91「光天使・オルエル」
「なるほど。つまり、たった一言で相手を支配できる力を持つ女王サマが、ロータローくんのことを愛しの勇者だと思い込んでいるってことっすね」
絶え間なく降り注ぐ豪雨が、リルの耳を濡らす。路地に沿って流れている水路は、今にも限界を迎えて溢れかえりそうだ。
「『フールブック号』の時といい、ロータローくんはよく厄介な奴から目を付けられるっすねえ。はははっ、どういう星の元に生まれてるんすか」
「笑い事じゃねえ……どうすりゃいいんだよ……」
リルに抱えられているロータローは憂鬱な面持ちをしていた。『射し照らすフォトンブック』によってつけられた傷はまだ完全に治っておらず、痛々しい裂け目を残している。リルはそれを見つめ、
「光の剣なんて、吸血鬼の天敵みたいな武器っすよね。コワ~……。あ、でもその剣は本来の持ち主である物騒な黒ドレスの女から、チェーン女王の手に渡ってるんすよね? だったら、もうそれで斬られる心配はないんじゃないすか?」
一安心と言わんばかりに人懐こく笑う。ロータローはその陽気さを羨ましく思った。
路地を曲がる。すると、何人かの男たちが現れた。ロータローは彼らの下卑た視線と乱暴な雰囲気に見覚えがあった。
「お前らは……さっきの⁉」
「てめえ、よくもまた俺たちの前に顔を出せたな!」
先刻遭遇した物盗りの一味。その内のひとりはロータローの姿を認めると、鼻息を荒くして喚いた。
「どうやら、あの眼帯野郎はいねえようだなァ⁉ へっへっへ、代わりに獣人と一緒に居るのは驚きだが、手負いのてめえを抱えてる状態だと、碌に動けねえだろ!」
幅広の鉈を携えて突っ込んでくる。ロータローは悲鳴を上げたが、刃先がこちらに触れるよりも前に、リルの片足が閃いた。綺麗な半円を描く爪先は襲撃者の手から鉈を蹴り飛ばし、返す刀でこめかみを踵で打ち抜く。
一撃で意識を失った男はその場に倒れた。遅れて、足で打ち上げられた刃物が落下し、路地に金属音が鳴り響く。
獣人としての並外れた身体能力と、屍人としての桁違いのパワーを掛け合わせたリルに、たかがチンピラ如きが敵うはずがない。
一歩、彼は前に踏み出す。同時に、物盗りたちは退がった。完全に彼我の力量差を理解しているが、蜘蛛の子を散らすように逃げるほどの怖気は見せていない。一日の間に二度も同じ得物を取り逃がすというのは、流石に彼らのプライドが許さないのだろう。
「うーん、仕方ない。ここは強行突破させてもらうっすよ」
身を屈め、地面を蹴ろうとした。その時だった、爆発するかのように眩しい光がリルの目を焼いたのは。
「ッ⁉」
すわ目眩ましかと思い、攻撃を警戒しながら後ろに跳ぶ。だが、そうではないらしい。
光がすぐに収まると、野盗たちは姿を消していた。
顔の傷が目立つゴロツキも、拳を握っていた偉丈夫も、棍棒を引きずっていた巨漢も、そんな彼らを従えていたリーダー格の男も。
全員が一瞬で消えていた。
リルが光に怯んだ隙を突いて逃げた、とは思えない。何故なら、彼らが着ていた衣服や身に着けていた武器だけが地面に落ちているからだ。いったいどこに、自分から進んで丸腰の裸になる逃亡者がいるだろうか。消えずに残った者もひとりだけいるが、彼は腰を抜かしていた。汚い身なりから分かりづらいが、まだ三十を越えてから少ししか経ってないことが伺える青年だった。
「な、なんだよ……どうしてボスたちが消えちまったんだ?」
喉から出る震えた声と、目と口を開けて呆けている表情から、謎の発光が彼にとっても予想外だったことが分かる。
「これは……いったい……?」
疑問符を浮かべるリル。
叫び声がした。絶叫と悲鳴と困惑が混ざったような声だった。それが、街のあちこちから響いている。もしや、今しがた起きた謎の発光は、この場だけのものではないのか? ──息をつく暇もなく、上空が快晴の真昼のように輝いた。
見上げると、建物に挟まれて切り取られた空の中を、何本もの光線が横切っている。直後、それらが飛んで行った方向から爆音が鳴り響いた。
「お、おい……そこのケモノ野郎……いったい何が起きているんだよ……」
連続して発生している異常事態に、物盗りの生き残りが冷汗を流しながら問いかける。その答えをリルが知っているわけがない。だが、仮設めいたものは頭に浮かんでいた。
「光……消失……いや、まさかっすよね……そんなことをこんな短時間で出来るはずが……」
「ブツブツ言ってんじゃねえ……ちゃんと答えろ……答えてくれよ……な、ななな、なんだよこの理解不能な災害はよお……まるで……ああ、まるでッ! 『大いなる死』みたいじゃねえかああああああ⁉︎ うわあああああああああああああッ!」
糸がプツンと切れて恐慌を来たしたならず者は、近くに落ちていた武器を手に取り、襲い掛かってきた。完全に正気を失っているため狙いは定まっておらず、震えている手は今にも得物を落としそうだ。
未だ状況が掴めないものの、だからと言って迫る外敵を無視するリルではない。先ほどと同じように前蹴りで対処すべく、彼は脚に力を込──目の前に光が落ちた。
稲光だ。
それも、ただの落雷ではない。現在チェレン王国に落ちている雷光を何本も束ねたかのような威力だった。地面には穴が開き、淵が黒く焼け焦げている。先ほどまでそこに立っていたならず者は一瞬で蒸発し、チリも残さず消えた。電流が通過して熱された空気は、雨で瞬く間に冷やされた。
「危ない危ない。うっかり彼まで消し飛ばしてしまうところだったよ。にへへ。力を手に入れたばかりだから、まだ光の操作に慣れてないなあ」
上空から声が聞こえた──と思った頃に、それは落ちていた。
大災害による破滅から復興してみせたチェレン王国の女王にして、口先ひとつで万人を従える権天使の愛を受けた者。
二十年前に見た輝きを盲目に探し続ける夢追人にして、光天使という最も聖なる力を揮って災害級の破壊を齎す怪物。
世界最強に近い人間が、流星のように飛来した。




