96「ミリオンモンスターズアタック」
ラックという少年に、これといった特徴は無い。
体つきも顔立ちもそこらの子どもと大差がなければ、天使の寵愛のような特別な力も有しておらず、学力だって平々凡々だ。身体能力だって突出していない。人付き合いをそれなりにこなし、大通りにある酒場の娘に思春期特有の興味を抱いている。
それでも彼について、何か特筆すべきプロフィールがあるとするならば、それは彼が孤児だということだろう。
自分が捨てられたという事実は思い出す度に悲しい気持ちになるが、かと言って顔も覚えていない両親のことを恨む気にもなれない。きっと彼らには子供を手放さざるを得ない理由があったのだろうし、それに孤児になっていなければ、教会の子どもになることも無かっただろう。
ラックは教会での暮らしを気に入っていた。
手入れのされている庭はいつも綺麗で居心地がいいし、自分と同じ経緯で教会に拾われた他の子どもたちとは兄弟のような絆を感じられる。
そして何より、ラックたちの親代わりであるイステイン神父は優しく、愛に満ちた人格者だった。
神父様に育てられている自分は幸せ者だなあ──そんな感謝の思いを日頃から抱きながら、ラックはこれといったハプニングがない順風満帆な生活を送っていた。
しかし、島が急に嵐に襲われている今日は、そんな平穏な気分ではいられなかった。
教会の子どもたちが集められた部屋には、陰鬱な空気が漂っている。雨粒に叩かれている窓は、今にも割れそうなほどに頼りない。突風の突進を受け続けている壁は、ぎしぎしと恐怖を煽る音を奏でていた。
時刻はまだ昼だというのに外は真っ暗で、まるで世界から太陽が奪われてしまったかのようだった。夏場によく『ふたつもあると気分的に暑くて仕方ないから、ひとつ減ってくれないかなあ』と思っていたが、ふたつまとめて消えられると不安で仕方ない。
床の中心に置かれているランプのみが、今のラックたちにとっての唯一の灯りだった。ひときわ大きな風が吹く。幼い兄弟が悲鳴を上げた。
「神父様はまだ戻ってこないのかな……」
本来ならば、こういう時はイステイン神父が傍にいて子どもたちを安心させてくれるはずなのだ。しかし、彼は子供たちを部屋に集めた後で戸締りの最終確認に向かってから戻って来ていない。
まさかこんな時に教会の外に出て行くなんて馬鹿な真似はしていないと思うが、こうも音沙汰がないと不安である。神父はそろそろ高齢に差し掛かる年頃だし、もしかして急病か何かで倒れているんじゃないかと考えると、気が気でない。
『探しに行くべきか』と腰を上げかけたが、途中で思い留まる。ここで最年長である自分が部屋を出たら、残された兄弟たちは更に不安になってしまうだろう。
この場で自分が出来る最善の手は、神父の代わりに場の空気を和らげることだ。そう理解したラックは、出来るだけ明るい雰囲気になるように意識しながら表情を作りつつ、嵐に怯える兄弟に声を掛けようとした──その時だった、窓から見える暗闇の向こうから、爆発するような光が射しこんできた。
否。
光の爆発が射しこんできた。
◆
「気に!」
チェーンは高エネルギーの光を生成し、それを凄まじい勢いで放った。その余波だけで路地を挟む建物は崩壊する。光の爆弾の直撃を受けたキロリッターは体中から真っ赤な炎を燃え上がらせながら、真上に吹き飛んだ。
「いら!」
攻撃はそれだけでは終わらず、光の速度で飛翔し、空中のキロリッターに追いつく。片手には剣の形に加工した光が握られていた。剣身も柄も輝いているその姿は、『射し照らすフォトンブック』以上に聖剣という表現が似合いそうだ。
チェーンはそれをキロリッターの胸部に突き刺す。切っ先が血飛沫と共に背中から顔を出した。刃が触れている箇所からは、ぶすぶすと焼け焦げる音が聞こえた。
「ないな!」
