第一章 元海将の親父、ポポロ村で最強陣地を築く
「ボケたの?」と笑われた海将、過労のウサ耳村長に拾われる
「うわ〜っ、出雲艦隊の総司令官じゃん! やばっ、変なの連れて来ちゃった……!」
ふと意識が浮上する直前、ジャージ姿の女が頭を抱えて叫ぶ声が聞こえたような気がした。
「オリン(上司)にガチで怒られるかも……。触らぬ神に祟りなし! 適当にスキルとその他を詰め込んで、放置しよっ。私は知らないもんね〜!」
――そんな無責任極まりない声とともに、坂上真一はゆっくりと目を開けた。
「……む?」
視界に飛び込んできたのは、見慣れたイージス艦の鋼鉄の天井でも、統合幕僚監部の無機質な会議室でもなかった。
石造りの壁、松明の煤の匂い、そして革鎧や剣を帯びた荒くれ者たちがひしめき合う、ひどく喧騒に満ちたロビー。
坂上は、ほんの数分前まで出雲艦隊の司令室で金曜日の海軍カレーを平らげ、ソファで仮眠を取っていたはずだった。だが現在、彼はワイシャツにスラックスという出で立ちで、木製のカウンターの前に立たされている。
「はい、次の方〜」
カウンターの向こうで、退屈そうに爪を磨いている若い女性職員が声を上げた。その後ろには『ルナミス帝国・人材ギルド』と書かれた看板が掲げられている。
「……お嬢さん。唐突で申し訳ないが、ここはどこかね?」
坂上が低い、よく通る声で尋ねると、受付嬢は怪訝そうに顔を上げた。坂上の白髪混じりの頭と、目尻のシワを見て、彼女はあからさまにため息をつく。
「え? ここは人材ギルドですよ。おじさん、ボケちゃったの? いいから、仕事探してるならこの用紙に経歴を書いてよ」
ポンと無造作に羊皮紙と羽ペンを押し付けられる。
坂上は不快感を露わにするでもなく、ただ静かに現状を分析した。
(幻覚や夢ではないな。周りの連中の装備、この建物の構造……どうやら、とんでもない事態に巻き込まれたらしい)
五十歳という年齢と、暴走族の総長から海上自衛隊の海将にまで上り詰めた経験が、坂上の精神を揺るがぬ岩のように安定させていた。『失敗の本質』を愛読する彼は、未曾有の危機においてパニックを起こすことの愚かさを誰よりも知っている。
坂上は言われるがままにペンを取り、偽りなく己の経歴を書き込んだ。
『氏名:坂上 真一』
『年齢:50歳』
『前職:出雲艦隊打撃軍 総司令官(海将)』
「ほれ、書いたぞ」
「えーっと、何々……」
受付嬢は用紙を受け取ると、ふっと鼻で笑った。
「いずもかんたい、そうしれいかん? 海将? 何コレ。どこの国の役職?」
「事実を書いただけなんだがな」
「あっそ。うちはね、ボケたおじさんの介護をする職は斡旋してないんだけど。ま、アテにしないで、そこのロビーで適当に待っててよ」
シッシッ、と犬を追い払うような手つきをされる。
周囲の冒険者たちからも「おい、あのおっさん、頭湧いてるぜ」「迷子のお爺ちゃんかよ」と嘲笑の声が漏れ聞こえてきた。
「……コイツは手厳しいな」
坂上は怒鳴ることも、顔を真っ赤にすることもなく、ただ苦笑して肩をすくめた。
血気盛んな十代ならいざ知らず、彼は五十歳の大人である。海将として何万という部下の命を背負い、政治家たちと泥沼の折衝を繰り広げてきた男にとって、窓口の小娘やゴロツキの煽りなど、そよ風にも等しい。
それに、あの「ジャージ姿の女」が言っていた不可解な言葉が気になっていた。
適当にスキルを詰め込んだ、と言っていたな。
坂上が己の胸に意識を向けると、頭の中に奇妙な感覚が広がった。それはまるで、自衛隊の巨大な補給廠(兵站倉庫)の目録が、自分の脳内に直接インストールされているような感覚だった。
(【酒保】……? 弾薬に、迷彩服、それにタバコやカレーのルーまで取り出せるじゃと?)
