十一
――風間の話は今週の日曜日、彼があきらの村から東京へ帰ったところからはじまる。
風間は自宅に帰ると、すぐに大神家の古文書を四国の先輩の元へ送り付けると、自身は院長から請け負った郷土史の編纂に没頭した。雛形を作り上げると出版者に行き細かい打ち合わせを済ませ印刷の段取りをした。その後数日は急ぎの仕事にいくつか取り組んだ。木曜日の午後に古文書を送った四国の先輩から電話がきて、どうしてもわからないところがあるので大神家のあった山奥の村まで調べに行ってくると予定を告げられた。風間はひどく好奇心をそそられ、自分も一緒に行くと先輩に言い捨て、そのまま羽田へ向かい四国行きの最終航空便に飛び乗った。その日の夜は高知の駅前のビジネスホテルに泊まり、次の日の朝1番の電車に乗って、深い山間にある先輩が暮らすH村を訪れた。現役の陰陽師が多く活動している土地で、閉鎖的な雰囲気が色濃く残る寒村だった。この村の高台にある大きなお屋敷に風間の大学院時代の先輩、豪田秋成が住んでいた。学年も歳も1つ上で背も高く恰幅もよく、面倒見のいい名前のごとく豪胆な男だった。彼の結婚式は東京で執り行われたのだが、婿入りする四国の旧家に負けずとも劣らない立派な家系の出身だった。政界財界の賓客を前にして、逆タマだとウワサしていた口さがない連中は一様に口をつぐんだ。それが妙に痛快で、飲めない酒を何杯も飲んでしまったのも記憶に新しい。もう5年も前の話なんだと感慨にふけっていると、ひなびた商店の前でバスを降りた風間のすぐうしろに黒塗りの高級車が停車した。車の窓を開けて声を掛けてきたのは豪田先輩、いや、今は塩岡家の婿養子となった塩岡秋成先輩その人だった。
「風間くん! 久しぶり! わざわざこんな田舎まできてもらえるなんて感激だよ!」
「先輩! お久しぶりです! お世話になります!」
「あいかわらずかっこいいね、君は。美声も健在か。さあ、乗って、乗って。陰陽師さんが住んでいるのは、ここから更に山の奥なんだ。話はつけてあるから!」
「はい!」
短気な先輩らしい展開の早さに戸惑いながらも、すぐに助手席に乗り込んで話をはじめた。
「急に申し訳ありません。不思議な話なので、信じてもらえないかと思いました」
「こんな異郷に住んでいると、どんな奇妙な話だって信じたくなるよ。ましてここは陰陽師の里だ。伝説やおとぎ話がまかりとおる世界だよ?」
「そんなに浮世離れしていますか?」
「ああ。たぬきとムジナと老人しかいないんだぜ? なんだって信じたくなるよ」
先輩の横顔のはるか向こうにある高い山を見つめながら、右へカーブしていくこの道はあの山の先のほうまで通じているのだと先読みし、目的地に到着するまで相当あるなと覚悟を決めた。
「昼飯は妻が郷土料理の弁当を持たせてくれた。腹が減ってるなら、先に食ってくれ」
「いえ、大丈夫です。どこかで一緒に食べましょう。運転もいつでも代わりますから、遠慮なく言ってください」
「ありがとう。だが、ここいらの道はカーブが多くてよそ者には無理だ。疲れただろ? かまわないから寝てくれ」
「ありがとうございます。できれば、調査結果をお教え願いたいのですが……」
「ああ……これから行く山奥の村は犬神遣いの陰陽師の里だ。『大神家』というのはその村の小山のてっぺんに住んでいた陰陽師で、とても怖れられていたそうだ」
「どうしてですか?」
「大神家が呪詛に使うのは犬じゃない。狼だったからだ」
「狼を?」
「ああ。だからオオカミとい苗字らしい。狼を捕まえ首まで地面に埋めて目の前にえさを置き、1週間つないで放置する。するとそれは、ケモノの神になる」
「神に? どうやってですか?」
「死ぬほど腹を空かした狼の魂がついには体から抜け出し、えさに食らいつくそうだ。だが、そのときには元の体に狼の魂が戻れない状態になっている。陰陽師が首を切り落とすからだ。その狼の霊をヨリシロになる人間に乗り移らせて、依頼を受けた人間を殺すそうだ。神というより悪霊を作っていたんだな」
