EP 5
冷徹な司令官のムチと『豚骨ラーメン』。自警団の胃袋を完全に掌握する
先遣隊の野盗どもを太い麻縄で縛り上げ、広場の隅に転がし終えた頃には、日はすでに山の稜線へ沈みかけていた。
夕闇が迫るポポロ村の入り口で、坂上真一は自警団長であるマンミアに次々と指示を飛ばしていた。
「本隊は明日にも来るじゃろ。それまでに、塹壕の深さをあと半メートル掘り下げろ。鉄条網も二重に張り直すんじゃ」
「り、了解しました! すぐに作業を再開させます!」
「それと、夜間の見張りは三交代制じゃ。全員を一斉に立たせるな。不寝番は体力を削るだけで、いざという時に役に立たん。休める班はしっかり寝かせろ」
「は、はいっ!」
マンミアは背筋を伸ばし、坂上の言葉を一つ残らず頭に叩き込もうと必死だった。
彼女は元・正規騎士団長というプライドを持っている。だが、坂上の指揮は、精神論や気合といったあやふやなものを一切排した、極めて合理的で冷徹なものだった。
無駄な損害を出さず、効率的に敵を制圧するための『近代ドクトリン』。それを肌で感じ取ったマンミアの心には、底知れぬ尊敬と、二十五歳の独身女性としての甘い焦りが入り混じっていた。
(なんて的確で、頼もしい背中なの……。ただの村長のおじさまだと思っていたけれど、あんな戦い方と指揮ができるなんて。ああ、私がもし馬の下半身じゃなくて、普通の人間だったなら……)
マンミアが頬を染めながらケンタウロスの蹄をモジモジさせていると、ふいに冷たい秋の夜風が吹き抜けた。
「……ぶるっ。冷えてきましたね」
「うむ。素人衆にはこたえる寒さじゃな」
坂上が視線をやると、塹壕を掘り続ける村人たちの動きが明らかに鈍っていた。
無理もない。つい数時間前まで、彼らは野盗の恐怖に怯えていたただの農民だ。精神的にも肉体的にも疲労はピークに達し、土を掘る手は止まりかけている。
指揮官たるもの、ここで「気合を入れろ」と怒鳴るのは三流のやることだ。
坂上は懐からハイライトを取り出して火を点けると、紫煙を夜空に吐き出した。
「ムチの後は、極上のアメが必要じゃな」
坂上は【酒保】のスキルを発動させた。
虚空が歪み、村の広場に巨大な鉄の塊がドスン! と出現する。
それは、自衛隊の野外演習や災害派遣で大活躍する『野外炊具1号』――数百人分の温かい食事を一度に作ることができる、牽引式の巨大な調理設備だった。
さらに、坂上はそこへ大量の水(飲料水タンク)を展開し、強力なバーナーで一気に湯を沸かし始める。
「さ、坂上さん……? また大きな鉄の箱を出して、一体何を?」
キャルルが不思議そうに首を傾げる。
その隣では、すでに「坂上が何かを出せば美味いものが食える」と学習したリーザが、尻尾をパタパタと振ってヨダレを垂らしていた。
「夜食の配給じゃ。全員、作業の手を止めて広場に集まれ!」
坂上の号令に、疲弊しきった村人たちがぞろぞろと集まってくる。
彼らの前に、坂上は【酒保】から取り出した段ボール箱を次々と開封し、その中身を並べていった。
それは、円筒形の紙容器に密閉された、日本の技術の結晶――『特製カップ豚骨ラーメン』だった。
「なんですか、これ。お椀……の上に紙の蓋がしてありますが」
「これは『カップ麺』という保存食じゃ。中に乾燥した麺と具が入っとる。いいか、蓋を半分だけ開けて、この魔法の粉(粉末スープ)を入れる。そこに沸騰した湯を注ぎ……『3分』待つんじゃ」
坂上は手本を見せるように湯を注ぎ、砂時計の代わりに腕時計(Sinn)のベゼルを回して時間を計った。
村人たちは半信半疑のまま、配られたカップにお湯を注ぐ。
――そして、3分後。
「よし、時間じゃ。蓋を開けて、中をよくかき混ぜてから食え」
ペリッ、と全員が一斉に蓋を剥がした瞬間。
ポポロ村の広場に、かつて誰も経験したことのない『暴力的な匂い』が爆発した。
「な、なんだこの匂いはぁぁっ!?」
村の男が叫ぶ。
