第二話 無限の可能性
「これから、どうしたものか」
「はぁ……頼めば残留できそうなものを」
ライナーは今後を思案しながら、盤上の駒を敵陣に進めた。
その向かいでは、白ひげを生やした爺さんが呆れ顔をしている。
「一度クビを撤回させても、そのうちまた同じ話になるよ」
「そこを根気強くだな⋯⋯」
「何度も繰り返すなら、初回で諦めるのが一番早い」
ライナーは外食もせず、就職活動を済ませて帰宅した。
そして、次の日課までに空いた時間で、隣の家のご隠居と対局をしながら、茶を啜っていた。
「そりゃあそうかもしれんが⋯⋯世渡りが下手なのは、相変わらずか」
いつもより早い帰りを訝しんだご隠居にも、事情は説明してある。
そして返ってきた返事には、ライナーの性格を知っているがゆえの、諦めが多分に含まれていた。
「終わりが見えたんだから、可能な限り早く終わらせて、次に行く」
「若いうちは、もっと無駄を楽しんでもいいと思うがね⋯⋯」
ご隠居は眉を曲げて言うが、ライナーは無駄を楽しいとは思わない。
むしろ無駄なく、最速最短で目標を達成できた方が楽しい。
などと、考えを散らせた次の瞬間。ご隠居が急所に指して、盤上の戦況が一気に傾いた。
「何にせよ、人は一人では生きていけん。だからこそ謙虚さを持ち、不得意なことは誰かに頼――」
「投了します」
最速の投了宣言を受けて固まった老人は、一拍空けて言う。
「……見切るのが早すぎんか?」
「不利な戦いを延々と続けて、長丁場の泥仕合になるくらいなら、負けを認めて仕切り直した方がいい」
その方が合理的だ。勝敗を競っていないのだからそれでいいと、彼は本気でそう思っていた。
「もう一手⋯⋯といきたいところだけど、次を始めたら日課に遅れそうだな」
ライナーは毎日同じ時間に、同じペースで、淡々とランニングをする。
トレーニング面でも無駄を極限まで削り、最高効率で、限りなく効果的な鍛錬を続けている男でもあった。
ただし鍛えるものは体力と脚力のみ。
仕事に必要な能力だけを、厳選して鍛えている。
「本当にお前は、偏っとるなぁ」
「それが得意分野だから」
「意趣返しのつもりか……まったく」
斥候偵察、妨害工作はお手の物だ。戦うための下準備は任せておけ。
ただし俺には戦闘能力がない。だから戦いは他のメンバーに任せる。
それが彼のスタンスである。安全で快適に戦うための、場を作るまでが仕事なので、この宣言に間違いはない。
さておき、話を切り上げようとするライナーに、ご隠居は重ねてボヤく。
「そんなに俊敏さを極めたいなら、もっと《スキル》を取ればいいだろうに」
何かの経験に熟練してくると、技や魔法を唐突に習得することがある。
鍛錬や仕事をしていれば、自動で付いてくると言ってもいい。
斥候を続けていれば、《隠密》や《暗視》など、索敵に有利なスキルが揃っていくし、素早さや器用さにも補正が入る。
あくまで補正だ。不思議な力で強化されるだけなので、スキルとは別に、やはり鍛錬が要る。
「斥候もスカウトも、ほとんどのスキルを習得済みだよ。これ以上は身体を鍛えた方が効率がいい」
鍛錬の方向性や、就いている職業によって、能力の成長も変わってくる。
華奢な見た目で戦斧を振り回す女戦士がいれば、筋骨隆々な魔法使いだっているのだ。
素早さや敏捷性に寄与しそうなものは、軒並み取った。だから後は自分の脚力や体力を鍛えて、補正との掛け算を狙う考えは、合理的ではあった。
「取れるだけ取った方がいいのは分かるけど⋯⋯もう、有用そうなものは見当たらないかな」
威力を底上げするスキルをいくつも取って、複合させなければ、剣を握っても意味がないのだ。
武器の扱いが上手くなったとて、単品では死にスキルが多い。
早さや速さを補強してくれる、能力向上のめぼしいスキルが残っていないのなら、地道な筋トレが最高効率だと、ライナーは一人頷く。
「そうか?」
「そうだと思うけど」
素早さだけを見れば、ライナーは超A級。国内屈指の実力者だ。
ひとっ走りして、様子を見て帰ってくる仕事は、誰よりも向いていた。
その代わり、戦闘関連の補正はごく低水準。
新米冒険者と腕相撲をしても負けるレベルで、魔法能力も最低限度だ。
そんなことは分かっているとばかりに、淡々と告げたライナーだが、続く言葉で目を見開いた。
「いやな、郵便屋とか運び屋とか……飛脚とか? 異業種はどうなんだ」
「……異業種?」
それらは冒険に関係がないからと、ライナーが初めから選択肢から外していた職業だ。
しかし、言われてみればそうである。運搬に使うためのスキルでも、物によっては素早さに繋がるものはあるだろうと、彼は目を見開いた。
「軽業師とか鳶職とか、探せば色々あるんじゃないのか。無職で暇なら、一つや二つ覚えてみても良さそうなもんだが」
「そう言えば……そうだ」
冒険者として活動を始めるのが早いほど、信頼と実績を積み重ねるのも早くなる。
そう考えて、13歳でこの世界に飛び込んでから、4年ほど。
今話題に上がったアイデアは、一度として出てこなかった発想だった。
「俺が間違っていたよ、ご隠居」
「分かってくれたなら何よりだ」
冒険に関係が無いスキルでも、素早さが上がるなら有用だ。
全く手を付けていなかった分野だけに、可能性は無限大にも感じられた。
「そうともお前は視野が狭い。もっと広い視野で――」
ご隠居は目を瞑り、含蓄がありそうな、ゆっくりとした口調で言葉を紡ぐ。
そしてふと目を開くと、ライナーはどこから持ち出したのか、ヘルメットを持ち出していた。
「俺、今日から鳶職人になる」
「主の人生、それでいいのか!?」
切り替えが早いというのは、一つの才能だ。
ライナーは持ち味を活かして、早速考えを改めた。
「こうしちゃいられない。ちょっと大工の親方に弟子入りしてくる!」
「ま、待てライナー、もっとよく調べてから――!」
ご隠居の話もそこそこに、既にライナーは走り出した。
高所作業員のような仕事にありつければ、不安定な足場の中でも、安定した速さが出せるようになるかもしれない。
よりダイレクトに、素早さが上がるスキルだってあるかもしれない。
「おじいちゃーん、ライナー。そろそろご飯に……あれ? ライナーは?」
「行ったよ。いつもの発作だ」
「ああ……なんかもう、分かったわ」
「あいつは人の話を聞かないからなぁ……」
呆れる孫と爺さんも何のその。新しい可能性に胸を躍らせたライナーは、最高速で夕暮れの街を走り抜けていった。




