二
カナカナカナカナ、カナカナカナカナ。
日が暮れて薄暗いなか家に帰ると、すぐに母が飛んできた。姉の家族は、旅行中で留守だ。
「母さん、ただいま。あかりが行方不明ってどういうこと?」
「圭さん、お帰りなさい。それが……妹があかりさんの家に電話して、待ち合わせに彼女が来ないことを告げたら、お母さまがビックリして職場に問い合わせしてくださったの。そうしたら今日はあかりさん、午前中から早退しているんですって! お母さまが慌てて、お友達や職場の人に連絡して探したけど、見つからないって……あかりさんのスマホは電源が入ってなくて、繋がらないのよ」
「ぼくと会うのがイヤになって、1人でどこかに遊びに行ったんじゃないの? あかりってちょっと気まぐれなところがあるから」
「でも……29歳にもなって約束をすっぽかすなんてありえないわよ」
「それもそうだけど……ぼくに会うのが、急に気まづくなったとか?」
「そんな無責任な子じゃなかったじゃない。それに、圭さんと会うのをずっと楽しみにしていらしたそうよ。ご両親が心配して、捜索願を出すかもしれないって話よ」
「ええ! そうなの?」
あかりが行方不明? あかりはひとりっこでわがままだから、出掛けるにしても自分の意思でないと絶対に行かないタイプの人間だ。だとしたら、事件に巻き込まれた? でも、会社を早退しているってことは、届けは自分で出したんだよな。あかりのヤツいったい、どこへ行ったんだろう?
「圭さん、妹が来たわよ!」
「あ! 叔母さん!」
母の妹、今回あかりとの顔合わせを企画した沙織叔母さんがやってきた。いつもおおらかに笑っている明るい叔母が、今日は真っ青になってオロオロしている。
「圭さん……あかりさん、どこにもいないんだって。向こうのご両親は今夜1晩、待ってから捜索願を出すって言っているわよ」
母によく似た美しい叔母が、眉間に皺を寄せて心底こまったという表情をしている。
「心配だから、これからあかりの実家まで行ってこようか?」
「ほんと? そうしてもらえると助かるわ。わたしも一緒に行くから!」
叔母が、バツが悪そうに微笑んだ。
「それでいいの? 圭さん?」
母が気遣わしげにぼくの顔を覗き込んだ。たしかに、ぼくもそこまでする必要はない。だが、7年前のあかりとの別れを思うと、ぼくにも責任があるような気がしてきたのだ。
「ああ。気になるから、いまから行ってくるよ」
「そう……では、あちらのご両親によろしくね。沙織も、気をつけていってらっしゃいね」
「はい」
「姉さん、悪いわね。圭さん、ちょっと借りていくわね」
カナカナカナカナ、カナカナカナカナ。
ひぐらしの声をバックにぼくは、叔母と2人であかりの家へと向かった。
カナカナカナカナ、カナカナカナカナ。
初夏とはいえ日が落ちると少し肌寒い。あかりの家はうちから一時間ほど電車で行った、東京郊外の閑静な住宅地にある。学生時代によくあかりを送っていった道を叔母と歩きながら、ぼくは懐かしさに浸っていた。
「おばさん、あの、玄関に明かりがついている家だよ」
「あら、ちょうど中から2人で、出ていらしたわ」
赤い屋根の一軒家から、待ち構えていたかのように飛び出してきたあかりのご両親に、深々とお辞儀をした。ぼくのせいであかりが行方不明になってしまったようで申し訳ない。
「ご無沙汰しております」
「風間さん……この度は、うちの娘がたいへんなご迷惑をお掛けしまして……こんなことになるなんて……」
「久しぶりだね。あかりのわがままで、申し訳ない……」
あかりの両親が、すまなそうにぼくに謝ってきた。やさしそうな父親とあかりによく似た母親。2人とも歳を取り初老に差し掛かっていた。7年の歳月を感じずにはいられなかった。
「そんな、気にしないでください。それよりも、あかりのことが心配です。置手紙も何もないのですか?」
「はい……なにがなにやら……ずっとあかりのスマホに電話をしているんですが、電源が入っていないみたいで……」
プルルルルルルルル、プルルルルルルルル。
「おい! おまえ! 電話だ! おれが出る!」
そのとき、家の中から電話のベルが鳴り響いた。あかりの父親が家へ駆け込んでいった。ぼくたちもそれを追いかけ、一緒に玄関の中へ入らせてもらった。
「はい、春日です! ……あかり! あかりなのか!」
「え? あかりなの? 無事なの? あかりー!」
「……え? なんだって?」
『……葵の家にいる……心配しないで……』
受話器から、生気の抜けたようなあかりの声が聴こえてきた。
「あかり! 葵さんのところか? あかり!」
『ツーツーツーツー……』
だが、電話はそこで切れてしまった。
「あなた! あかりは、葵さんのところにいるの?」