それは、豚の骨を長時間煮込んだことで生まれる、強烈で濃厚な旨味の香り。そこにローストされたガーリックの刺激と、ごま油の香ばしさが混ざり合い、冷え切った夜気の中を一気に蹂躙していく。
「ああっ……! ダメ、この匂いだけでお腹が、お腹がァッ!」
アイドルとしての体面などとうに捨て去ったリーザが、我慢しきれずに箸を突っ込み、ちぢれ麺をズズズッ! と豪快に啜り上げた。
「んんんっ!? 熱っ、でも、美味ぁぁぁぁっ!」
濃厚な豚骨スープが絡みついた麺が、胃の腑へと熱を持って落ちていく。
冷えた身体の芯から、ブワッとマグマのような熱気が湧き上がってくる。
続いて、マンミアも恐る恐る麺を口に運んだ。
「――ッ!?」
元騎士団長のプライドも何もかもが吹き飛んだ。
異世界の澄んだだけのスープとは違う、この泥臭くも圧倒的な『コク』。乾燥させてあったとは思えない丸いチャーシューからは、噛むたびに肉の旨味が溢れ出す。
「お、おいしい……! なんだこれは……たった三分待っただけで、こんな極上の温かい料理が!? これなら、どんな過酷な吹雪の行軍でも戦い抜ける……っ!」
マンミアは感動のあまり涙を浮かべながら、ズズズッ! ズズズズッ! と一心不乱に麺を啜り、あっという間に丼の底を空にしてしまった。
「ぷはぁぁっ……! あったかぁい……」
「五臓六腑に染み渡りますわ……。これぞ究極のスープ……ゴクゴクゴク」
キャルルはほっぺたを赤くしてスープを飲み干し、リーザに至っては一滴残らず舐め回すように完食している。
村の男たちも同様だった。「うおおおおっ!」「力が、力が湧いてくるぞぉぉっ!」と、先ほどまでの疲労が嘘のように、彼らの目にはギラギラとした闘気が宿っていた。
豚骨ラーメンの持つ、圧倒的な塩分、脂質、そして炭水化物。
それは、疲労困憊の肉体を強制的に回復させ、士気を限界突破させる究極の『軍用レーション(魔法のクスリ)』として完璧に機能したのだ。
「フッ。単純な連中じゃ」
全員がラーメンの虜になっている隙に、坂上はこっそりと広場を抜け出した。
彼が向かったのは、村のはずれにある寂れた坑道の入り口――ドンガン地下帝国へと続く、地下炭鉱のゲートである。
「坂上さん?」
背後から、キャルルが小走りで追いかけてきた。
彼女のウサ耳が、心配そうに垂れ下がっている。
「どこへ行くんですか? 明日の朝には、野盗の本隊が来るかもしれないんですよ?」
「だからじゃよ。ワシの武器は遠距離から数人を仕留めるには最強じゃが、相手は物理無効の魔法盾を持っとるらしい。ならば、その盾ごと粉砕できる『特別な弾頭(徹甲弾)』が必要になる」
坂上は、懐からタバコを取り出しながら、暗く口を開けた炭鉱の奥を見つめた。
「この地下には、腕のいいドワーフの職人たちがおるんじゃろ?」
「はい。でも、彼らはとても頑固で、人間を見下しています。お金を積んでも、急な仕事なんて絶対に受けてくれませんよ?」
「心配するな。職人という生き物は、いつの時代も、どこの世界でも、扱い方は同じじゃよ」
坂上はニヤリと、大人の余裕に満ちた笑みを浮かべた。
金を積むのではない。彼らの『魂』と『喉』を潤す、最高のガソリン(酒)を持っていけばいいのだ。
「キャルル。マンミアたちと共に、村の防衛線を維持しておれ。夜明けまでには、極上の『弾』を調達して戻る」
そう言い残し、坂上は一人、地下炭鉱の暗闇へと足を踏み入れていった。
その背中を見送るキャルルの胸には、もはや不安など微塵もなかった。あるのは、この男に対する絶対的な信頼と、ヤンデレ一歩手前の甘い執着だけである。
――だが、坂上はまだ知らなかった。
この地下深くの炭鉱で、チートスキルを悪用して破滅した『元・地球人』の残酷な末路を目の当たりにすることになるということを。
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