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音がする  作者: M38
穴の中
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18/38

【ひぐらしが鳴くころ蜘蛛が巣を張りはじめる】


 郷土史ライター風間圭は、かつての交際相手である春日あかりと見合いをするはめになったのだが……初恋の女性の面影を求め、風間は奈良へ飛んだ。

 カナカナカナカナ、カナカナカナカナ。



 長く伸びた影が庭を覆い尽くし涼しい風が吹きはじめると、一匹のひぐらしが高らかに日の暮れを宣言した。風間家の旧い屋敷には大きな木が乱立しているため、大都会の真ん中でもこんな風情が味わえるのだ。



 男と女が同じ考え方をしないことぐらいわかっているつもりだったが、鈍いぼくはこの事実に直面するまで、その本当の意味に気がついていなかった。

 女姉弟がいるくせに女が苦手なぼくは、高校時代は部活と勉強に明け暮れ、その手のチャンスはことごとくフイにしてきた。歳の離れた要領のいい姉を見て育ったせいで、女という性別に幻想を抱くことが出来なくなっていたのかもしれない。


 姉のヒトミはぼくと一緒で、見た目だけは良い。背が高く色白で夢見がちな大きな瞳は、多くの男たちを魅了してきた。その中から、1番大人しくて1番優秀で1番姉の言いなりになりそうな男を選んで婿入りさせた。瞳は風間家の中で1番の現実主義者なのだ。


「圭! 結婚できないのをわたしのせいにしないでよ! わたしは学生結婚して2人の子供を産んで、長男の圭の分までしっかり風間家に貢献しているんだから!」

「姉さんのせいだなんて言ってないよ。姉さんみたいな嫁さんはもらいたくないと言っているだけだ」

「同じことでしょ! もっと、タチが悪いわ。なによ! 圭なんて、ただの郷土史オタクのくせに!」

「いいじゃないか? それで食っていけてるんだから。姉さんも仕事しろよ? 和弥さんの浮気の心配ばっかりしていないで。女房が思うほど……って昔から言うじゃないか?」

「なんですって! 和弥さんの悪口は、いくら圭だって許さないんだから!」


「その歳で姉弟げんかなんて、みっともないからやめてちょうだい。圭さん、お見合いが嫌ならイヤだと言ってちょうだいよ。なにも、瞳を引き合いに出さなくても……」


 見兼ねた母が仲裁に入った。ぼくの母は典型的な教授の奥さまで、理想の夫人像といえる容貌をしている。ぼくたちにもやさしく接っする良妻賢母で、女性としてのすべてを兼ね備えた品の良い女性だ。ぼくも母のために早く身をかためてあげたいのだが、いかんせん、仕事がいそがしくてその暇がない。ないなら作れと周囲の野次馬がうるさいが、郷土史の研究以上に結婚生活に魅力を感じられないのだ。

 女なんて、みな同じだろう。男を上手くだまくらかして家の中でふんぞり返り、休みの日には買い物や散歩と称して自分の行きたいところへ夫を連れ回すんだ。


「だって、母さん、相手の女性はぼくの大学時代の知り合いだよ? しかも、彼女だった人だ。無理に決まってるじゃないか」

「だから、あかりさんでしょ? 圭が唯一まともに付き合った子じゃないの? 気心が知れていていいじゃない!」

「姉さん、お節介はやめろって言ってるだろ! 子供の面倒でも見てろよ!」

「だって、あかりさんってすごく明るくてかわいい人だったじゃない。奥さんにするには最高の人よ。なんで別れちゃったの? 妹になってくれると思って、楽しみにしてたのに……」


「わたしもそう思っていたわ。すてきなお嬢さんだったじゃない。いまも変わらないそうよ」

「母さんまで……」


 ぼくが春日カスガあかりと付き合いはじめたのは、大学に入って間もない頃だった。あかりは、かわいくて積極的でとにかく明るい女の子だった。他の男にはうらやましがられたが、ぼくはあかりといても親戚の女の子といるような気持ちになるだけで、セクシャルな気分にはなれなかった。でも、女性との付き合いなんてこんなものかと、さして気にしていなかった。それよりも大学の勉強のほうが楽しくて、それだけで充分に刺激的な毎日が送れていた。大学4年まで付き合ったが、ぼくはどうしてもあかりほど恋に夢中になれなかった。結局、卒業間近に別れた。別れたという言い方は、あかりにとって語弊があるかもしれない。なぜなら、大学院へ進む際にぼくが、勉強が忙しいと徐々に距離を取りはじめ、自然消滅のようにあかりと離れていったからだ。賢い彼女は何もきかずに、黙って身を引いてくれた。


 実と言うとぼくには、あかりの他に気になる女性がいたのだ。それが、あかりの友人の下照シモテルアオイという女性だった。葵と知り合ったとき、彼女はすでに社会人だった。細い眉に切れ長の涼しげな瞳と白い肌を持つ、手足の長いスレンダーな美人だった。襟足の長いショートヘアは絹糸のように輝き、おしゃれなパンツスーツで颯爽と歩くその姿は他の女子とは一線を画していた。葵はいつも物静かに微笑み、ぼくやあかりの話に黙って耳を傾けていた。葵はミステリアスな雰囲気の大人の女性だった。そして彼女は、ぼくにとても好意的だった。実際、友人としての好意以上のものを、ぼくは葵から感じとっていた。葵に会うたびにぼくは彼女に惹かれていった。葵は、奥手なぼくの初恋の人だった。


