十五
風間は午前中からずっと、駅前の病院で村長兼院長と郷土史の最終打ち合わせをしていた。
「風間さんのお蔭でいい郷土史料が出来上がりました。感謝に絶えません」
「どうもありがとうございました。院長先生のアイデアで、今後も村を発展させていってください。ぼくに出来る事がありましたら、協力は惜しみませんので」
「ありがとうございます。そのときはまた、風間さんのお知恵をお貸しください。この度は何度も足をお運びいただき誠にありがとうございました。機会がありましたら、またこちらの村をお訪ねください」
「こちらこそ。ご丁寧にどうもありがとうございました。お世話になりました。失礼いたします」
風間は院長に深々と頭を下げ、部屋をあとにした。先方に満足してもらえて、仕事に対する達成感が得られとてもうれしかった。
1階に降りて廊下を進んでいくと、真正面の玄関から美しい夕日が見えてきた。たそがれどきが近づいていた。あきらくんの家にあいさつだけして帰ろうと思い、外へ足を1歩踏み出したとたん、スマホが鳴った。
「はい、風間です」
『風間くん? シオオカです』
四国の塩岡先輩からだった。昨夜のうちに、あきらが無事だったことは連絡してある。今日は陰陽師の里へもう1度行って、あのとき布団に潜り込んでしまったおじいさんを説得してくれているはずだ。
「先輩、どうされました?」
『今、陰陽師さんのとこにいるんだが、伊予石のことがわかったよ。愛媛に行かずともわかった。陰陽師のおじいさんがやっと重い口を開いてくれてね。1日、粘ったかいがあったよ』
「ほんとうですか! 伊予石とはなんだったのですか?」
『【砥石】だよ。刃物を研ぐ、あの石だ。伊予は砥石の名産地だ。それも、刀作りに使われるものだ。刀鍛冶は使い込んだ砥石を神さまとして崇め、御神体にするんだ』
「では、大神家に婿入りした落人が持ち込んだものですね」
『ああ、そうだろう。その御神体の砥石で、割れた鏡を研いで刃物を作ったそうだ。鏡が割れた原因も教えてもらった。大神の陰陽師である奥方が、御神体の鏡で夫とその浮気相手だった女中を殴り殺し、井戸に突き落としたんだ。奥方は割れた鏡の破片で自分の喉を突いて自殺し、同時に子供を産み落としている』
「そうでしたか……そのような恐ろしいことが……。では、石を持ち去ったのは未久という女子高生でしょう。小刀を御神体で研ぎ、襲ってきた猫神を刺したのですね」
『そのことだが……おじいさんが言うには、式神は決して主人は襲わないそうなんだ。碧い目のモノとは、大神家が代々、式神を乗り移させた猫の特徴を記載したものだろうと説明してくれた』
「ええ! そうなんですか? では……タマはあきらくんを襲ったのではなく、彼を殺そうとしていた未久に飛びかかり、反対に殺されたのか……なんとも哀れな……。彼女はそれほどまでに、あきらくんに殺意を持っていたんですね……未久はいま、両親の監視下にあるので、大丈夫だとは思いますが……。猫に刺さった小刀は、そのままお札で封印をしておきました」
『その小刀なんだが……猫に刺さっていたのは、片刃だったかい?』
「片刃? ええ、そうですよ。脇差のような物でした」
『ああ、大きさはそれぐらいなんだが、本物の小刀は……』
「風間さん! よかった! いたいた!」
突然、院長が病院の中から駆け出してきた。
「はい?」
「家内が話があるそうなんだ! ちょっといいかな?」
「ああ、はい! 先輩、すいません! 仕事で……すぐに掛けなおします! ごめんなさい!」
先輩の電話を強引に切り、院長に向き直った。そのうしろには、息を切らした初老の女性が一緒に立っていた。院長の奥さまだろう。ぼくは2人に会釈した。
山の端に夕日がかかりはじめ、あたりが薄暗くなりはじめた。
「悪いね、風間さん。電話中だったのに……」
「いえ。いそぎではありませんので、大丈夫です」
「君が大神家の息子さんの心配をしてるって言ったら、家内がどうしても風間さんに話しておきたいことがあるというので」
「はい、なんでしょうか?」
「わたくしは数年前までこの病院の総婦長をしていたのですが……」
院長の奥さまが、元婦長らしいしっかりとした口調で話しはじめた。
「はい、それで……」
「18年前に大神あきらさんが生まれたのがこの病院なんです」
「え? そうなんですか? なにか、気になることでもあるのでしょうか」
「はい……申し上げにくいんですが、これは医療に関することなので守秘義務を守っていただけますか? 本当はわたくしがこのようなことを暴露してはいけないのですが……」
「ぼくもライターのはしくれです。そのような事情は理解しているつもりです。これからお聞きすることは、絶対に他言しません!」
「わかりました。風間さんを信じます。大神あきらくんが産まれるとき、ご存知だと思いますが彼のお母さまはひどい興奮状態にあって……」
「はい。事件のことは聴いております」
「予定日よりもだいぶ早くに生まれました。難産だったのですが、気はしっかりとしていて……」
「はい」
「どうしてもあきらくんのお父さんの亡くなった日付と息子を産んだ日付を一緒にしたいとおっしゃって……」
「一緒に……したい?」
「はい。この子がご主人の生まれ代わりだと信じて、それを支えにしないと生きていけないからどうしてもとお願いされて……彼女はご主人が亡くなったことを、教えなくとも知っていたのです」
「どういうことですか? まさか……」
「ええ。あきらくんは午前0じ5分過ぎに生まれました。本当の誕生日は今日です。日付を1日改ざんしたのです」
「なんですって……あきらくんが18歳になる本当の日付は、今日だというんですか?」
「はい。そうです」
そんな! そんなことが!
