十三
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
「え……?」
まただ、また聞こえた。前よりも、音の出方がスムーズになったような気がする。音を出している人間が手慣れてきたから。そんな気がした。
夜明け前なのか、外はまだ暗かった。遠くでタマの鳴き声がする。下の住宅地のメス猫のところから帰ってきたようだ。
風間さんは昨夜、宣告どおり母の手料理を食べずにホテルへ帰ってしまった。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
この音を聞くのも今日限りかと思うと、命を刻むリズムのようで、どうか鳴り止まないでくれと願ってしまった。
光を感じて東側の窓を見た。太陽が昇ろうとしていた。今日で朝日も見納めかと思うと感慨深いものがある。
起き出して西側の窓から川を眺めていると、クスノキの下に人影を見たような気がした。だが、もう気にするのはやめることにした。インフルが治ってよかったなぐらいの考えに留めておいた。
その日は朝から慌しかった。父方の祖母が早くから押しかけてきたため、香水の匂いをプンプンとさせた母がプンプンと怒っていた。母と祖母はソリが合わない。とばっちりを受けたくないぼくは、台所の片隅でタマに朝ごはんをあげていた。タマの食事の世話も今日限りかもしれない。1番高級な缶詰を丁寧に皿に盛ってやった。タマはいつもよりも甘え、ゴロゴロと擦りよってきた。ああかわいいなと、いつまでもタマの頭を撫で続けていた。
約束どおり風間さんが、喪服姿で現れた。命拾いしたような気分になり、ぼくは心底ホッとした。
顔も知らない親戚がいっぱい来ていた。その中に母の両親と兄夫婦がいた。ぼくが今日、死ぬかもしれないから最期に顔を見にきてくれたのだろう。心配そうな様子で大きくなったねと気づかってくれた。母が高校中退でぼくを産んだから、親子の仲は最悪だ。
祖母の再婚相手の親子、ぼくにとっては義理の祖父と叔父がやって来た。2人とも外人なので青い目をしていた。初めてあいさつをした。最初で最後のあいさつかもしれない。知り合いになる意味があるのだろうか。ああ、でも、ぼくのお葬式で泣いてくれるかもしれない。
ぼくは死のイメージから、自分を払底できずにいた。お坊さんのありがたいお経を耳にしても、その思いは変わらなかった。
「あきら……あきら! ちょっと!」
「……なあに?」
法事の途中で父方の祖母に、例の古文書が積んである部屋に呼ばれた。ゲッ、まずい! なんかばれた?
「ここにあった小刀を知らない?」
「小刀? ここに?」
「あったでしょ? この古い箱の中に!」
「箱? 知らないよ。第一ここには、母さんもぼくも普段は立ち入らないよ」
「でも、前に比べて本が片付いているじゃない! 巻き物の類も脇に寄せてあるし」
「そ、それは……」
「あの……すみません。郷土史の研究をしている風間圭と申します」
そのとき風間さんが現れ、祖母に名刺を渡しながら美声を発した。
「まあ……もしかして、こちらの古文書を?」
「はい。失礼かと存じましたが、勝手に拝見させていただきました」
「それは、かまいませんが……」
祖母はたちまち顔をほころばせた。大神家は早婚だから、祖母はまだまだ若い。若い頃は米キャンに出入りしながら祖父と派手に遊びまわっていた不良グループの一員だった。祖父亡きあとは、その仲間の1人の子持ちの米兵と再婚した。赤っぽい茶髪のロングヘアに目のまわりを真っ黒にしたキツイ化粧。今日は喪服だが、いつもは派手な服装をした、いかにも外国ナイズされた女性だ。風間さんの前だとやけにしおらしい。女はいくつになっても、いい男には弱いらしい。
「失礼ですが……床の間に置いてある古い箱の中に、小刀が入っていたというのは本当ですか?」
「ええ。ご存知じゃないかしら?」