あまりにも規格外なチート能力の片鱗に、坂上が内心で首を傾げていると――ギルドの入り口から、悲痛な声が響き渡った。
「ポポロ村、地域応援隊を募集してます! やる気があれば誰でも採用します! 衣食住完備、給料は手取りで金貨20枚(約20万円相当)です!」
声の主は、ウサギの耳を生かした若い少女だった。
年は二十歳そこそこだろうか。動きやすい現代風の服に、足元はなぜか見覚えのある職人御用達メーカー『タローマン』の安全靴を履いている。
可愛らしい顔立ちをしているが、その目の下には濃いクマが刻まれ、今にも過労で倒れそうなほどフラフラと揺れていた。
「お願いです……! 誰か、ポポロ村に来てくれませんか!」
悲痛な叫びに対し、ギルドの冒険者たちは冷ややかな視線を向けるだけだった。
「ポポロ村ぁ? 三大国の国境沿いの貧乏村じゃねえか」
「やめとけやめとけ。野盗に狙われまくってて、前村長が資金を持ち逃げしたって噂だぜ。金貨20枚なんて、どうせ払えやしねえよ」
「あんな防衛設備もない泥沼の村、命がいくつあっても足りねえわ」
誰一人として応じようとしない冷酷な現実に、ウサ耳の少女は絶望の表情を浮かべ、その場にへたり込みそうになる。
――トンッ。
地面に膝をつく直前、屈強な腕が少女の肩を支えた。
「……えっ?」
「お嬢さん。ワシでも良いかな?」
驚いて見上げる少女の目に映ったのは、白髪交じりの短髪に、彫りの深い精悍な顔立ちをした中年の男だった。
坂上は、咥えかけていたハイライトをポケットにしまいながら、穏やかな笑みを浮かべる。
「ワシは坂上真一という。五十歳の、ただのおっさんじゃ」
「あ、あの……! 私はキャルル・ムーンハートと言います。ポポロ村の村長をしています。でも、坂上さん、うちの村は本当に何もないですし、野盗も出て危険で……」
良心からか、必死にリスクを説明しようとするキャルルの頭を、坂上は大きな手のひらでポンと撫でた。
「構わんよ。むしろ、長閑な田舎なら大歓迎じゃ」
坂上は、ギルドの壁に貼られた大雑把な地図と、キャルルの足元の安全靴を一瞥した。
村が危険だということは、冒険者たちの会話から十分に理解している。だが、彼の脳内に直結した【酒保】のカタログには、重機関銃から対物ライフル、鉄条網まで、近代国家の武力が丸ごと収まっていた。
加えて、坂上自身の肉体には、北辰一刀流を極めた技術に加え、得体の知れない『闘気』と『氷魔法』の力が満ち溢れているのが分かる。
野盗? 防衛設備がない?
そんなものは、いくらでも構築してやればいい。
「ワシは、少々『土いじり(陣地構築)』と『飯炊き(兵站管理)』が得意でな。手取り20万なら、喜んで働かせてもらうぞ」
手取り20万など、海将時代の給料に比べれば微々たるものだ。しかし、この過労でボロボロになった娘を放ってはおけない。
坂上の圧倒的な大人の余裕と、どこか底知れぬ安心感に包まれ、キャルルの瞳からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……っ! ありがとうございます……! 是非、ポポロ村に来てください!」
こうして、「ボケたおじさん」と笑われた海将・坂上真一は、過労のヤンデレ村長に拾われることとなった。
だが、この時の人材ギルドの職員も、嘲笑していた冒険者たちも、そしてキャルル自身すらも、まだ誰も気づいていなかった。
この五十歳のおっさんが得意だと言った『土いじり』と『飯炊き』が、やがて異世界の軍事と経済の常識を根底から粉砕し、辺境の貧乏村を『世界最強の絶対防衛都市』へと変貌させてしまうことに――。
***
ギルドを出て、馬車に揺られること数時間。
ポポロ村に到着した坂上を出迎えたのは、あまりにも凄惨な「現実」だった。
「……ここが、ポポロ村ですか」
崩れかけた柵。手入れのされていない畑。村人たちの目は死んだ魚のように濁り、活気など微塵もない。
ふと視線をやると、村長宅の裏手で、芋ジャージを着た美しい人魚の少女が、パンの耳と道端の雑草をむしって美味そうに齧っている姿が見えた。
「ごめんなさい……坂上さん。村の資金を前村長に持ち逃げされてしまって、今日の夕飯も、お出しできるようなものがなくて……」
申し訳なさそうに俯き、今度こそ過労と空腹で倒れそうになるキャルル。
(なるほど。補給線が完全に断たれた、孤立無援の最前線というわけか)
絶望的な状況。だが、坂上の目に焦りは一切なかった。
彼はゆっくりとワイシャツの袖をまくり上げると、力強い声で宣言した。
「謝る必要はない。腹が減っては戦はできんと言うじゃろ?」
坂上は、空間に手を差し入れた。
発動するスキルは【酒保】。
「さて、まずは美味い『金曜カレー』でも作って、お前さんたちの胃袋から立て直すとしようか」
異世界の理不尽を、大人の余裕と近代兵站で叩き潰す。
最強のパトロンによる、慈悲なき村おこしが今、静かに幕を開けた。
読んでいただきありがとうございます。
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