「そんな恐ろしいことを……。大神家はなぜ、狼を使ったのですか?」
「狼の力のほうが犬よりも強大だったからだ。犬神遣いの中でもトップを誇り、財を成していったらしい。あるとき、都から逃れて来た刀鍛冶の男を匿いそのまま婿にとった。この男はたいそう美しく頭の良い男だった。だが、ある日のたそがれどき、男は飼い猫と女中と一緒に井戸で溺れ死んでいた。その際、大神家の女当主であった男の妻が子供を出産して自害している。夫婦共によわい18の若さだった。以降、大神家に生まれた男子は18歳の誕生日に亡くなると噂されるようになった。また、実際にそのとおりであったと村では伝えられている」
「……その呪いを解く鍵はなんでしょうか?」
「呪い? 呪いかどうかはわからないが、その騒ぎの最中に御神体が破壊され、それが原因で大神家は狼を使役する能力が無くなり、陰陽師の仕事が出来なくなったそうだ」
「御神体とはどのようなモノなのですか?」
「普通、御神体は鏡じゃないのか? 村で陰陽師さんにその点を詳しく聴いてみよう」
ぼくたちは途中の高台にあった空き地に車を停め食事をした。この土地特有の鯖の姿ずしや鮎寿司に、イタドリの炒め物やうつぼの唐揚げなどが入ったとても豪勢なお弁当だった。おいしい食事に舌鼓を打ちながら、眼下にひろがる素晴らしい景色を眺めた。高い山々や豊かな水は、どことなくあきらくんの住む村の風景に似ていた。故郷を懐かしみ、大神家がK市のあの村を永住の地に選んだこともうなずける。とんびが輪を描く様子をのんびりと見つめながら、のどかな雰囲気に浸ってしまった。
結局、一時間半ほどの行程を経て山深い寒村へと到着した。家は数えるほどしかないが、その土地の構造はあきらくんの住む村と驚くほどよく似ていた。小山の上の朽ち果てた屋敷の下には、あきらくんの部屋から見た桜の川をほうふつとさせる小川が流れていた。
「ここからは車が入れないから歩きだ」
「はい」
ぼくはメンズトートを肩に掛け、先輩と一緒に細い山道を歩きはじめた。川沿いに上がっていくと、奥まった場所に白木の鳥居があり、その奥に昔ながらの田舎屋があった。民話のふるさとに迷い込んだかのような錯覚を憶えた。
先輩が敷居をまたぎ、うす暗い家屋の中へ向かって声を掛けた。
「ごめんおせ。H村の篠崎やけど、話を伺いにきちゅう。だれかいやーせんか?」
「はい。いらっしゃいませ。東京からお客さんを連れて来るってゆうてた人なが?」
奥から白装束の初老の男性が出てきた。この人が陰陽師なのだろう。
「はい。そうやか。おじゃまするがで。今日はお世話になるがで」
「お世話になります」
僕もうしろからあいさつをした。
「奥にどうぞ。じいちゃんはぼっちり起きちゅうががやき。はや90ねきの高齢やけど耳は遠くないがでふとぅうに話せますから」
「失礼するがで」
「おじゃまします」
案内された奥の座敷にふとんが敷かれ、寝巻き姿の白髪の老人が寝ていた。僕たちを見ると起き上がり、頭をちょこんと下げてあいさつをしてくれた。この人もたぶん陰陽師で、白装束の男性の父親なのだろう。2人で会釈して布団のそばの座布団に座らせてもらった。先輩が古文書を取り出してさっそく話をはじめた。
「この本がそうなんやけど……」
だが、古文書を目にした途端、老人が震えだした。
「そ、ほりゃあ大神の物じゃーないがなが? なきほがな恐ろしい物を……」
「え? ご存知やったか? ほがーに恐い物なんなが?」
「ああ! ほがな物は焼き払ってくれ! 見たくない! いきくれ! 二度と来ないでくれ!」
「ええ! ほがな……じんば……」
先輩も僕も困ってしまった。
