92「破壊、命令、ピカピカ」
地上に降り立ったチェーンは、天使のように神秘的な雰囲気と、悪魔の如き圧倒的な暴力を備えていた。
彼女の頭上に滞空する輪はふたつ。王冠と光冠。それはふたつの寵愛をその身に宿している証である。形状こそ違うものの、どちらも眩しく輝いていた。空が雲で真っ黒に塗り潰されている状況において、その威容は実に目立っていた。
「……派手な格好っすね。さっきと比べて随分変わったじゃないすか」
「勇者を手に入れるんだもん。これくらいのイメチェンはしなきゃね」
まるで髪型を変えたくらいの気軽さで話すチェーン。彼女の顔には依然として、子供を見守る聖職者みたいな微笑を浮かんている。数多の人間を犠牲にし、極大の稲光でもってひとりの人間を消滅させた張本人とは思えないほどに穏やかな態度だ。
だが、次の瞬間には冷たい雰囲気を発し、
「【抱えているものを私に寄越せ】」
と言い放った。
その言葉を契機に、それまで戦闘か逃走の二択の準備をしていたリルの筋肉は一瞬で固まる。どれだけ力を込めようとしても、内部に未知の回路が仕込まれたかのように、体が不本意な動きをする。権天使の力による絶対に反抗できない命令だ。
「ごめんっすロータローくん……話には聞いていたけどトンデモない力っすよ、これ……」
リルは悔しそうな表情をしながら、ロータローを引き渡した。先ほどオーロラがチェーンに『射し照らすフォトンブック』を渡した時のように投げるという乱雑な渡し方ではなく、地面にそっと置くという丁寧な渡し方だった。
そんな扱いをされても、全身傷だらけのロータローにとってはほんの少しの刺激が激痛へと変わるため、彼は地面に置かれると同時に顔を歪めた。
「クソッ。イテえ……痛すぎて頭がどうにかなっちまいそうだ」
「……相手を従える命令の能力だけでも厄介っすけど、肉弾戦をするジブンとしては光を操作して攻撃する能力の方が怖いっすね。光線の発射と稲光の操作は強力だし、当たったらひとたまりもないっすよ」
「別に考察なんて好きにやって構わないけどさ、私の命令を聞いている状態でアレコレ考えた所で意味なくない? 君が今から何をしたところで、私にはそれよりも早く対処できる自信があるよ?」
「はははっ。ペラペラ喋ってるのは、ジブンが戦うからじゃないっすよ。──そもそもアンタに聞かせるためでもない」
チェーンの背後にあった建物が吹き飛んだ。まるで中に爆薬でもあって、それが炸裂したかのような轟音だった。
衝撃から逃れるために跳びながら、チェーンは破壊の中心部に目を向ける。男が壁を突き破ってこちらに迫りながら、片方だけしかない腕を振りかぶっていた。
「ははははははッ!」
大声で笑うその体は半透明であり、向こう側にある惨状が透けて見えている。
「ロータローくんを探していたのはジブンひとりだけじゃないっすよ。まさかこんなすぐに駆けつけてくるとは思ってなかったすけど」
「儂、ただいま参上ォ! 復活直後の腕試しに、ぶっ飛ばしてやるわ!」
『彷徨えるフールブック号』の戦闘員、ヨル。
光速には及ばずとも、尋常ではない速度での到着だった。
チェーンは手を翳す。そこから光の帯が噴出し、襲いかかるヨルの胸を貫いた。しかし、ダメージは少しも入っていない。
「あちゃ~、そうか。幽霊はあらゆる攻撃を通過させるんだったか」
「馬鹿めッ! 天下無双の儂を傷つけられるものなど、この世に存在せんわあああああああ!」
己の片腕を奪った物の存在をすっかり忘れているらしいヨルは、豪快に笑いながら拳を飛ばす。ポルターガイストが込められた拳がチェーンの顔に触れれば、熟れた果実のように弾けさせることができるだろう。
しかしチェーンは慌てることなく打擲を避けてみせた。光速での移動を可能とする彼女にとって、ヨルの拳は蠅が止まるほどに遅く見えただろう。
「やっぱり最初からこっちにすれば良かったかな〜──【退がれ】」
「ああん? ナ~ニ偉そうなこと言っ」
反骨心溢れる発言とは裏腹に、ヨルは思いっきり後退した。
たとえ攻撃が通じない幽霊だろうと、言葉は通じるのだ。ならば、『強権命令』による支配からは逃れられないのである。
ヨルが十分に離れたことを確かめると、チェーンは口を開き、
「幽霊ならポルターガイストを使って来るかな──【動くな】」
(ぐ、ぐぐぐ……動けん! クソォ~、舐めやがってええええ……!)