「さあ……あの箱の存在に、いま初めて気がつきました。小刀が入っていたにしては横幅がありますね。由緒のありそうな古い箱ですが、元は何か違う物が入っていたのではないでしょうか? たとえば……鏡とか」
「鏡? 詳しくは知りませんが、この前の法事のときまでは小刀が入っていました」
「それは……特別な小刀なのですか?」
「ええ。この家の御神体代わりだからと、亡くなった大神によく言われました。わたしも時々しか見たことがなくて。でも、気になるから法事の度に確認はしていたんですよ」
「そうですか……では、前回の法事から今回の法事の2年の間に無くなったというわけですね。うーん……ところで、御神体代わりとおっしゃいましたが、本物の御神体はどうされたのですか?」
「江戸時代に無くなったと聴いております。だから、代用品の小刀が入れてあると説明されました」
「そうですか……では、もう1つの御神体の石は、なぜ祠の前に埋められていたのですか?」
「……それは……あの……」
「風間さん。その石は、義父の殺害に使われたからですわ」
そのとき、突然やってきた母が、挑戦的な目で祖母を睨みつけながら驚くべき事実を告げた。
「え? そう……だったんですか……」
「華子さん! それは……」
祖母が慌てている。そりゃそうだ。ぼくだって知らなかったよ。
「だって、お義母さん、本当のことでしょ? いまさら、隠しごとはやめましょうよ」
「それは、そうだけど……」
「でしょう? 風間さん、御神体の石は義父の殺害現場に落ちていたんです。元々は、祠の中に納められていました。だから、事件後は祠の前に埋めたそうです」
「そうでしたか……」
風間さんが絶句した。
「華子さーん! お坊さんが帰られますよ!」
「はーい! すみません! いま行きまーす!」
親戚に呼ばれ、母がバタバタと行ってしまった。残されたぼくたち3人は、しばらく唖然としていた。
最初に口火を切ったのは祖母だった。
「風間さんは……なぜ石のことをご存知なんですか? あきらから聞いたんですか?」
「はい、そうです。あきらくんから教えてもらいました。あきらくん、石が紛失したことは……」
「……忘れてた! 母にそのことを、まだ知らせていません!」
「なによ、あきら! なんなの!」
「御神体の石が無くなったんだよ。素手で掘り返されてたんだ」
「なんですって! 誰よ! 誰がやったの? 華子さんの仕業?」
「母さん? 母さんのわけないだろ! 他の誰かだよ……」
「他の誰かって誰なのよ? まさか……また例の女の子たちじゃないでしょうね! あんたはホントに! おじいちゃんたちにソックリなんだから!」
「ちがうよ! あいつらとはとっくに別れたよ! 女とはいま、誰とも付き合ってないってば!」
「そういう問題じゃないでしょ? ちょっと目をかけただけでも、女っていうのは本気になるもんなのよ!」
「だけど、石なんか持っていかないよ」
「わかんないわよ? 恋に狂った女が何をするかだなんて……もしかして、小刀もそうなんじゃないの? 誰か、心あたりはないの?」
「ないってば! やめてよ!」
「まあまあ。でも、石はともかく刃物が無くなったのは問題ですよね。その小刀は、どのような物なのですか?」
たまりかねて、風間さんが間に入ってくれた。いくら優子でも、石や刀は持っていかないだろう。
「刃渡り三十センチほどで、鏡のように光るとてもきれいな物でした。記憶を頼りに再現してあるので、実物とは少し刃の作りが違うらしいのですが……切れ味もいいそうですよ。本物はもっと、芸術品のように美しかったと言い伝えられています。井戸に落ちて無くなったらしいのですが……」
「井戸に? 祠の奥にあった井戸ですか?」
「いいえ。あきらの高校のあたりにあった井戸だと聴いております」
「井戸!」
びっくりして叫んでしまった。あの、破れたフェンスのそばにあった井戸のことかもしれない!
