際、こぼしたのだろう。上から雪が降ったはずなのに、なぜかそれは1つも埋もれていなかった。眩しい朝日に照らされた雪だるまの目が、泣き腫らしたみたいに真っ赤な色彩を放っていた。


 ヨッコラセと雪を払いながら身を起こし、伸びをして郵便受けに新聞を取りに行った。姉がうしろでギャアギャア喚いているが、いまから雪掻きしたところで誠の通学には間に合わないだろう。


 新聞を拡げた。一昨日起きた多摩の殺人事件の続報が載っていた。雪の降る夜、新郎が花嫁に懐剣で刺し殺された。血の跡を辿って行くと、近くの川で途切れていた。本物の花嫁は、近くに住む雪野茂雄のアパートで殺されていた。花嫁と茂雄は恋仲だった。花嫁に成りすました茂雄が、祝言の席で新郎を殺したのだ。この村では過去にも血の婚礼と呼ばれる事件があり、雪の降る日の婚礼は避けられていた。雪野茂雄の遺体は雪解けを待って捜索が行われるとのことだった。新聞に載っている茂雄の写真は、さっき庭で会った花嫁にそっくりだった。



 ザザザザーッ!



 日の光を浴び、木の枝から粉雪が舞い落ちた。この雪も明日には溶けてしまうだろう。雪だるまの前に南天の実が、血溜まりのように積み重なっていた。



 ザッザッザッザッ、ザッザッザッザッ。



 新聞を閉じ、雪掻きをはじめた。



 ザッザッザッザッ、ザッザッザッザッ。



 茂雄の死体は見つからないだろう。



 ザッザッザッザッ、ザッザッザッザッ。



 彼は雪女になってしまったのだから。

 


(雪の日 おわり)

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