97「ヴァンプネード」
キロリッターが言った通り、彼女の分身の耐久性は大して高くなかった。陽光の性質を持つ攻撃を一発でも当てれば傷口を基点として炎上し、そのまま細かな影の粒子となって消滅する。本体のキロリッターと比べれば月とすっぽんな耐久性だった。
とはいえ、その数の多さは脅威である。どれだけ倒しても湯水のように湧いてくるのだ。その全体数はどれほどだろう。かつて権天使の『強権命令』を指して『万軍を従える能力』と評したが、周囲を取り囲む影の数は万を超えていた。キロリッター曰く『とにかくいっぱい』な軍勢は、ひょっとするとチェレン王国の総人口よりも多いかもしれない。これではどれだけ命令を下そうが、光の攻撃を浴びせようが終わりが見えない。まるで無間地獄のようだ。
ならば、本体であるキロリッターを直接叩けばいいのではないかと思わされるが、大量に噴出している分身たちが壁となっている所為で、声も光も彼女の元には届かなかった
地上における最強種である吸血鬼の力のデタラメぶりに苛立ちを感じながら、チェーンは右手側の影の首を光の剣で刎ねる。
周囲一帯が闇で覆われた中、光源は光天使の寵愛を得た自分だけ。光球を爆発させるように拡散し、こちらに手を伸ばしていた影を一気に炎上させる。その背後から飛び出してきた新生の影の胸を撃ち抜く。
真上から影が落ち──軽くはたく。それだけで燃え上がった。
突進してくる影──「【這いつくばれ】」の一言で無力化したので、頭を蹴り飛ばした。
複数の方向から伸びる腕──光の剣で弧を描き、切り裂いた。
影。光。炎。断末魔。影。光。光。影。炎。断末魔。影。光。影。影。光。炎。影。影。影。影、影、影影、影影影影影影影影影影影影影影──……。
「はぁ……はっ……」
いつの間にか呼吸が乱れていた。
キロリッターが分身を生み出してからどれだけの時間が経っただろうか。そして、いったいいつになれば、この滅茶苦茶な乱戦は終わるのだろうか。その身に宿る不死性ゆえに時間の概念がない吸血鬼を相手に、そんな考えを持つことは愚行なのかもしれない。
影との永遠にも思える戦闘は常人であれば気が滅入りそうだ。だが、愛しの勇者の為に戦っているチェーンに『諦める』という選択肢は存在しなかった。たとえ本当に永遠に戦ったとしても心が折れることは無いだろう。ただ一心不乱に、影の軍勢を滅ぼし続ける。
だが、それはあくまで気持ちの問題に過ぎない。チェーンの体力は刻一刻と摩耗していた。絶え間なく続く戦闘は勿論のこと、キロリッターの分身たちが消滅する際に発する炎の熱も、彼女の体力を奪う大きな原因となっていた。
寵愛の使用に要するエネルギーだって無限ではない。使い手が疲弊していけば、その分寵愛は弱まっていくのだ。かつて『フールブック号』での海上憲兵との邂逅において、メェケンが薬物によるドーピングで無理やりハイになって寵愛の力を引き出したこととは真逆のケースである。
チェーンを取り囲む影の輪の直径は徐々に短くなっていく。その中心にて灯る光も、段々と小さくなっていた。天使との間にあるパスの証である輪も、その姿を薄れさせつつある。
「こんな……はぁっ……ところで負けるわけには……」
体が鉛になったような疲労を感じながら、左右から挟むようにやってきた影を薙ぎ払う。
直後、延々と続いていた分身たちの波がほんの僅かな時間途絶える。一秒にも満たない隙だったが、チェーンはそれを見逃さなかった。
口を開き、枯れかけた喉から声を張り上げる。
『強権命令』を発動するためだが、此度の命令の対象は分身たちでなければ依然として姿が見えないキロリッターでもない。
チェーンは自分自身に向かって、絶対遵守の命令を発した。
「【もっと! もっと強く! こんな奴らに負けないくらいの力を──】」
それはこれまで何度も抱いてきた願い。勇者を己の傍に置くために求める、圧倒的な力。
チェーンはそれを自分自身に命令する形で手に入れようとしたのだ。今まで試したことの無い裏技だが、先ほどジキルに向かって自分の限界を超えるような命令を言い渡し、それを実行させられたのだから、絶対に不可能ということはないだろう。
今にも喉が裂けて血を吐き出しそうな激痛を感じながら、チェーンは命令を言い終えようとし──黒一色の群れの中から目に眩しい金髪が躍り出た。
キロリッター・トングラム・センチメンタルだ。
その体は言葉による支配どころか重力による束縛すら感じられないほどに軽やかな動きを見せている。連戦を経た疲労によってチェーンの『強権命令』の効力が弱まる機会を狙っていたようだ。
チェーンは光線を発射する。キロリッターはそれらを避けることなく前進した。体に空いた小さな弾痕は瞬く間に修復され、彼女の背後で光線の直撃を受けた分身たちが吹き飛んだ。
その耐久。その速度。その気迫。その力。
どれも規格外だ。チェーンはこれまで自分が相手にしていた影たちが、分身という評価すら似合わない粗悪品だったことを理解する。
著しく消耗した状態で正面からぶつかるのは拙いと考え、比較的分身たちの層が薄い後方に向かって飛翔した。何体もの影を突き破る速度は、光のそれである。
その速度に追いすがることなど、何者にも出来るはずが──向かう先の空中で、キロリッターが通せんぼするかのように待ち構えていた。
「えッ……?」
「『なぜ?』って顔をしているけど、そんなに理解しにくいかしら? だって、光の速度に追いつくために、それより速く移動しただけだもの」
さも当然のように光速を突破してみせたキロリッターは、握り拳を振り下ろした。真正の吸血鬼である彼女は光天使と契約を結んでいるチェーンの体に触れれば発火してしまうのだが、それに構わず殴り抜けた。チェーンは体から嫌な音を鳴らすと、そのまま地面に高速で落下し、地面に叩きつけられた。
「さて、これで部屋の壁をぶち抜かれた分はやれたわね」
雨粒と共に地面に降り立つキロリッター。疲労困憊しているチェーンと違って、その表情に疲れの色は見えない。
周囲で渦巻く嵐よりも滅茶苦茶で暴力的な存在が、ここにあった。
「じゃあ次は、ツーテルクトップから借りてた本の分をやらせてもらおうかしら」