「あきらくん、どうしたの? 知ってるの? その井戸のこと」
「はい。その井戸なら学校で見たことがあります! うちの井戸と一緒で閉鎖されていました」
「そうなの? では、大神家の御神体の小刀は高校の井戸に落ちたままなのかもしれないね」
「そうですね……偶然とはいえ、なんだか恐いです。ばあちゃん、とにかくそんな小刀は見たことないよ。金になりそうだから誰か持っていったんじゃない?」
「あきら……親戚はそんなこと絶対にしないわよ。気をつけてね。今日はあなたの18歳の誕生日なんだから。わたしは今日は泊まっていくから」
「ぼく、これから風間さんの家に泊まりに行くよ?」
「そうなの? でも……明男のためにもやっぱり泊まるわ。わたしのことは気にしないで、いってらっしゃい。あきらは家を離れたほうがいいかもしれないわね」
「うん。なら、旦那さんたちも一緒に泊まりなよ? ふとんもいっぱいあるよ」
「そうね。そうさせてもらおうかしら? 華子さんが嫌がるだろうけど、いいわ! 強引に泊まっちゃおう!」
祖母はサッサと旦那さんたちの元へ戻っていった。やれやれ、どっちも気が強いから大変だ。
「あきらくん、やはり警察に話だけ通しておいたほうがいいかもしれないな。刃物が無くなったのは事実だからね。ぼくから警察に相談しておこうか?」
「風間さん……そうですね。今日は祖母たちがいてくれるからいいけど、正直すごく不安です。母が、親戚とストーカーの件を話し合っている様子もないし……では、お願い出来ますか? 母には、あとで報告しておきます」
「そうだね。とりあえず君は、法事に戻って親戚の人たちにあいさつをしたほうがいいな」
「はい。では、応接間に戻らせていただきます」
「ぼくはもう1度、この古文書を見させてもらうよ。またあとでね」
「誰かにお茶を持ってきてもらいますね。ゆっくりしていてください。失礼します」
「ああ、悪いね。お気遣いなく」
ぼくは応接間に戻り、親戚のおばさんに風間さんのお茶を頼み、母や祖母と一緒にお客の相手をした。夕方になり、やっとみんなが帰ってくれた。
「あきら! タマ知らない?」
「知らないよ。お線香の匂いが嫌で逃げ出したんだろ?」
母はあきらかにイラついていた。無理もない。苦手な義母が泊まっていくのだから。ぼくの誕生日のことも忘れている。いつもそうだ。父の命日で頭がいっぱいで、バースデーケーキはいつも1日遅れだ。
「もうちょっと居てよ! いいでしょ?」
「もうすぐトワイライトになっちゃう! 早く行かせてよ!」
「お義母さんと2人だけにしないでよ! なに話せばいいのよ!」
「義理の父親と息子さんもいるじゃん。母さんの義理の弟でしょ?」
「外人じゃん! わたし英語は苦手だもん! あんた得意でしょ? 受験勉強のつもりで会話してきなさいよ!」
「なに言ってんだよ! ぼく、もう行かないと!」
母は18年前、あんな事件に遭遇したのに危機感がまったくない。こんな性格だから、大神家のシングルマザーとしてやってこれたのだろうけど。
「それと、何よこれ! また、あんたのファンからの嫌がらせなの?」
母が台所の隅を指差した。
「え? なんだよ、それ?」
タマが食べ終わった皿の上に、皮を剝いた腐ったりんごが1個、置いてあった。
「誰なのよ! おかしいんじゃないの? その子! いつの間にうちに入ってきたのよ! 猫じゃあるまいし!」
「知らないよ! 親戚のいたずらじゃない?」
「大人がこんなこと、するわけないでしょ!」
「そうだけど……」
たしかに、おかしい。でも、優子がこんな真似を? りんごの近くにしゃがみ込み、よく観察してみた。やけに皮が丁寧に剝いてある。何かの儀式みたいで、ゾッとした。
「あきらくん、遅くなってしまったね! とりあえず、ぼくの泊まっているホテルでいいから行こう!」
シビレを切らした風間さんが、ぼくを呼びにきた。ぼくも早く、風間さんと東京へ行きたい!
