リンドベル・番外編「とある侍従の、竜人族観察記」
竜人族。
その存在は、多くの人々にとって伝説……いや、神話の話だ。
しかし、エルフにとっては竜人族の話は史実として語り継がれてきた存在だ。
そもそも、彼らの発祥の地である森は、死んだ竜人族の魔力から生まれたものであり、だからこそ豊かなのだ。
薄まったとは言え、精霊の血を引くエルフたちは、未だに森から死した竜人族の魔力を感じ取っていた。
つまりエルフたちは、他の種族たちよりもより鋭敏に竜人族を感じて生きているため、彼らへの畏敬の念が強い傾向があった。
それは、森から離れた帝国エルフたちにもまだ根強く残っている。
だが、森エルフよりもその畏敬の念は、実利に結びついていた。
巨大な湖――コーレニ湖の西にある帝国本土では、リンドベル攻略について頭を悩ませていた。
物流の要衝であるリンドベルを手に入れるのは、湖の東側を攻略する足がかりとして重要だ。
リンドベルが建国された当時から話されていたが、その時はまだ帝国は今ほど安定しておらず、手が出せなかった。
安定した数百年前からは、別の問題が出て手が出しにくくなったのだ。
竜人族――グラーゴという水の竜がリンドベルに住み着いてしまったのだ。
リンドベル周辺に厄介そうな国が出来ているのも気にはかかるが、それ以上にたった一人の竜人の方が問題だった。
なにせ、帝国の最新の船でも端から端まで渡るのに数日かかる広大なコーレニ湖は、一人の竜人族が癇癪で空けた穴なのだ。
たとえグラーゴがリンドベルに住んでいるだけで、国に関わっていないとしても、容易に手出しなど出来るはずもない。
「せめてなぜリンドベルにいらっしゃるのかが分かれば……」
滞在の理由さえ分かれば、帝国に移住してもらうことも出来るかもしれないし、そこまで行かずとも攻め込んでも怒らせることなく攻略できるかもしれない。
分かっているのは名前と、水の竜人族ということ。古書店を開いているということだけ。
水の竜ならばコーレニ湖がある帝国領のゼペーの方がいいのではないか。しかしリンドベルにも川があり、流れる水を好むのかもしれない。
推測ばかりが積み上がる。
何人もリンドベルに送って調査しているが、未だに彼がなぜリンドベルにいるのかは謎だった。
一人のエルフの青年。
シルヴィランデス=カームイアーナは、そうして帝国からリンドベルに送られてきた一人だった。
彼がリンドベルに来たのは、今から50年ほど前のことだ。
早朝。
シルヴィランデスは、まだ日が昇り切る前に、グラーゴから与えてもらった部屋で目覚める。
手早く身支度を整えると、井戸から水を汲み、湯を沸かす。
グラーゴは食事をしないが、お茶が好きで朝は温かい茶を好む。
ちょうどいい湯加減の茶が入ったところで、ちりんと彼を呼ぶ音がした。
グラーゴの魔力を発するベルの音は、水と風の精霊族の子孫であるエルフの彼には、とても心地よく聞こえる。
そもそもが、この魔力に心惹かれて彼のもとに居続けることを決めたのだ。
自身の中にかすかに残った精霊の血が、歓喜に騒ぐから。
ドアをノックし、返事を聞いたあとで静かに入室する。グラーゴは相変わらず本を読んでいた。
表紙には動物のような文様が描かれており、シルヴィランデスには読めなかった。一般的に古代人と呼ばれている種族の文字とも、また違う気がした。
しかしグラーゴは迷うことなく読んでいるようで、ページを捲る速度は落ちない。
静かに紅茶を差し出し、彼のそばに積み上がった『読み終わった本』を持ち上げる。その本の少なさに、シルヴィランデスはやや躊躇してから声をかける。
「あの……何かございましたか?」
グラーゴの目がシルヴィランデスを見た。シルヴィランデスが寝ている間もずっと本を読んでいただろうに、疲れは見えない。
見えるはずもない。
一度眠れば数百年単位で眠るような人たちだ。50年寝る姿を見ていなくても何も不思議ではなかった。
「レンがうるさかっただけだ」
少し眉を寄せてグラーゴが淡々と言う。レンが夜、グラーゴの部屋に来て話をしたらしい。だから読書が進んでおらず……機嫌もいいのだろう。
最近やってきたもう一人の竜人族、レンと話しているグラーゴはまるで学生のように見えた。普段は何事にも動じず、そこにただ在る彼が、少しはしゃいでいるようだった。
分かりにくい変化だが、50年そばにいたシルヴィランデスには分かった。
周囲の水の気配が、普段以上に清らかだった。
「そうでございましたか」
だからそうとだけ答え、いつものように読み終わった本を表の店に運んでいく。
正確には、読了した上で店で売っても良いと彼が判断した本、だ。
売りたくないものは『同族が作った』という土の魔力あふれる革袋の中にしまっているはずだ。
他の誰にも触らせずにいるその革袋を誰が作ったのかは、最近のグラーゴの様子を見れば察せられた。
竜人族とは、とても不思議な存在だ。
エルフを初めとした人族としてまとめられる存在と、見た目は一見似ているのに、その本質は異なりすぎている。
かと思えば……とても人らしい面もある。
本を運び終え、そろそろ空になっているだろうカップを下げようと部屋に戻った時、珍しいことにまだグラーゴは茶を飲みきっていなかった。
不思議に思って観察すると、グラーゴがカップを持つ指を不自然に軽く動かし……その中指に嵌められた指輪に気づく。昨日まではなかったものだ。
ということは――。
「……グラーゴ様。素敵な指輪ですね。そちらはもしやレン様が?」
その指輪は、帝国で貴族として生まれて生きてきたシルヴィランデスからすると、そこそこ値は張るが特別なものではなかった。
しかし使われた小さめの宝石は青色に輝き、反射した光は水のような影を作る。
静かに佇みながらも、どこか若々しさを感じる川のような宝石だった。
「ふん。世話になっている礼らしい。我が礼など求めていると思っているとはな」
言葉を文字に起こすと怒っているように見えてしまうが、いつもより早口な喋り方がすべてを語っていた。
ふと。シルヴィランデスの脳裏に、レンの『ラー坊』という呼び方が頭に浮かんで……ようやく腑に落ちた気がした。
【おばちゃん竜人族の、人の世体験日記】
リンドベル・番外編「とある侍従の、竜人族観察記」完




