EP 2
パンの耳を齧る極貧アイドルと過労村長。海将の【酒保】が放つ絶品金曜カレー
ポポロ村の村長宅は、村で一番大きな建物のはずだが、中はひどく殺風景だった。
家具という家具は売り払われたのか、ガタのきたテーブルと椅子が数脚あるだけ。生活感というものがまるで欠如している。
そして何より、坂上真一の目を引いたのは、裏庭にしゃがみ込んでいるひとりの少女の姿だった。
「……キャルルよ。あそこで雑草をむしって口に入れている嬢ちゃんは、一体何者かね?」
坂上が窓の外を指差すと、過労で目の下にクマを作ったウサ耳の村長・キャルルは、申し訳なさそうに耳をペタンと伏せた。
「あ、あの子はリーザちゃんと言います。海中国家シーランの元親善大使で、今は……えっと、地下アイドル? を名乗って、うちに居候しているんです」
「アイドルが、タンポポとパンの耳を齧るのか?」
「前村長が村の資金を持ち逃げしてから、うちには本当に食べるものがなくて……。私が配給用の麦カスを渡そうとしても、『アイドルは施しを受けませんの!』って意地を張って受け取ってくれなくて」
見れば、芋ジャージに健康サンダルという凄まじい格好をした人魚姫――リーザは、泥のついた野草をウサギのようにモシャモシャと咀嚼し、硬いパンの耳を水で流し込んでいる。
その目はうつろで、どこか遠い世界を見つめていた。
坂上は短く息を吐いた。
腹を空かせた部下や、意地を張って飢える子供。それを見過ごすのは、大人の――ましてや指揮官のやることではない。
「キャルル。台所を借りるぞ」
「えっ? でも、台所には本当に何も……薪すらないですよ?」
「構わん。指揮官たるもの、どんな戦場でも兵站だけは確保せねばならんからな」
坂上はワイシャツの袖をまくり上げ、エプロンをきゅっと締めた。
そして、何もない台所の中央に立ち、脳内に直結した『目録』へアクセスする。
「スキル発動――【酒保】」
ポワン、と空気が揺れた。
空間が歪み、そこから次々と「異世界の物品」が台所へ出現し始めた。
まずは野外用の高火力カセットコンロ。次に、坂上が愛用している萩焼の圧力鍋。
そして――。
「うわぁっ!? な、何ですかそれ!?」
キャルルが素頓狂な声を上げた。
坂上の手元に、見事なサシの入った『国産牛すじ肉』のブロック、泥のついていない美しいタマネギ、ニンジン、ジャガイモ、さらには自衛隊特製のカレールーが次々と具現化したのだ。
「く、空間魔法!? しかも、見たこともないほど新鮮な食材が、虚空から……! 坂上さんって、一体何者なんですか!?」
「ただの飯炊きが得意なおっさんじゃよ。自衛隊ではな、海の上に長くおると曜日感覚が狂う。だから、金曜日には必ずカレーを食う習慣があるんじゃ。今日はちょうど、金曜日でな」
坂上は愛用の三徳包丁を握ると、目にも留まらぬ包丁さばきで野菜をみじん切りにし始めた。トントントントンッ! という軽快な音が響き渡る。
コンロに火をつけ、油を熱する。
タマネギを飴色になるまでじっくりと炒め、そこに牛すじ肉を投入する。
ジューーーッ!