「はい……でも……りんごが」
「りんご? え? これは……何かな?」
「わかりません。嫌がらせかもしれません」
「例のストーカーかな? お母さま、今日、不審な人物を見かけませんでしたか?」
風間さんが、ぼくの頭上から腐ったりんごを覗き込みながら母に質問をした。
「わかりません……今日は忙しかったから、居たとしても気がつかなかったと思います」
「そうですね……」
「風間さん、もうちょっと居てくれません?」
母が風間さんを両手で拝んで無理を言いはじめた。今日の母はいつもの真っ赤なスカートではなく、真っ黒な喪服を着ているから殊勝な女性に見える。かわいこぶったってダメなものは、ダメだからな!
「では……たそがれどきが終わったら、またこちらに戻って参ります。あきらくんはこの時間帯だけでも、家から離れたほうがいいと思うんです。勝手なことを言って申し訳ありません」
「わかりました……」
母もやっと、あきらめてくれたみたいだ。ぼくは玄関に置いたカバンとスマホを手に取り、サッサと靴を履くと母に向き直った。
「じゃあ、母さん、そういうことだから! タマにはちゃんと缶詰あげてよね!」
「なによ! 東京で遊ぶことばっかり考えて! 都会の女には気をつけなさいよ! 田舎の子とちがって気が強いからあんまりひどいことすると刺されるわよ!」
「なんだよ! すぐに戻るって言ってんだろ! それに、東京にはナンパしに行くんじゃないよ。まったく……風間さん、下で待ってます!」
ガラッ!
玄関を出て、すぐに階段を下りはじめた。あたりはうっすらと暗くなりはじめ、遠くの山々が赤く染まっていた。ぐずぐずしていると、たそがれどきになってしまう! いそがないと! ん? いま、祠のあたりで人影が動いたような気がする。
『キラキラヒカルーオソラノホシヨー……』
突然スマホが着信を知らせてきた。静まり返った森の上を、キラキラ星のメロディーが流れていく。手にしたスマホを耳にあて、思わず電話に出てしまった。
『殺す殺す殺す殺す……殺す殺す殺す殺す……』
「わあああぁぁぁぁー!」
ガッガッガッガッ。
階段から転げ落ちそうなほどビックリしてしまい、スマホから手を離してしまった。それは回転しながら落ちていき、階段の1番下でものの見事に大破した。
「ハアハア……ハアハア……」
「あきらくん!」
「あきら!」
びっくりした風間さんと母が、玄関から飛び出してきた。
「すみません……変な電話がかかってきたから、ビックリしてしまって……」
「大丈夫? どんな?」
「いま流行りのイタ電です。みんなのところにもかかってきていて……」
「そうなんだ……。あれ? ぼくも電話だ。ちょっと失礼」
風間さんが庭の隅へ移動して電話をはじめた。
「ちょっと、あきら! びっくりさせないでよね! あ! スマホが壊れてる! どうすんのよ! あれ、高いんだから! あんたってホント、ろくなことしないわね!」
母が階段の1番下を見つめながら、小言を言いはじめた。
「おこづかい貯めて買ったんだからいいだろ! わざとじゃないし」
「月々の通信料はわたしが払ってるんだからね! もうスマホは買ってやらない!」
「いいよ! まだお年玉の残りがあるから……」
ブツブツ文句を言いながら、スマホを回収しようと階段を下りはじめた。
「あきらくん! 待って! 戻ろう!」
突然、風間さんがスマホを片手にぼくを呼び戻した。
「どうしたんですか? ぼくはスマホを……」
「それはあとにしよう! とりあえず、玄関へ入って! お母さま、すみません。もう1度お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「ええ! どうぞ、どうぞ! あきら! 残念だったわね? 東京行きはお預けよ?」
「ちぇっ!」
スマホはあきらめ、渋々大人たちに従った。風間さんは再び電話をはじめた。まったく! 早く成人したいよ。今年から選挙権がもらえて本当によかった。
