第四話 冒険者への復帰
ライナーの朝は早い。
日が昇らないうちからランニングに出かけて、帰宅した後は新聞配達に出かける。
それが終わればまた帰宅して、今度は朝食を採り、次はポストマンとしての仕事が待っている。
冒険者稼業を休止してからの数か月。彼はそんな一日を繰り返していた。
「この手紙、ライナーさん宛てですよ」
「手紙?」
今日も郵便局で手紙の入った鞄を背負い、いざ出発というところで。手紙の仕分けをしていた少年から、自分宛ての手紙が来ていることを知らされたのだ。
差出人は冒険者ギルドだ。
手紙を受け取った瞬間、彼は早速開封して中身を検める。
「ああ、パーティ参加の打診か。そう言えば最近は顔を出していなかったな」
ポツリとそう呟けば、手紙を渡した少年は興味深そうにライナーの顔を見る。
「お、ライナーさん冒険者に復帰するんですか?」
「復帰も何も、俺は冒険者を辞めたわけじゃない。……開店休業中ではあるけど」
そう言いつつ、内容を読み進めていく。
どうやら他所の街から来たB級の冒険者パーティが斥候職を探しているらしい。
この街に滞在する間だけの契約ではあるが、戦力は揃っているので索敵だけを担当すればいいと書かれていた。
面談は、可能ならば今日の夕方五時から行いたいという旨も書いてある。
――全く希望通りの通知が届いた。であれば、彼がやることは一つだ。
「上司。今日の配達分が終わったら、仕事辞めます」
「一日単位の約束だからまあ、仕方がない。暇ができたらまた戻ってくるといい」
「できれば、暇にはなりたくありませんが……」
丸メガネをかけた初老の男に許可を取ってから、彼は配達に出かける。
前職では突然退職願を叩きつけられた大工の親方が腰を抜かして、結局辞めるのが一週間遅くなったのだ。
現場の予定もあるから急に辞められては困る。
そう言われてしまえば、流石のライナーも諦めざるを得なかった。
しかし、人間は成長する生き物だ。
特にライナー・バレットは、転んでもタダでは起きない。
職を転々とするならば、今後もこういうことは起きるだろう。
ならば、賃金を多少下げてもらって、日雇いという形で勤めればいいではないか、と学んだのだ。
結果として一週間のタイムロスが生まれたことを、ライナーは深く悔やんでいた。
一週間あれば人間は何ができるか――と、また不毛な考えを浮かべながら。彼は常人の三倍速で手紙を配達していった。
◇
「あら? 意外と早く来ましたのね」
「予定の時間に遅れたら、そちらの時間を無駄にすることになるからな」
「良い心がけです」
さて、ライナーは予定していた時間の三十分前にはギルドに到着したのだが。
ギルドに併設された酒場には、既に募集先のパーティリーダーと思しき女性が待っていた。
待つことで時間を浪費するのも嫌だが。
待たせることで時間を潰させるのも嫌うライナーだ。
既にいくらか待たせてしまったようなので、早速本題に入ることにした。
「B級冒険者パーティ「蒼い薔薇」への加入面談――早速、始めようか」
「その言い方では、貴方が面接官のようですわね」
声には多少の呆れを含んでいるが、気を害した様子はない。
そのことにライナーは安心した。
彼とて自分の言動が、人をイラつかせるというのは分かっているからだ。
「リーダーのリリーアです。確認ですが、ライナー・バレットさんですね?」
「C級冒険者のライナーだ。攻撃力と協調性はゼロ。防御力と魔法攻撃力も無いが、素早さだけならA級を超える斥候専門の人材と考えてくれ」
少し戸惑った様子のリリーアではあるが。
ライナーを紹介してきた受付嬢のアリスから、「難物」という評価を伝え聞いた後である。
「事前に聞いていた通りですね。……初対面で協調性の無さを強調してくる方は、流石に初めてですが」
「そうか」
彼女も、できることなら女性で、温和な斥候を求めていたのだが。
