EP 7
第四区画のチート奴隷。大人の責任と『微糖の缶コーヒー』
ドンガン地下帝国の坑道をさらに深く降りていくと、空気の質が劇的に変わった。
ひんやりとしていた上層とは打って変わり、第四区画――ルナミス帝国の法に触れた重罪人たちが送り込まれる『強制労働区画』は、地熱と密集した人間の放つ体臭、そして息苦しいまでの魔力だまりによって、まるで蒸し風呂のような熱気を帯びていた。
カキン、カキンと、絶望的なまでに単調なツルハシの音が響いている。
岩壁を叩く者たちの足元には重い鉄球が繋がれ、首には禍々しい赤い光を放つ金属製の首輪が嵌められていた。彼らはみな、死んだ魚のような濁った目をして、ただ機械的に土塊を掘り起こしている。
壁際には、ゴードンが求めていた高純度の『高硬度魔石』の原石が、ゴロゴロと無造作に積み上げられていた。坂上は手頃な大きさの魔石をいくつか拾い上げ、スラックスのポケットに放り込む。
(……ひどい有様じゃな)
坂上は葉巻を噛むように、火のついていないハイライトを口にくわえた。
自業自得とはいえ、この地獄のような環境で死ぬまで岩を掘り続ける刑罰は、近代国家の法制度を知る者からすれば異常だった。看守である屈強な鬼人族やドワーフの兵士たちが、手を止めた奴隷に容赦なく鞭を浴びせている。
だが、坂上は他国の司法に口を出すような青臭い正義感は持ち合わせていない。用は済んだ。踵を返して地上へ戻ろうとした、その時だった。
「――っ、右よし! 左よし! 頭上よし! ……掘削、再開しやす」
かすれた、しかしひどく耳に馴染んだ言語――日本語の呟きが聞こえた。
坂上が足を止め、声の主へと視線を向ける。
そこにいたのは、泥と汗にまみれ、ボロボロになった職人用の作業着(タローマン製ツナギ)を着た初老の男だった。黄色い安全ヘルメットには、マジックのようなもので『ご安全に!』と下手くそな日本語が書かれている。
首には他の奴隷よりも一回り大きく、複雑な魔導回路が刻まれた【遠隔自爆機能付き・対ユニークスキル魔導首輪】が鈍く光っていた。
男は、周囲の奴隷たちが無気力にツルハシを振るう中、一人だけ岩盤の目(亀裂)を正確に見極め、無駄のない動きで効率よく魔石を掘り出していた。その所作には、長年土木現場で鍛え上げられた職人の勘が宿っている。
「……お前さん、日本人か?」
坂上の声に、男はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。
無精髭に覆われた顔。頬は痩せこけ、年齢は四十代といったところか。男は坂上のきちんとしたワイシャツ姿を見ると、驚いたように目を丸くした。
「あんた……こんなトコに、どうして。いや、あんたも『こっち』の人間か……」
「坂上という。ポポロ村で少々、土いじりと防衛の顧問をやっとる。お前さんは?」
「……火原っす。火原元。前世じゃ、道路工事の現場監督なんかをやってやした」
火原と名乗った男は、カラカラに乾いた唇を歪めて自嘲気味に笑った。
「あんた、日本の人間なら……俺みたいにならないように、気をつけるんすよ。この世界は、ゲームなんかじゃない。調子に乗って選択を間違えりゃ、あっという間にこういう末路を辿るんだ」
「調子に乗った、か」
「ええ」
火原は、手元のツルハシに体重をかけながら、ポツリポツリと語り始めた。
「俺は、ある女神様から【コピー】ってチートスキルを貰って転生したんすよ。物に触れれば、そいつを複製できる能力だ。最初はウハウハでしたよ。高級な魔導剣やドワーフの作った通信機をコピーして、半額で市場に流しゃ、大金が転がり込んできた。……汗水垂らして働くのが馬鹿らしくなったんすね」
だが、火原の【コピー】は完全ではなかった。外見は同じでも、職人が丹精込めて刻んだ微細な魔導回路までは再現できず、使えば使うほど劣化し、すぐに壊れる『粗悪品』だったのだ。
それにも関わらず、市場には火原の安価なコピー品が溢れかえった。
「俺の撒き散らしたゴミのせいで、真面目に作ってた正規の武器屋や鍛冶屋は次々と倒産した。……絶望して、首を吊ったドワーフの親方もいたらしいっす。俺は、職人の魂を踏みにじり、命を奪ったんだ」