「どうしたんですか?」
電話を終えた風間さんに質問した。あんなに大神家を早く出たがっていたのに。
「いま、四国の先輩から電話があって……」
風間さんが、四国の先輩との会話を語りはじめた。
「はい、風間です」
『風間くん? 元豪田のシオオカです』
「先輩! この前はお世話になりました! いろいろとありがとうございました。奥さまにもよろしくお伝えください」
『ああ……そんなことより、こっちはもう日が暮れているんだが、そっちはどうだ? 何もなかったか?』
「はい。もうすぐたそがれどきです。まだ大神家の玄関にいるので、そろそろあきらくんと一緒に出掛けようかと……」
『そうか、無事か……一旦、家に入ってもらってもいいかな? 気になることがあるから、先に知らせておこうと思って』
「気になることですか? じゃあ……あきらくんを呼び戻します。しばらくお待ちください」
風間はあきらを家の中へ呼び戻し、再びスマホを耳にあてた。
「おまたせしました。続きをお願い致します」
『このもんの目は碧く光り輝き真白き肌と共に夜の闇を切り裂く、という記述があっただろ?』
「はい」
『あれはこのとおりの意味で、青い目で白い肌のモノを差しているのではないかと思うんだ』
「青い目? 外人ですか?」
『そこまでは、わからない……でも、あきらくんの身の回りに、これに該当するモノがあるかもしれない。探してみてくれ。ところで、刀の御神体のことは何かわかったかい?』
「そうだ! 先輩、大神家から御神体代わりの小刀が無くなっています!」
『代わり? 本物ではなく?』
「はい。本物は江戸時代に井戸に落として紛失したそうです」
『代用品の小刀が無くなったのは、いつだ?』
「わかりません。今日、あきらくんの祖母が無くなっていることに気がついたのですが、最後に見たのは2年前だそうです。小刀が入っていた箱が残されているのですが、形や大きさからして、元々は鏡が入っていた物だと思われます」
『そうか……』
「はい。そもそも、なぜ御神体だった鏡が割れてしまったんですか?」
『そこまでは、調べがついていないんだ。何か書いてあるんだが、どうしても読めなくて。陰陽師の隠語だからわからないんだよ。明日、もう1度あの陰陽師のところへ行ってみる。それと、もう1つの御神体の伊予石のことなんだが……』
「何かわかりましたか?」
『いいや。伊予というのは昔の愛媛県のことだ。伊予は石の産地として有名だった。明日、陰陽師に会ったあと飛行機か電車で、愛媛にある昔の石切り場の近くまで行ってみるよ。土地の年寄りなら、何か知っているかもしれない』
「そこまでしていただいて……本当に申し訳ありません」
『気にしないでくれたまえ。頭を突っ込んでしまったから、最後まで付き合わないと気がすまないだけだ』
「ありがとうございます。そう言っていただけると心強いです。では、引き続きお願い致します」
『おう! じゃあ、気をつけろよ! 陰陽師が言うには、魔は狙った相手を必ず追い詰める。策を弄し長い時間と労力を掛けて確実に相手を仕留めるそうだ。くれぐれも、気を抜くなよ!』
「はい!」
風間さんの先輩の話からすると、祖父が書き込んだ謎の言葉が指し示すモノが、ぼくの身の回りにあるかもしれないということだった。
「風間さん、じゃあ……ばあちゃんが言ってた小刀って、元は御神体の鏡だったんですか?」
「ああ、そうだと思う。誰が持ち出したんだろうな。それより『このもんの目は碧く光り輝き真白き肌と共に夜の闇を切り裂く』という記述だ。青い目のモノって何か心当たりがあるかい?」
「風間さん、タマノリは人間同士だけでなく、無機質な物にも起こると言いましたよね?」
「ああ、そうだよ」
「フランス人形! 人形の目は青ですよ! 肌も真っ白です!」
「フランス人形……ホントだ……」