何故かこの街ではフリーの斥候が一人も見当たらず、現状では彼くらいしか選択肢が無いのだ。
ライナーの様子を見れば、返事はぶっきらぼうだし表情にも乏しい。
希望条件とはかなり違う。
だが、まだ想定の範囲内だろうと、気を取り直して彼女は言う。
「我々のパーティは女性だけで構成されていますの。それも、貴族の流れを汲む由緒正しい――」
「結論を」
「……せっかちな殿方は嫌われますわよ」
アピールを遮られたからか、少し不満げな表情にはなったが。
冗長な会話を嫌うことも、分かった上で話を持ち掛けたのだ。
指を二本立てて、リリーアはライナーに言う。
「メンバーに変な気を起こさないこと。下品な振る舞いをしないこと。この二点が守れるようなら契約を」
「交渉成立だ」
「えっ」
そう言うなり、彼は雇用契約書へサインしようとしていた。
書面には今挙げられた二点以外の条件が付いていないし。賃金などは相場通りなので、諸条件には納得済みだ。
彼が記入を終えれば臨時メンバーとしての登録は完了となる。
呆気に取られたリリーアに対し、速記で記入を終わらせたライナーは淡々と言う。
「下品な振る舞いはもちろんしないし、劣情も恋愛感情も何もかも、一切持たないことを約束しよう」
「私も美しい方だと自負しておりますが。ここまで完璧に興味を持たれないと、自信を無くしそうですわ」
そう言われて、ライナーはリリーアの顔をまじまじと見る。
彼女は金糸のような髪を腰元まで伸ばし、手入れも完璧だ。
サファイアを思わせる蒼い瞳は、見ていると吸い込まれそうな錯覚すら覚える。
目鼻立ちは端正で、唇は小さく、これまた鮮やかな桜色をしている。
「美しいのは間違いない。街を歩いていたら声をかけられることも多いのでは?」
そんな風に顔のパーツを一つ一つ確認してから、ライナーも頷いた。
が、彼は真顔だった。
「……そう仰る割りに、興味は無さそうですわね」
「恋愛とは結婚に至るまでの過程でしかない。何年付き合おうと、破局すればタイムロスだ」
結婚願望は人一倍強いライナーではあるが、そこにはロマンもロマンスもない。
現実的に家庭を持ち、現実的に働き、現実的な人生を送る。
それも最速で、最短経路で。
彼は本気でそう考えていたし、そうなることを願っていた。
だから言い寄る男が多そうな女性。
つまり一定以上のレベルを持つ美女には、むしろ最初から近づかないようにしているのだ。
「競争している時間が無駄だし、選べる男の選択肢が多ければ相手も迷うだろう」
迷っている時間も無駄だ。
限りない最速でのゴールインを目指すなら、ほどほどの相手がいい。
――という考えを、つらつらと語ったのだが。
道を拓くための説法でも行ったかのように満足気なライナーに対して、リリーアはドン引きしていた。
「大丈夫ですの、この方……。いえ、ですが、斥候の能力を見ればこの方が一番ですし、それに……」
本当に雇ってもいいのか。
ライナーはサインを終わらせたので、あとは彼女から追加の要望が無ければ手続きは終了となるのだが。
「そろそろいいだろう。提出するか、雇うのを止めるか。……三分後に答えを聞こうか」
「え?」
「俺の持論なんだが」
そう言って一呼吸置き。
決め顔とも言えない真顔で彼は言う。
「三分間真剣に考えたら、大抵のことには結論が出るはずだ」
何と言うか。
今日はライナーの持論がよく展開される日になった。
つまり、一度結論らしきものが出たならば。
その後三十分考えても。
三時間考えても。
結論は、最初に考えついたものに戻ってくる。
ディス・イズ・ライナー。
俺はこういう人間だということを見せつけたのだから、後は相手がそれをどう判断するかだけだ。
と、余裕綽々の態度で、ライナーは紅茶を嗜んだ。
「さあ、時間は有限だ。早急な判断を頼む」
「え、ええ……? あの、ええと……」
何故か面接官の方が追い詰められる結果になったが――とにかく、この日ライナーは冒険者に復帰した。