EP 6
冷えた缶ビールと枝豆の買収劇。頑固なドワーフ職人を『現場の流儀』で懐柔する
ポポロ村の地下に広がるドンガン地下帝国の連絡坑道は、ひんやりとした湿気と、強烈な土埃の匂いに満ちていた。
カカン、カカンと、硬い岩盤を穿つツルハシの音が等間隔に響き渡っている。
明かりは壁に掛けられた魔石のランタンのみ。薄暗い通路を、坂上真一は靴音を忍ばせることもなく堂々と歩いていた。
やがて、坑道が少し開けた採掘現場へと出る。
そこには、身長は人間の胸ほどしかないが、横幅と腕の太さが丸太のような異種族――ドワーフたちが十数人、汗まみれになって岩壁と格闘していた。
「おい、そこの人間。ここは遊び場じゃねえぞ」
野太く、地鳴りのような声が響いた。
見れば、一際立派な赤茶色の髭を蓄えた初老のドワーフが、巨大なハンマーを肩に担いで坂上を睨みつけていた。筋肉の鎧を纏った彼の体からは、むせ返るような鉄と火の匂いがする。
「お前さんたちの親方か。ワシはポポロ村の防衛顧問を務めとる、坂上という者じゃ」
「防衛顧問だぁ? 知らねえな。ドンガン地下帝国の領分に、ひ弱な人間が何の用だ。観光ならとっととケツまくって帰りやがれ。俺たちは忙しいんだよ」
親方はシッシッと手を振る。ドワーフは鍛冶と採掘のスペシャリストであり、その技術力に絶対の誇りを持っている。魔法に頼り、腕力のない人間を本能的に見下す傾向があった。
坂上はその挑発に乗ることもなく、スッと視線を坑道の天井へ向けた。
木材で組まれた『支保工(トンネルの崩落を防ぐ骨組み)』の一部が、地下水の染み出しによって腐食し、ミシミシと嫌な音を立てている。
「親方。仕事の邪魔をする気はないが……そこの右側、三本目の柱のくさびが緩んどるぞ。その上の岩盤、亀裂が走っとる」
「あぁん? 素人が知ったふうな口を――」
ドワーフの親方が鼻で笑い飛ばそうとした、その瞬間だった。
メキィッ! という轟音とともに、坂上が指摘した支保工の柱が折れ曲がり、数トンはあろうかという岩の塊が、真下で採掘していた若いドワーフの頭上へと崩れ落ちてきたのだ。
「うわあああっ!?」
「おいっ、避けろぉっ!!」
親方が叫ぶが、間に合わない。誰もが若いドワーフが潰されると確信した。
だが――彼らの視界を、一陣の風が駆け抜けた。
「ふんっ!」
坂上が、信じられない速度で踏み込んでいた。
彼は落下してくる巨大な岩盤の下に滑り込むと、両足を肩幅に開き、腰を落とした完璧な姿勢で、その岩塊を素手でガシィッ! と受け止めたのだ。
「なっ……!?」
「バカな!? 人間が、あんな大岩を受け止めるだと!?」
ズズズンッ! という重低音が響き、坂上の足元の地面がひび割れる。
『闘気』で肉体を極限まで強化した坂上は、額に薄っすらと汗を浮かべながらも、顔色一つ変えずに岩を支え続けていた。
「おい若いの、早くそこから退け」
「ひ、ひぃぃっ! あ、ありがとうございますっ!」
「親方! 代わりの丸太を入れろ! 急げ!」
「お、おうっ! 野郎ども、丸太だ! ジャッキを嚙ませろ!」
坂上の現場監督さながらの的確で鋭い指示に、ドワーフたちは弾かれたように動き出した。
あっという間に新しい支保工が組み上げられ、坂上はゆっくりと岩の重みを丸太に預け、手を払って土埃を落とした。
親方は信じられないものを見る目で、坂上を見つめていた。
「あんた……一体何者だ? あんな重さ、ドワーフの俺たちでもまともには支えられねえぞ」
「ただの五十歳のオッサンじゃよ。昔、少々『土いじり』の現場監督をやっとった時期があってな」
「現場監督……」
親方の目から、先ほどまでの人間を見下すような侮蔑の色は消え去っていた。
現場において、事故を未然に見抜き、的確な指示と腕力で仲間を救った男。それは種族の壁を越えて、彼ら職人が最も敬意を払う『漢』の姿そのものであった。
「俺はドンガン地下帝国、第三掘削・鍛冶部隊の親方、ゴードンだ。……さっきの非礼は詫びる。助かったぜ、坂上」
「気にするな。現場の安全第一は基本じゃ」
「それで、俺たちに何の用だ? 命の恩人の頼みだ、人間相手でも聞いてやる」
ゴードンの態度の軟化を見て、坂上は懐から金属の小さな塊を取り出し、ゴードンへ放り投げた。
それは、坂上が先遣隊を一掃した際に使ったアサルトライフルの弾薬――5.56mm弾の未使用の『実包』だった。
「その小さな金属の弾丸の先端に、高い貫通力を持つ『魔石』をコーティングしてほしいんじゃ。数はおよそ五百発。それも、明日の夜明けまでに」
「なんだと?」
ゴードンは薬莢をマジマジと見つめ、眉をひそめた。
「こいつは……見たことのねえ精緻な造りだな。だが、こんな小指の先ほどの金属に魔石をコーティングしろだと? しかも一晩で五百発? 無茶言うな。俺たちの技術なら不可能じゃねえが、それほどの繊細な作業を一晩でやるには、職人全員を徹夜させなきゃならねえ。俺たちは人間の小間使いじゃねえんだ、いくら命の恩人でも、金貨の山を積まれても断るぜ」
ゴードンの言葉に、周囲のドワーフたちも深く頷く。彼らは金では動かない。自分たちのペースと誇りを何よりも重んじる職人なのだ。