「じいちゃんってば! こりゃめぇったな。こうなると手がつけられんんぜよ。年寄りやきいごっそうで。塩岡さん、すいやーせん。じゃー、あしが見てみましょう。こんまいところまじゃーわかり兼ねるがでが、陰陽師に関することならあしでもわかるにかぁーらん」
見かねて、さきほどの白装束の男性が助け舟を出してくれた。彼が代わりに古文書に目を通してくれるらしい。
「はよぅへちに行ってくれ! とっとと出てってくれ! おんしも大神にゃいらわるな! 祟られるぞ!」
老人はふとんを被り、ガタガタと震えだした。
「はい、はい。じゃー塩岡さん、へちの応接間へどうぞ。申し訳ないきね」
陰陽師の男性が、隣りにある応接間へ行こうと声をかけてくれた。
「いんにゃ。こっちこそ押しかけてしまって。ほがなおおごとな物とはしらんかった。じんば、申し訳あらんかった。お邪魔しちゅう。失礼するがで」
「失礼しました。急に押しかけてしまい、たいへん申し訳ありませんでした」
ぼくは先輩と一緒に老人に詫び、彼の枕元から立ち上がった。その際に視線を感じ、思わず振り返った。老人が布団の隙間から、鋭い眼光を投げ掛けてきた。ぼくはすぐに理解した。声無き心の声、テレパシーで話しかけてきたのだ。むかし、岡山の行者さんとやった会話方法だ。彼はこう言った。
『人の運命に介入するな。抵抗すりゃー抵抗するほど相手の圧力は増し力は強大になる』
奇しくも、亡くなった行者さんと同じ言葉を発していた。
「けーらをちーと見てつかあさいますか?」
ぼくと先輩は応接間のソファに、白装束の陰陽師の男性と向かい合わせに座った。先輩が男性に古文書をすべて渡し、見てくれるように促した。
「さっきじいちゃんが大神家のがだとゆうちゅうね。そうながかぇ?」
「はい。関東の大神家からあいとがかってきたもんやか。意味がわからん用語がこじゃんとあって」
「ちっくと失礼。ああ、こりゃあー……」
それらを一目見た途端、男性は黙り込んでしまった。だが、最後まで全部目をとおしてくれた。しばらく経つと口を開いた。
「どの辺がわかりやーせんか? この中にゃ我々陰陽師の秘儀がこちやと書かれちゅうが。禁忌の術まで細かく記載されちゅうが。全部は解説できやーせんが、差しさわりのないところならご説明して差し上げますよ」
「この字がどうしたちわからんきす。なんと読むのにかぁーらんか? このもんの目は、の次からやか」
「ああ、こりゃあーこの部落独自の字で、梵字に勝手にカナを宛てたもんやか。『このもんの目は碧く光り輝き真白き肌と共に夜の闇を切り裂く』やき」
「ありがとうございます。意味はわかるがでにかぁーらんか?」
「さあ、そこまではわからん」
「そうなが。せーと、大神家の御神体は何じゃったがかぇ?」
「元々ここいらんくの御神体は鏡なんだ。ああ……ここに割れたと書いてありまどくれ。ほき伊予石を代わりに御神体にしたそうやか。でも、割れた鏡も加工したとあるがで」
「伊予石たー? 割れた鏡はなんに加工されたのじゃろうか?」
「石のこたーよくわからんが、鏡は刃物に変えたそうじゃ。けーらは組みにして使われるとある」
「刃物に? 石と組みに? セットでっちゅうことじゃろうか?」
「先輩! どういうことですか?」
ぼくは思わず質問した。方言がきつくてよくわからない箇所があったからだ。
「ああ……御神体は鏡だったが、割れたから刃物に加工して伊予石とセットにしたそうだ。あと、どうしても読めない字があったから見てもらったら、『このもんの目は碧く光り輝き真白き肌と共に夜の闇を切り裂く』という意味だった。たぶん明男の父親が記入したものだろうということだ」
「そうですか……」
明男の父親、あきらくんの祖父が家系図に書き込んだ文章が残されていた。でも、意味がわからない。大神家の御神体は伊予石と刃物だった。石? まさか! 祠の前から掘り返されていた石というのが、その御神体なのだろうか?