チェーンは右手を開き、空に向かって掲げた。すると、それまでチェレン王国のあちこちに落ちていた雷光がチェーンの真上に集まる。それが限界まで凝縮すると一筋の光となり、キロリッターの体を貫いた。
「そもそも彼があなたの所有物だっていうのが気にいらない。彼の傍にいるのは私だけなんだから、さァッ!」
チェーンは嫉妬の念が込められた口調で叫び、先ほどと同じことを繰り返した。眩い稲光に何度も身を焼かれながら、キロリッターは重力に引かれて落ちて行く。チェーンもその後を追って降下した。
幾本もの稲光を束ねて作られた雷霆は、たとえ一発でも常人に当てれば体を木っ端微塵にするどころか、肉片ひとつ残さずに消滅させるのに十分な威力を持っていた。
しかし。
「あはっ」
笑う。
「あはははははははははっ!」
笑う。笑う。笑う。
五体満足で笑うキロリッターの声は雷鳴よりも大きく轟いた。
高電圧の攻撃を幾度も受けた体は、軽い火傷を負っているだけであり、それですら彼女が起き上がった頃には完全に消え失せ、元の美麗な肌へと戻っていた。
「天下無敵の吸血鬼である私に喧嘩を売ってきたから、どれほどの奴かと思ったけど、そんなものなのね。光天使といっても大したことないじゃない──いや」
そこでキロリッターはチェーンの頭上に浮かぶ輪をきろりと見つめた。
「寵愛はもうひとつあるようね」
先ほど見せた殺意が嘘かのように笑うキロリッター。しかし、その表情とは裏腹に、彼女の体はチェーンの命を刈り取るべく動いていた。
「【動くな】!」
鉤爪のように立てられた五指がチェーンの顔面に食い込むまであと数メートルとなったところで、キロリッターは動かなくなった。
権天使の『強権命令』は相手が聞きさえすれば効く異能だ。
たとえチェーンに敵対的な感情を抱いていようと、立場に縛られぬ流浪の旅人だろうと──そして最強の種族である吸血鬼だろうと、命令による強制力から逃れることはできない。
現に動きを止められたキロリッターは足に力を込めたものの、一歩も前進できずにいた。
「なるほど……『絶対順守の命令』……権天使辺りの寵愛かしら。中々厄介な寵愛ね」
感心したように呟き、ため息を吐く。
「私って戦闘においては最強だから、さっきの光天使みたいに純粋な火力で殴ってくる相手には正面から殴り返すだけで勝てちゃうんだけど、こういうタイプは苦手なのよね……さて、どうしようかしら」
『ぷっ』という音と同時に、キロリッターの口内から何かが発射された。
チェーンはそれを光の剣で弾く。飛んできたのは弾丸だった。『物質創造』によって口内に弾丸を生み出し、それを吸血鬼の埒外な肺活量でスイカの種を飛ばすように発射したのである。
「あら、てっきりこれで死ぬかと思っていたんだけど。案外やるわね」
「あなたなんかに褒められても全然嬉しくない」
チェーンは酷く冷めた目つきで答えた。
「ぺちゃくちゃと緊張感なく喋ったり無意味な攻撃をしたりしているけど、『強権命令』の術中に嵌った時点で詰みだって分からないかな。あとはどう処理されるか待つだけの、厨房の魚みたいな状況なんだよ」
「ええ、そうね。まるで体が石になったみたいに動けないわ。これだとあなたに勝つのは難しそう──だから」
チェーンはまた、周囲の全ての闇から殺意を浴びせられる感覚に襲われた。
「ちょっとズルしちゃおうかしら」
直後、それがキロリッターの膨大な殺意が見せた錯覚ではないことを知る。
周囲の暗闇が蠢き出した。まるで、意思を持った生物であるかのように。
咄嗟に光線を生み出し、闇のひとつを撃つ。断末魔が上がり、殺意の正体が光に照らされる。人の形をした影だった。
「私の分身を百……千……五千? ……ええと、まあ、とにかくいっぱい作ったわ。久々だから耐久性はそこまでだけど、結構戦えるんじゃないかしら?」
キロリッターが意地の悪い笑顔を浮かべる。それと同時に、チェーンの視界は数えきれないほどの暗黒に覆われた。