「そうか。それは残念じゃな」
坂上は、さして困った様子も見せず、空間に手を差し入れた。
スキル【酒保】の発動である。
「ならば、商談は終わりじゃ。……せっかく、疲れた身体を癒やす『最高の特効薬』を持ってきたんじゃがな」
虚空から取り出されたのは、水滴を纏ってキンキンに冷えた『銀色の缶』の束だった。
そして、傍らには塩もみされた鮮やかな緑色の『枝豆』が山盛りに入ったボウル。
坂上は銀色の缶――日本が誇る『辛口の缶ビール』のプルタブに指をかけ、静かな坑道に響き渡るように、プシュッ! という軽快な音を鳴らした。
「……なっ!?」
「おい、親方……今、あの缶から炭酸の弾けるような音が……」
ドワーフたちの鼻が、ピクピクと激しく動く。
缶の口から漂う、極上の麦芽とホップの香り。異世界の生ぬるいエール酒とは全く次元の違う、洗練された冷気と刺激的な香りが、粉塵にまみれて渇ききった彼らの喉を猛烈に刺激し始めた。
「さ、坂上、お前……その手に持ってるのは、なんだ……?」
ゴードンの声が震えていた。
坂上は「これか?」と缶を掲げ、自らの喉へ流し込んだ。
「ゴクッ……ゴクッ……ぷはぁっ!」
最高に美味そうに喉を鳴らし、満足げに息を吐き出す。
その見事な飲みっぷりに、ドワーフ全員の喉がゴクリと盛大に鳴った。
「これは『ビール』という酒じゃ。労働の後に、キリッと冷えたこれを胃袋に流し込み、この塩気の効いた枝豆をつまむ。……これ以上の極楽はないじゃろう?」
「冷えた……酒、だと……? 枝豆……?」
「ワシはこれから一人で宴会をするつもりじゃったが、お前さんたちも飲むか? ……あ、徹夜の仕事は断るんじゃったな。なら、酒を飲んでる場合じゃないか」
坂上がわざとらしく背を向けようとした瞬間。
「ま、待てぇぇぇっ!!」
ゴードンが血相を変えて坂上の足元にすがりついた。
「た、頼む! 俺に、いや、俺たちにその『ビール』って神の水を一口だけ飲ませてくれっ! この通りだっ!」
「おいおい、人間の小間使いにはならんのじゃろ?」
「誰がそんなこと言った!? あんたは現場の仏だ! 弾丸五百発の加工だろうがなんだろうが、徹夜でやってやらぁ! だから、その冷えた酒を俺の喉にぶち込んでくれぇっ!!」
プライドもクソもあったものではない。
ドワーフの『酒に対する執着』と『職人魂』を天秤にかけた結果、酒が圧勝したのである。
坂上は「やれやれ」と苦笑しながら、【酒保】から人数分の冷えた缶ビールと枝豆を取り出し、ドワーフたちへ配って回った。
「よし、仕事の前の景気付けじゃ。飲め」
プシュッ! プシュプシュッ!
「うおおおおおっ!! なんだこの喉越しはぁっ!」
「キンキンに冷えてやがるっ! 炭酸が、炭酸が胃袋で爆発するぞっ!」
「この『エダマメ』ってやつ、絶妙な塩加減で酒が止まらねぇっ! たまらんっ!」
坑道の中に、ドワーフたちの歓喜の雄叫びが木霊した。
たった数本の缶ビールと枝豆。しかし、粉塵にまみれた過酷な労働環境において、それはどんな金貨の山よりも価値のある『最高の報酬』として機能したのだ。
「ぷはぁぁぁっ! くぅぅっ、生きててよかったぜ!」
ゴードンは一瞬で缶を空にし、髭についた泡を豪快に拭い去った。その目はすでに、プロの職人としての凄まじい熱を帯びている。
「恩に着るぜ、坂上! よぉし野郎ども、酔いが回る前に極上の魔改造を終わらせるぞ! 俺たちの誇りにかけて、魔法盾をブチ抜く最強の『徹甲魔弾』を作ってやる!」
「「「おうっ!!」」」
ビールで士気が限界突破したドワーフたちが、一斉に炉と作業台へ向かって走り出す。
坂上はそれを見送りながら、ホッと息をついた。
これで、明日の本隊に対する物理的な迎撃準備は整う。
「坂上、ちょっと待ってくれ」
作業に取り掛かる直前、ゴードンが振り返り、少し真剣な顔で言った。
「弾丸のコーティングには、貫通力に優れた『高硬度魔石』の粉末が必要なんだが……今、手持ちの在庫が少し足りねえ」
「魔石なら、この炭鉱で掘れるんじゃろ?」
「ああ。だが、良質な魔石が出る層は、ここよりさらに深い『第四区画』だ。あそこは……ルナミス帝国の法に触れた重罪人どもが送られる『奴隷の強制労働区画』になっててな。俺たちもあんまり近づきたくねえんだが、お前、そこまで降りて魔石の原石を適当にいくつか拾ってきてくれねえか?」
奴隷の強制労働区画。
その言葉に、坂上の眉がピクリと動いた。
ただの犯罪者なら自業自得だが、この異世界において、どのような理不尽な裁きが下されているのかは分からない。
「分かった。ワシが取ってこよう」
坂上は頷き、ゴードンたちに背を向けて、さらに深く、暗く、冷たい炭鉱の深層へと足を踏み出していった。
――その最下層で、チート能力に溺れ、アナステシア世界の過酷な現実に押し潰された『哀れな転生失敗者』の姿を目の当たりにすることなど、今の彼には知る由もなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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