「ところで、大神の家が高いところから落とす一族と呼ばれとったんは知っとるか?」
陰陽師の男性が古文書を捲りながら、思い出したように口を開いた。
「え? どうゆー意味じゃろうか?」
「鏡が割れて霊能力がのうなり、陰陽師の仕事が出来なくなったあと、都から訪ねてくる貴族を金銀を奪う目的であの小山から落として殺しとったのじゃ。せーで大神家は大金持ちになったんじゃ」
「なんっちゅうことを……」
「せーが朝廷の役人の耳に入り討伐隊が編成されたんじゃ。せーで大神家は殺される前に夜逃げしたんじゃ」
「そうじゃったんじゃろうか……せーで関東まで逃げ延びて行ったんじゃのー」
「たいてーは。じゃけど、朝廷は大神家に呪いを掛けた。御神体が壊れ大神家に霊能力がのうなったときとおんなし状況が、彼らが絶えるまで繰り返されるように魔を放ったんじゃ」
「魔を?」
「ああ。せーはたそがれどきに活動をはじめ、10日かけて準備をする。ほんでぜってー仕留める。犬神のように」
「犬神のように……風間くん、君が言ったように大神家には呪いが掛かっていたようだな……それも、朝廷の……」
「では、その呪いはどうやって解けばよろしいのでしょうか?」
ぼくは確信した。これがあきらくんの恐れていた魔の正体だ!
「朝廷がかけた呪いを解く? そねーなこたーぜってーに出来ねー。でーもが知る歴史上の陰陽師が放った魔だぞ? 呪い返しやらなんやらしてみろ。せーはなん倍にもなって跳ね返り、しまいにこの村ごと滅びてしまうんがオチじゃ。なんとか回避することだけを考えるんじゃ。うちたちが逃げ延びる手段だけを講じろ。大神家はそうやって今まで生きながらえてきたはずだ」
陰陽師の男性が恐ろしいことを言う。
「そんな……では、どうにもしようがないという事ですか? 大神家が代々やってきたように、18歳になるまでに子孫をつくるより他に方法はないと?」
「そうなるんじゃ。ところで、御神体は今はどうなっておるかわかるんじゃか?」
「御神体ですか? たぶんですが、石は地面に埋められていましたが最近、何者かに掘り返され持ち去られました。刃物はぼくにはわかりません。大神家の人間なら知っているかもしれませんが……」
「なんじゃて! 御神体が持ち去られたのじゃろうか? この古文書にゃー大神家に放たれた魔が発動するとき御神体が加担するとあるんじゃ。大神家のしめーの子孫あきらの誕生日は……明後日じゃねーじゃろうか! せーであなた方が来られたのじゃのー? だとしたら、魔ははあ活動を開始しとることになる」
「魔がすでに発動している……。では、大神家からあきらくんを連れ出せば、回避できますか?」
「せーはどうじゃろうか? 魔はぜってーヨリシロにとりつき、せーに仕事をやらせる。遠くに逃げても追いかけてくるかもしれん」
「そんな……」
タマノリが魔の意思で行われるだなんて! なんと恐ろしい呪いなのだろう。だが、なんとしてでも、あきらくんを助けなければ!
「お札を書いてあげろう。魔ははあ動き回っとるが、せーが入っとった祠があるはずじゃ。そこに貼りなさい」
「祠? ありました! では、元々はあそこに……」
「そうじゃ。魔は10日かけて準備をする。奴ははあ虎視眈々と大神家を狙っとる。きゅーつけるんじゃぞ!」
「はい! 先輩! ぼくはお札をいただいたら、すぐに大神家へ向かいます!」
「ああ、そうしたほうがいい! 陰陽師さん! どうもありがとうございました。すぐに彼を東京に帰します!」
こうして風間は、陰陽師の里をあとにしたのだった。