「おまえ! なんということをしたんだ! 医療に携わるものが!」
「ごめんなさい……」
「救急車! それと警察を大神家にお願いします! あと、車! 車を出してください! いますぐに!」
ぼくは、目の前の院長に向かって叫んだ!
「え? は、はい! わかりました! おまえ、早く手配しろ! わたしが車を出します! こっちです!」
「すみません!」
院長と一緒に車に乗り込みながら、先輩に電話を掛けた。
「先輩、さきほどはすみませんでした。あきらくんの本当の誕生日が今日だとわかり、車でいま向かっています。間に合うといいんですが……日が暮れそうなんです!」
『風間くん! さっき片刃と言ったよね? その刃物!』
「ええ、言いました」
『御神体は刺刀という日本刀の一種で小型の脇差だ。惟神という神の意のままにという教えを守り、古代の剣のように両刃なんだ。カミソリのような刃をしているそうだ』
「カミソリですって……!」
風間は自分が大きな勘違いをしていたことに、いま初めて気がついた。あきらくんの父親が殺されたとき、もう1人いたじゃないか!
夕日が完全に沈みそうだ! たそがれどきが終わってしまう! どうか、間に合ってくれ!
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
日はだいぶ傾き、部屋はすでに真っ暗だ。あの音が、すぐそこから聞こえてくる。
ぼくはそうっとドアを開けた。
真っ赤なワンピースの母が、真っ赤な爪で刀を砥いでいた。あたりに香水の香りが充満している。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
「母さん……どうしたの?」
「……あきら。川原で女学生と浮気していたお義父さんを、御神体のこの砥石で殴り殺したのはお義母さんなのよ。お義母さんは女学生の頭を川に押さえつけて溺死させたわ」
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
「……それは……本当のこと?」
「当たり前でしょ! わたし、言ったわよね? 女は愛する男の唯一でありたいの! 他の女なんていらない! あんたの祖祖父とその愛人を井戸に突き落とし、祖祖母は自殺した。大神家の妻は皆そういう運命なのよ! 明ちゃんもそう。認知はするけど結婚はしないって言われたの。だから祠の前から砥石を掘り出して、実家に伝わる刺刀を磨いたの。勝手に婚姻届を出して人形と刺刀を抱いてこの家に来てみたら、明ちゃんは他の女のところへ行くためにシャワーを浴びていたわ……」
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
「……まさか……父さんを……」
「猫が邪魔してたいへんだった。大神家は代々、同じ猫の子孫を飼って式神にしているの。明ちゃんの飼い猫は手負いのまま川まで逃げ、自分の仔に乗り移ったわ。わたしは嫌だって言ったのに、義母さんがどうしてもその猫を飼うっていうんだもの。自分が殺した男が飼っていた猫の子孫よ? 義母さん、マゾなんじゃないの? もう憎まれ口もたたけないけどね。今回は試し切りもたっぷりしたわ。埋めなおした砥石を再び堀り起こし、10日かけて刺刀を磨きあげたの。鏡のように……ピカピカに……」
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
「な……なぜ? どうして? 息子のぼくを……だって、ぼくの誕生日は……母さん……」
「あきらの本当の誕生日は今日なのよ。あんたも東京へ行ったら、帰って来ないんでしょ? わたしを置いていくんでしょ? あきら、ごめんね……魔がやってくるの。大神家の男が18歳になるその日、たそがれどきになるとそれはやってくるの。囁くのよ……殺す殺す殺す殺す……とね」
母という名の魔が立ち上がり、手にした刃が暗闇に鏡のように閃いた。強烈な香水の匂いが近づいてくる。
ガッ!
ドンッ!
「きゃああああぁぁぁぁーっ!」
「ああああぁぁぁぁーっ!」
ガタガタガタガタ――!
ガッタ――――ンッ!
ガッシャー――ン!
ダンッダンッダンッダンッ!
母がぼくに刃を向けたのと、ぼくが母を突き飛ばしたのは、ほぼ同時だった。
手から放たれたスマホが宙を浮く。ぼくらはそのまま階段を滑り落ち、母は玄関の上がり馬渕まで滑って土間に頭を強く打った。ぼくはあまりにもスピードが付き過ぎていたため、母の上を乗り越えて玄関の戸を打ち破り、外階段を滑り落ちていった。
たそがれどきが終わり、すでに森は闇の中だった。
高いところから落とす一族。たしかにそれは、まわり回って子孫への報いとなって表れた。
カッカッカッカッ、カッカッカッカッ。
しばらくすると、階段の上から小さな物体が転げ落ちてきた。ぼくのスマホだ。それは上から十八段目あたりで大きくジャンプするとぼくを飛び越え、向かいの森の中へと消えていった。
『キラキラヒカルーオソラノホシヨー……』
森の奥からキラキラ星のメロディーが流れてきた。吉村、ごめん。ぼくは行けそうにないんだ。それとも優子、君かな? 優子、ぼくも君と同じ気持ちだよって、どうしてさっき言わなかったのだろう。ぼくが唯一愛した女は、このアザを残してくれた優子、君だけだったのに――風間さん、あなたのお蔭で未来を夢みることができて、ぼくは幸せでした。
きれいな満月が夜空に輝きはじめた。今度生まれ変わったら、月になりたい。みんなを見守る美しく無機質な、あの星に。