ぼくらはフランス人形に目をやった。それは真っ赤なスカートをひろげ、うす暗い玄関で不気味に微笑んでいた。風間さんがメンズトートからお札を取り出して人形に貼った。顔にお札を貼られ、のっぺらぼうになったフランス人形を、2人で黙って見つめた。
そのとき、パッと玄関の明かりがつけられた。
「どうしたの? こんなうす暗いとこで? 早く入ってきなさいよ」
母だった。
「ああ! ひっどーい! なにこれ! わたしの人形になんてことを!」
「すみません。封印させてください。おねがいします」
風間さんが母に頭を下げ、丁寧に謝った。
「風間さん、何かあるんですか? この人形……さっき、また倒れてたんですよ?」
「母さん! それ、ホント?」
「うん。直しておいたけど。あんたじゃないの?」
「ちがうよ……」
「この人形は、どうされたんですか?」
「実家から持ってきたんです。わたしの祖母の形見です。わたし、人形が大好きだから小さい頃から大事にしてたんですよ。こんな……キョンシーみたいになっちゃって……」
「明男さんが亡くなったときも、この家の中にあったのですか?」
「はい……明ちゃんが亡くなった日は、この人形を初めてこの家に運び込んた日でした……」
ぼくは確信した。これだ! これがタマノリのヨリシロになっていたんだ! だから、ときどき倒れていたに違いない。早く気がついてよかった! 風間さんのお蔭だ。
「もう少しでたそがれどきだ。結局、この家から離れることができなかったね……」
「はい。近づいています……それが……やってくる時が……」
ぼくと風間さんは、見るともなしに玄関の入り口を見ていた。ガラスの嵌めこまれた昔ながらの引き戸が薔薇色に染まっていく。もうすぐ日が落ち、宵闇が忍び込んでくる。その1歩手前で、あのたそがれどきがやってくるのだ。いよいよだ。ぼくらは固唾を飲んで見守った。
「そうだ! 念のためにりんごにもお札を貼っておこう! とても禍々しい気を感じたんだ」
風間さんがそう提案してきた。たしかに、あの腐ったりんごは不気味すぎる。
ぼくたちは台所へ行き、あらためてタマの皿に載せられたりんごを見つめた。
「ずいぶんキレイに皮が剝かれているね? ぼくは料理が苦手だから、こんな器用な芸当は出来そうにないな」
「これぐらいのこと、女子は誰でも……」
優子のことを思い出した。彼女は料理が大好きで、特に野菜や果物の皮剝きが得意だった。優子。いまごろどうしているのだろう? さっき見た祠のそばの人影は、やはり優子だったのだろうか? だとしたら、この腐ったりんごが伝えるメッセージとは、いったいなんなのだろうか?
「どうかした?」
「いえ……お札をお願いします」
「ああ、そうだった……」
風間さんがメンズトートからお札を出し、腐ったりんごに貼った。それを見て、ぼくはなんとなく釈然としなかった。りんごの剝き方が、なぜかとても気になった。
「どうして、りんごや人形にお札を貼っているの?」
いつの間にかうしろに立っていた母が、不思議そうに質問してきた。香水の匂いが鼻につく。
「大神家の古文書に『このもんの目は碧く光り輝き真白き肌と共に夜の闇を切り裂く』という記述があるからです。青い目のモノに魔が宿っているんだと思います。この腐ったりんごは、気味が悪いので一応、封印しておきました」
風間さんが、若干イラつきながら答えた。無理もない。もうすぐそのときがやってこようとしているのに、母がいつまでも悠長に構えているからだ。
「あら、でも……青い目なら、義母の旦那さんや義理の息子さんもそうよね? 義母さんってば、自分の死んだ旦那の親友と結婚するんだもん! あきら、知ってた? 義母さん、不倫だったのよ。結婚する直前まで、相手には奥さんがいたの! いくらわたしでも、それは出来ない……」
「風間さん!」
「ああ!」
ぼくと風間さんは全速力で家の奥まで走りこみ、祖母の一家がいる部屋の障子をいきなり開け放った!