ヨルの派手な登場により建物に開けられていた大穴の中から足音がしたので、チェーンはそちらを見た。
「ぴえっ」
修道服を着た小柄な女が、身を潜めていた。ナイフを握る手は小刻みに揺れており、表情から戦闘意欲らしきものは微塵も見えない。
せめて敵対を避けて友好的になろうという思惑があるのか、口の両端を引き上げている。しかし、恐怖によって緊張している表情筋は『強権命令』による支配を受けるまでもなく、不自由な動きになっていた。笑っているというより、泣いているような顔である。
「こ、ここここ、っここっ」
『シットローズ号』の戦闘員であるヘルは、震える喉から鶏のような声を絞り出す。
「こ、降参しまあす……リルさんとヨルさんでも勝てない相手に私が勝てるわけないじゃないですかあ……」
「…………」
「な、なな、なんで何も言わないんですかあああ⁉ ひ、ひいいいいいいいいいいいい! やめてやめてやめて! 私の負け! 負けですからああああアアアアアアアアアア! 負けって言ってるのにいいいいいいいいいい!」
ヘルは錯乱しながら、握っていたナイフを投擲した。それはチェーンの正中線を狙っており、そのまま進んでいたら致命的な傷を負わせていたであろう一投だった。しかし、現在の周囲の天候は大嵐。路地に吹き込んだ風に攫われたナイフはあらぬ方向へと飛んで行き、古びた建物の壁にぶつかった後に地面に落ちた。防御するまでもない攻撃だった。
「ひえええええええええええええええ⁉ ど、どうして刺さらないんですかあああああああああああああああああああああ⁉ お、オバ、オバケだ……刺せないものと言ったらオバケさんだけだもん……きっとポルターガイストを使ってナイフを動かしたんだあ……あばばばばば……」
ヘルは腰を抜かし、口から泡を吹く。四つん這いのまま逃げるようにヨルの元まで近づくと、彼の肩に触れた。
「に、逃げなくちゃ……にげ……うっ、ぷ……げろげろ……」
ふたりの姿はその場から消失した。
「……?」
目の前で起きた現象を不思議に思うチェーン。身を隠した後に不意打ちでも仕掛けてくるのかと考え警戒したが、襲ってくる気配は一向にない。念のために破壊力を持った光で周囲一帯を照射してみたものの、手応えは感じられなかった。
「まさか本当に逃げたのかな?」
邪魔者を追い払ったチェーンは、ロータローが安置されているであろう場所に目を向けた。しかし、そこに彼の姿はなかった。ついでに言うと、リルの姿も無かった。
「…………」
チェーンがリルに与えていた『命令』はロータローを引き渡すことだけだった。それ以後の行動までは指示していない。まさか、こんな邪魔が入るとは思っていなかったからだ。
命令者が邪魔者を処理していた隙を狙って、リルは一度渡したロータローを再び奪い、逃げてみせたのである
「逃げた所でどうせすぐ捕まるのに、無駄なことをするなあ……やっぱり殺してでも奪うべきだったかな」
チェーンは困ったように溜息を吐くと飛んで行った。
後には蹂躙された路地の風景のみが残った。