 ぼくは困惑した。特定の彼女がいるのにこのような感情を持ってしまった自分との、折り合いがつけられなかったのだ。人間は、己の感情だけは自分でコントロール出来ないということを、ぼくはこのとき初めて学んだ。

 もしもぼくが大人の男だったら、葵への気持ちをおざなりにしたままあかりと結婚していたかもしれない。もしくは、あかりをスッパリと切って葵と一緒になっていたかもしれない。だが、ぼくははそのどちらも行動に移せなかった。深く悩む前に両方の女性と別れる道を選んだのだ。あかりはたぶん、ぼくの葵への気持ちに気がついていたのだと思う。だから、すんなりと別れてくれたのだろう。そのとき2人の女性から、いや、自分の本当の気持ちから逃げたばかりに、ぼくは女性が更に苦手になってしまったのだ。


 先週、あかりの母親とぼくの叔母が、趣味の茶会で偶然にも隣の席になった。あかりの母親は、ぼくを通して叔母と顔馴染みだった。あかりの母親はその場で、彼女とぼくを見合いさせて欲しいと叔母に頭を下げてきた。7年も経ってあかりが見合い相手として名乗りをあげるだなんて、ぼくは女心がわかっていなかった。あかりはぼくに、未練があるのだろう。だからといって、いまさら彼女とどうこうする気にはなれない。それで先ほどの、姉さんみたいな嫁はもらいたくないという発言に至ったのだ。



「圭はまったく! 見た目ばっかり良くても中身はとんだ、ぼんくらだわ!」

「ぼんくらとはなんだ! たしかにぼくは、鈍いところがあるけれど……。姉さん、モテる男って外見じゃないんだぞ? マメでやさしい男だよ。中身の問題だ。ぼくと結婚したって、女は幸せになんかなれない」

「あかりさんは圭と、別れたくて別れたんじゃないわ。圭のオタクぶりについていけなくなっただけよ! 仕事が安定してアラサーの今なら、結婚してくれると踏んだのよ。圭だって恋人がいないんだから、結婚できるチャンスじゃない。気心が知れた人が、1番いいに決まってるわ!」

「でも、あかりとは1回、別れたんだ。いまさら……」

「きっと、圭のことがずっと好きで、時期がくるのを待っていたんだわ。ロマンチックじゃない! どんな別れ方をしたのよ? 圭はほんと、女心がわかってないんだから!」

「たしかに、あかりのことをずっと誤解していたな。だったら……1度、会うだけ会って、謝るかな。それで、あかりの気が済むのなら……」


「そうね。圭さん、そうしたら?」

「母さん……では、叔母さんにその旨を伝えてもらえますか? 会うだけならと。結婚や交際はお断りします。それでよろしければ……」

「わかったわ。妹に、いますぐ電話しておくわ」

「おねがいします。あと、見合いの話はもう結構ですから。きたら全部断ってくれるように頼んでおいてください」

「圭さん、それは……」


 ぼくは仕方なく、あかりに会うだけは会おうと心に決めた。逆効果になりそうだから、本当は会いたくないのだが。ぼくがもっと、冷たく突き放せるタイプの男だったらよかったのに。だったら、最初からあかりとは付き合っていないか。



 優柔不断な自分の性格を恨めしく思っているうちに、お見合いの日がやってきた。6月の金曜日、都内某所のホテルのロビーで2人だけで会う約束をした。初夏になりはじめたばかりのさわやかな日で、朝から気持ちよく晴れていた。午後の6時に待ち合わせをして、そのままホテルのレストランで食事予定だった。少し早めにホテルに着き、庭を眺めながらあかりの姿を探した。だが、待てど暮らせどあかりはやって来なかった。そういえば彼女、遅刻の常習犯だったな。苦々しく思いながら一時間以上も待たされ、とうとう午後の7時になってしまった。



 カナカナカナカナ、カナカナカナカナ。



 ひぐらしが日の暮れを告げている。ホテルの庭園はすでにライトアップされていた。

 仕方なく、ぼくは家に電話をかけた。


「もしもし、圭ですが……」

「圭さん? あかりさんとはどう? 彼女、きれいになられてたでしょう?」

「それが……あかりのやつ、来ないんだけど……」

「え? おかしいわね……いま、妹に電話してみて、折り返しかけるわね」

「はい……」


 なんだよ、あかりの奴! わざわざ呼び出しておいて、気が変わったのか? あいつは昔から、気まぐれなところがあったからな。だったら、ここからすぐの古本屋へ行き、古文書でも探しながら帰ろう。こうやってぶらりと行ったときのほうが、いい文献が見つかるかもしれないぞ。

 ぼくがすっかり頭をあかりから古文書へと移行してしまった頃、母から電話がきた。ロビーのゆったりとした椅子に座りながらスマホを手にしたぼくの耳に、意外な報告がもたらされた。


「ゆかりさんが行方不明なの! すぐに家に戻ってきてちょうだい!」

「なんだって!」

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