肉の焼ける暴力的な音が響き、上質な脂が溶け出す。
そこへ、坂上は【酒保】から取り出したインスタントコーヒーの粉を隠し味として少々加え、特製ルーを溶かし込んだ。
数分後。
スパイスの複雑で強烈な香りが、換気扇のない村長宅から外へと溢れ出した。
アナステシア世界には存在しない、カレーという近代の魔薬。その匂いは、極限まで腹を空かせた少女たちの理性を吹き飛ばすのに十分だった。
「ひゃうっ……!?」
裏庭でパンの耳を齧っていたリーザが、ビクンと体を震わせた。
ジャージの裾を握りしめ、ふらふらと、まるで匂いに釣られるゾンビのように台所へ這いずってくる。
「な、なんですかこの匂い……。暴力ですわ……私の鼻腔を、胃袋を直接殴りつけてくるような、えげつない匂いが……っ!」
リーザの腹の虫が、猛獣のような音を立ててグゥゥゥゥッ! と鳴り響いた。
キャルルもまた、ウサギの耳をピンと立て、口元を押さえてヨダレをこらえている。
「よし、完成じゃ。お前さんたち、そこに座れ」
坂上は、ピカピカに磨かれたステンレス製の皿(自衛隊仕様)に、炊きたての真っ白な白米と、牛すじがトロトロに溶け込んだカレーをたっぷりとよそった。
湯気が立ち上る二つの皿を、キャルルとリーザの前にコトリと置く。
「さあ、冷めんうちに食え」
キャルルはゴクリと喉を鳴らしたが、リーザはまだ意地を張っていた。
「わ、私は食べませんの! アイドルはファンからのスパチャ以外、施しは受けないという確固たるプライドが……!」
「施しではない。お前さんがいつかビッグになった時、一番前の席で見させてもらうための『先行投資』じゃ。大人のパトロンからの出資くらい、黙って受け取れ」
坂上がウィンク交じりに、大人の余裕でそう告げた瞬間。
リーザの瞳からプツン、と何かが切れる音がした。
「い、いただきますぅぅぅぅぅっ!!」
リーザはスプーンを握りしめ、カレーの山をすくい上げて口に放り込んだ。
瞬間、彼女の瞳孔がカッと見開かれる。
牛すじの圧倒的な旨味、タマネギの甘さ、そして数種類のスパイスが織りなす刺激。それが、パンの耳と雑草で荒れ果てた胃袋に、爆発的な幸福感をもたらした。
「あぐっ、はふっ、んんんんっ! 美味しいっ……! なにこれ、美味しすぎますの! お肉がとろける……スパイスが踊ってるっ!」
「リーザちゃん、がっつきすぎ……んんっ!? ……ああっ、ダメ、これ……」
キャルルも一口食べた瞬間、スプーンを落としそうになった。
村の赤字補填のため、自分の血を吐きながら『月光薬』を作り続けてきた彼女の冷え切った身体に、カレーの温かさとスパイスの薬効が染み渡っていく。
張り詰めていた心の糸がほどけ、キャルルの目からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「美味しい……。すごく、温かいです……っ。私、村長になってから、こんなに温かくて美味しいもの、食べたことなくて……っ」
「うわぁぁぁん! おじさま、私、一生ついていきますの! パトロン様ぁぁっ!」
二人の少女は、顔を涙とカレーでぐしゃぐしゃにしながら、皿を舐めるようにして平らげた。
(……やれやれ。これじゃあ、ただの世話焼きオヤジじゃな)
坂上は優しく微笑みながら、【酒保】から取り出した微糖の缶コーヒーをプシュッと開け、食後のいっぷくを味わった。
極貧で荒んでいた村長宅に、つかの間の、しかし確かな幸せと癒やしの空気が満ちる。
キャルルのヤンデレ気質な忠誠心と、リーザの強烈な執着。二人のヒロインの胃袋を、坂上はたった一食のカレーで完全に掌握してしまったのである。
「坂上さん。おかわり……ありますか?」
「ああ、なんぼでもあるぞ。たらふく食え」
和やかな食卓。
だが、その平和な空気を切り裂くように、村長宅の古びた木の扉が、外からドガンッ! と乱暴に蹴り開けられた。
「あー、すんまへんなぁ。幸せなお食事タイムの邪魔をしてしもうて!」
土足で踏み込んできたのは、仕立ての良いスーツを着こなし、金でできた真鍮の算盤を片手に持った、猫耳の男だった。
男は口にくわえた煙管から紫煙を吐き出しながら、意地の悪い笑みを浮かべる。
「ゴルド商会のニャングルや。キャルル村長、前村長がウチから借りパクした借金、金貨5000枚……今日が月末の支払い日やで? 耳揃えて払えんのやったら、この村の土地ごと差し押さえさせてもらうからなぁ!」
キャルルの顔から血の気が引く。
剣と魔法の世界において、圧倒的な資本力を持つ『借金取り』は、野盗よりも恐ろしい存在だった。
だが、坂上真一は缶コーヒーを飲み干すと、慌てるどころか、面白そうに目を細めた。
「ほう。大層な借金じゃな」
「なんやオッサン、部外者はすっこんどれ」
「部外者ではない。ワシは今日から、この娘たちのパトロンになった男じゃ」
坂上はエプロンを外し、海将としての冷徹な『交渉人』の顔へと切り替わった。
暴力ではなく、経済。
異世界の拝金主義者を、現代日本の嗜好品で完全に屈服させる、大人の商戦が始まろうとしていた。
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