「な、なに? あきら? どうしたのよ! 突然!」
そこには、喪服姿の祖母が1人でお茶を飲んでいるだけだった。
「あれ? ばあちゃん! 旦那さんと息子さんは?」
「帰ったわよ。2人とも、出掛けるところがあるんだってさ。華子さんと2人だけだなんて、つまらないわねー。明男もどうして華子さんだったのかしら? 他にも付き合ってる子はたくさんいたのに。あれ? あきら、まだ行かないの?」
「……うん。もしかしたら行かないかも」
「そうだ! 誕生日プレゼントはいつもどおりにお金でいい? はい、これ。どうせ華子さんは、今日もあきらの誕生日を忘れているんでしょ? いつも明男の命日のことで、いっぱい、いっぱいなんだから!」
祖母がお金の入った封筒をぼくに寄こした。
「ばあちゃん、いつもありがとう……母さんは1日遅れで毎年やってくれるよ」
「でも、今年は18歳になる特別な日じゃない? あんたは長生きしてね」
「ばあちゃん……」
「あの……突然、踏み込んで申し訳ありませんでした。では、ご主人と息子さんは帰られたのですね?」
風間さんが恐縮して祖母に謝った。
「はい。ずいぶん前ですよ」
「本当に、失礼いたしました……あきらくん、やっぱり青い目はお人形かもね。ぼくは玄関にいるよ。君はここにいてくれ」
「わかりました……」
風間さんは玄関のフランス人形の元に戻っていった。
『ニャオーン!』
そのとき、裏からタマの鳴き声がした。
「あきらー! タマが裏口から帰ってきたみたい! ちょっと、開けてやってよ! わたしは台所で手が離せないから! ひとりで大勢の夕食の準備をするのは大変なんだから! あーあ! 女手が欲しい!」
母さんが祖母に嫌味を言いつつ、ぼくに命令してきた。祖母はそ知らぬ顔で茶を飲んでいる。この、若くして未亡人になった2人の女は、どっちもどっちの攻防戦を会う度に繰り広げている。風間さんのところにまで聞こえるぐらいの大声出しやがって! なんでこのタイミングなんだよ! でも、タマに罪はないもんな。朝から法事で追い出され、おなかを空かせているのだろう。仕方がないなとため息を吐きながら重い腰を上げて裏口へ向かった。たそがれどきが近づき、廊下の先はすでに暗くなっていた。裏口の明かりをつけて、ドアノブに手をかけた。
――うしろの物置のドアが開いたことには、まったく気がつかなかった。
そのとき風間は、暗くなりはじめた玄関にいた。人形の青い目だけが不気味に光っていて、なんだかゾッとした。突然、スマホが着信を知らせた。
「はい、もしもし? 風間です」
『風間くん! たびたびすまない。もう、たそがれどきになってしまったかい?』
「先輩? どうしました?」
『たった今、陰陽師さんから電話をもらったんだ! 思い出したことがあると言って』
「それは、なんですか?」
『昔の表現で碧いはブルー、青ではなくグリーン、緑色のことを指し示すそうなんだよ』
「え? 青ではないんですか? 緑色? そんな瞳の人形、いるかな?」
風間はスマホを片手に、たくさんある人形の瞳を1つ1つ確認していった。あたりはうす暗くなりはじめ、たそがれどきがやってきた。ジワジワと闇が迫ってくる。
『それと、大神家は御神体が壊れたあと、犬神が作れなくなったと言ったよね?』
「はい」
『だから、他のケモノを式神として使役していたそうなんだ』
「ケモノ? なんのケモノですか?」
『猫だよ』
「猫ですって! もしや……あきらくん!」
『それで……風間? 聞いてるか? もしもし、もしもし!』
「あきらくん! だめだ! 開けちゃいけない! タマは!」
風間はあきらの元へと、走り出していた。