火原の濁った瞳の奥に、深い後悔の念がよぎった。
「ルナミス帝国の特捜班に捕まって、俺に下されたのは『損害賠償金貨五十万枚』と『懲役四百年』の奴隷刑。当然っすよね。俺は、他人の人生を壊したんだ。……この首輪は、スキルを使おうとしたり、逃げようとしたりすれば、三秒後に首が吹き飛ぶ代物っす。俺はここで、死ぬまで岩を砕き続ける。それが、俺の落とし前っすよ」
火原は再び岩壁に向き直り、「ご安全に」と呟いてツルハシを振り上げた。
助けてくれとは言わなかった。自分のしでかした罪の重さと、現場で働く職人の尊厳を、奴隷に落ちてからようやく思い出したのだ。だからこそ、彼は誰よりも正確に岩を読み、ただ黙々と罪を償い続けている。
坂上は、黙って火原の背中を見つめていた。
哀れみや同情の言葉をかけるつもりは毛頭なかった。大人が自分の意思でやったことだ。その結果に他人が口を挟むのは、むしろ彼の決意に対する侮辱になる。
だが。
「……おい、火原」
坂上は空間に手を差し入れた。【酒保】のスキル発動である。
虚空から取り出したのは、少し汗ばんだ地下の熱気には不釣り合いな、冷たい結露をまとった小さな金属の筒だった。
「受け取れ。現場の水分補給は基本じゃろ」
坂上が放り投げたそれを、火原は慌てて受け取った。
手の中に収まったその冷たい感触と、見慣れた青と銀のパッケージを見て、火原は息を呑んだ。
「これ……『微糖の缶コーヒー』……っ!?」
「ワシからの奢りじゃ。……日本の土建屋の矜持、忘れるなよ」
それは、惨めな奴隷への施しではなかった。
かつて同じ日本の現場を知る男から、己の罪と向き合う一人の『作業員』へ向けられた、ささやかな敬意と餞だった。
「……っ」
火原は震える指でプルタブを起こした。
プシュッ、という小気味良い音が鳴る。
泥だらけの顔を上げ、コーヒーを喉に流し込む。
焙煎された豆の香ばしい苦味と、ほんのわずかな人工的な甘み。前世で、過酷な現場仕事の合間に、自販機で買って飲んだ『あの味』が、火原の口の中に広がった。
「あ……ああ……」
火原の目から、堰を切ったようにボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
それは、失ってしまった平和な日常への郷愁であり、二度と戻れない人生への後悔であり、そして何より、この地獄の底で『人間』としての扱いを受けたことへの圧倒的な感謝の涙だった。
「美味い……っす。本当に、五臓六腑に……染み渡りやす……」
「おい! そこの奴隷番号893! 手を休めるな!」
ピシャァァァンッ!
看守の振るった鞭が、火原の背中を無情に叩いた。
タローマンのツナギが破れ、血が滲む。だが、火原は倒れることなく、空になった缶コーヒーを大事そうに胸のポケットにねじ込むと、坂上に向かって深く、深く頭を下げた。
「ご安全に……! 坂上さんも、ご安全にっ!」
「ああ。ご安全にな」
再びカキン、カキンと響き始めるツルハシの音。
坂上は火原の背中に背を向けると、集めた魔石の原石を持って、地上への帰路についた。
暗い坑道を歩きながら、坂上は口にくわえていたハイライトに火を点けた。
紫煙を深く肺に吸い込み、暗闇の天井へ向かって吐き出す。
アナステシア世界。ここは、おとぎ話のような夢の国ではない。一歩選択を間違えれば、法と暴力によって容赦なく破滅させられる残酷なリアル(現実)が支配する世界だ。
火原は、自分の罪を自覚し、落とし前をつけるために地獄を受け入れた。
ならば――。
(村の金を持ち逃げした前村長と、罪なき村を焼き払おうとする野盗ども。……お前さんたちは、一体どんな『落とし前』をつけるつもりなんじゃ?)
坂上の瞳の奥に、出雲艦隊打撃軍・総司令官としての冷徹な殺意が灯る。
彼らがキャルルやリーザたちから日常を奪い、無法な暴力を振るうというのなら、坂上真一が自ら『大人の責任の取り方』を教えてやるまでだ。
地上へと通じる坑道の出口が見えてきた。
夜明けは近い。野盗団本隊との決戦は、もう目前に迫っている。
坂上は手の中の魔石を軽く放り投げ、圧倒的な暴力の準備を整えるため、ゴードンたちの待つ作業場へと足を速めた。