「そうらしいな……どうしたんだろう? 元気がなかったぞ……。葵さんって学生時代に仲のよかった、あの子だろう?」
「ええ……あおいという名は、あかりの口からは下照さんしか聴いたことがないわ。あかり……いったいどうしちゃったのかしら……」
「おまえ! すぐに携帯で葵さんのところにへ電話しろ! おれはあかりに電話をかけ続ける!」
「はい!」
あかりの母親が年賀状を見ながら葵の家に電話をかけたが、まったく通じなかった。また、あかりの父親がいくらリダイヤルしても、スマホには誰も出なかった。あかりは自分のスマホから電話をしてきたみたいだが、電源が切られている様子だ。
「どうしましょう……葵さんの携帯番号もわからないし……。はがきの住所を見ながら、葵さんの家へ行ってみるしか……」
「あの……ぼくが葵さんのところへ行きましょうか?」
困り果てているあかりの両親のために、イヤな役をかって出た。いまさらあかりに会いたくはないが、関わってしまったからには最後まで責任を持たなくてはいけないような気がしてきた。7年前の償いを、いまこそするべきだとぼくは感じていた。
「風間さん……葵さんの家は奈良なの。母親と2人で住んでいるそうよ」
「奈良ですって! そんな遠くの人と、あかりはどうやって知り合いになったんですか?」
ぼくは葵のことを何も知らなかった。あかりとは同級生だと言っていたから、てっきり同じ高校の出身なのだと思っていた。葵はあまり自分のことは話さず、人の話を黙ってジッと聴いてくれるタイプの女性だったから。
「高校の卒業旅行で、奈良へ旅行したときに知り合ったそうよ。道を教えてもらって仲良くなったって言っていたわ。葵さんはそのあと、すぐに東京へ出てきて就職したの。でも、あかりが卒業したあと仕事を辞めて、実家に帰られたわ。あかりとは年賀状や電話のやり取りぐらいで、それきり会っていなかったと思うんだけど……。いまさら、どうして葵さんに会いに行ったのかしら……」
「そうだったんですか……」
「圭さん、行ってあげてよ?」
見兼ねた叔母が、ぼくに催促してきた。
「はい。やはり、ぼくが奈良の葵の家にあかりを迎えにいきます」
「そうね、それがいいわ! 圭さん、お願いできる? 費用はおばさんが持つから!」
叔母がホッとした表情で手をポンと打つと、ぼくに頼んできた。
「叔母さん、仕事がてら行くから旅費の心配はしなくていいよ。関西方面の歴史に興味があったから、ちょうどいいんだ」
「そう? じゃあ、頼むわね! 春日さん、奈良には甥が行きますので」
「春日さん、あかりと結婚をする意思はぼくにはありません。それでもよろしければ、ぼくに行かせてください」
「風間さん……旅費はうちで払わせてください。結婚うんぬんはあかりのわがままですから、気にしないでください。実はあかり、付き合っていた人と最近、別れたみたいなんです。すごく悩んで落ち込んでいいて……。そのせいなのか、風間さんともう1度やり直したいと口癖のように言うようになって……。偶然、沙織さんに会えたから、無理矢理に風間さんとのお見合いを頼み込んでしまったんです。お二人にはたいへんなご迷惑をおかけしてしまって……今日も散々、待たせたあげくにこんな遠くまで足を運ばせてしまって……本当に申し訳ありませんでした」
あかりの母親が深々とぼくに頭を下げてきた。そうだったんだ。あかりが落ち込んだところなど、ぼくは1回も見たことがなかった。その男のことがよっぽど、好きだったんだな。それで、ぼくと見合いをしたいと言い出したのか。ぼくとあかりはケンカ別れをしたわけではないから、良い思い出だけが彼女の中に残っているのだろう。
「そんな……気にしないでください。ぼくは旅慣れているから平気です。すぐに出発しますので、葵さんの住所を教えていただけますか?」
「はい。下照葵さんの住所と電話番号はこちらです。あかりが東京に戻りましたら、風間さんには今後ご迷惑をお掛けするようなことは絶対に致しません。では、あかりのことをよろしくお願い致します」
「わかりました。では、すぐに行って参ります」
「娘のわがままをお許しください。風間さん、どうぞよろしくお願い致します」
あかりのご両親に頭を下げられ、恐縮しながら叔母と共に彼女の家をあとにした。
あかりの失踪の原因が、7年前のぼくの行動にあるような気がして、罪悪感から責任を感じていた。
「じゃあ、圭さん、お願いしますね。お姉さんにはわたしから説明しておくから。気をつけてね」
「うん。おばさんも帰り、暗いから気をつけてね。あかりをすぐに連れ帰って来るから!」
叔母とは新宿駅で別れた。深夜バスに乗り、ぼくは奈良へと旅立った。




