88「女王の命令」
「うふ……ようやく見つけたわ、卑しい女」
路地裏の闇に幽鬼の如く佇むオーロラは、片手に握る柄だけの剣に頬ずりをした。
チェレン王国の国宝である聖剣の正体は、二十年以上前に勇者エデンと共に世界を旅していた鍛冶師、アヴァロンが作品のひとつである。
アヴァロンが生み出す剣は、彼が剣天使から授かった寵愛『刀剣作成』により、常軌を逸した異能を持っている。たとえば、かつて『進み行くフールブック号』にてヨルと対峙した刀使いの研究員であるスカルペルの『分かち断つフラグメント』は、『万物切断』の特性により、対象の硬度や干渉性に関係なく一方的な斬撃を与えることを可能としていた。
「『光明刃化』……この剣を持った私が認識する光は……全て刃と化す」
オーロラが陰鬱な言い方で語る通りの異能を、その剣は持っていた。
それの形状が柄だけという従来の剣から大きく外れているものになっている原因は、この性質に他ならない。周囲にいくらでも刃を作り出せるのに、わざわざ柄に刃を付属させるなんて、携行の観点で言えばデメリットでしかないだろう。
おまけに、『周囲の光を刃に変える』という性質上、これに定まった間合いや剣閃の数は無いも同然である。まさに、握るだけで一騎当千の英雄になれる伝説の剣だ。
この剣がある限り、敵対する存在は光の中での存在を許されない。
国を脅かす外敵の悉くを威光と共に打ち滅ぼしてきた聖剣。
たった一振りだけで、チェレン王国に平和を齎していた国宝。
その名も、『射し照らすフォトンブック』。
その刺突を頭に受けたロータローは激痛と共に肉が焦げるような臭いを感じていた。光の刃に触れている面が焼けている。光の熱量による燃焼か? ──いや、違う。
ロータローは半分とは言え、闇の中で生きる吸血鬼だ。その代表的な弱点と言えば──日光。
普段は身に浴びた所で大した影響がない弱点だが、こうして刃の形を持った光が突き刺さった今、それによって与えられるダメージは尋常の剣によるものとはかけ離れており、その発露が肉体の燃焼だった。
無論、これは狙って起こされたものではない。そもそもオーロラたちはロータローが吸血鬼であることどころか、彼の不死性すら知らないのだ。
だから、これは全くの偶然だ──偶然の不幸だ。
「ああああああああああ! の、のの、のののの脳があああああああああああ! ブチブチブチィって、ええええ⁉」
痛い。熱い。肉が焼け、脳細胞が音を立てて千切れる。受け身も取れないまま、体が石畳の地面に倒れた。思考は定まらず、とっくに狂気の奔流を起こしている。
(……相変わらず恐ろしい剣だな)
オーロラの傍に控えるジキルは、碌に戦闘の訓練を受けていない女がたったひとりで作り上げてみせた酸鼻極まる光景を目にし、慄いた。それと同時に、心中で舌なめずりをする。
『大いなる死』を生き残ったアヴァロンの剣は、その殆どが世界の新秩序である海上憲兵の所有物となった。だがそれでも、居場所が明らかになっていなかったり、凄腕の使い手の元にあったりといった理由によって蒐集の手から逃れた剣も、僅かにだが存在する。
その内の一本が、目の前にある『フォトンブック』だ。
ジキルは想像する。チェレン王国を海上憲兵の組織網に加入させるだけではなく、光の聖剣を持ち帰った暁には、どれだけの栄誉を手にすることが出来るだろうか──思わず頬が緩んだ。
(空を分厚い雲に覆われているこの天候でも使用できるのなら、完全なる無明の空間でもない限り、『フォトンブック』は十全に効果を発揮する。なら、俺が嵐天使とこれで二刀流をするってのも可能だろ? はははっ、ワクワクしかしねーな!)
ジキルの思考は既にこの場になく、いかにしてオーロラから国宝級の剣を奪うかについて奸計を巡らせていた。旧王家の兵士を倒したという少年を斬殺した以上、後に残るのは王女ひとりの処刑のみである。この程度なら、わざわざ『フォトンブック』を使わずとも、新兵の練習用の剣でも十分だ。
「なっ、き、君! そんな……!」
「ち、チェーン……に、逃げ……」
心配して駆け寄ったチェーンに向かって、ロータローは声を絞り出した。
先ほど『お前はエデンだ』と言われたのには困惑したが、かと言って彼女がこのまま自分と同じ運命を辿るところは見たくない。
「あら……やけにしぶといわね……」
「あー、ありゃ多分人間じゃねえな。体が頑丈だし──吸血鬼とかそこら辺のアンデッドだろ」
「ふうん」
オーロラは興味なさげに言うと、『フォトンブック』を再度振った。たったそれだけで光の剣は錬成され、追い打ちをかけるようにロータローの体を切り刻んだ。飛び散った血が雨水に溶ける。
「がっ、ぎ、いぃっ!」
「これなら、暫くは起き上がれないでしょう……うふふ。これで、この女の処刑に集中できるわ……ああ、見ていてお父様……私たちの国がようやく返ってくる瞬間を……うふふふ」
雨脚が強くなってきた。オーロラたちとチェーンの間には無数の雨水が幕のようにかかっている。
片や、万軍を屠る聖剣を持つ旧き王。片や、武器を持たず、共に逃げていた船乗りが戦闘不能になってしまった新しき女王。どちらが優勢かなど、明らかだ。
先に口を開いたのは、旧き王家の女王だった。
「まずは頭を垂れなさい……そして、分不相応な身分に立ち、高貴なる私たちと対立した己の罪を……ふふ、後悔することね」
ぶん、と腕を振る。同時に、チェーンの烏の濡れ羽のような髪が、一房地に落ちた。
風が吹く。遠くから、荒波が岬にぶつかって弾ける音が聞こえた。
「もちろん、そうしたところで許してあげないわ……まずは両腕を先端から少しずつ切り刻む。次は脚、その次は……胴体ね。丁寧に丁寧に……この世の何よりも丁寧に扱って刻む。そうして出来上がった肉片を下水に流してやるわ……うふふふふ」
黒油じみた粘着質な憎悪を向ける。父を喪い、捨てたはずの国の頂点に立っていた新王家に逆恨みを抱いているオーロラの感情は、狂気に染まっていた。
現在のチェレン王国の天候は、嵐天使により、大きな嵐が訪れている。
そんな中で女が一人死んだところで、彼女が悲鳴をあげようと風がかき消し、血を流そうと雨が洗い流してしまうだろう。処刑にはぴったりのシチュエーションだ。
無論、チェーンを殺しても、残された新王家の構成員が反抗するという懸念はある。しかし、『唯一の女王』の看板を背負っていたチェーンの存在に強く依存して復興を成し遂げた彼らが、彼女亡き後も、国宝と海上憲兵を手札に持つ旧王家と十分に戦えるとは思えない。
ギロチンを握る処刑人は笑顔を浮かべない。ただ静かに口を開け、そこから不気味な笑い声を漏らすのみだ。
対するチェーンは、頭を垂れない。
彼女の口から飛び出したのは、後悔の言葉でなければ、命乞いでもなかった。
「──『強権命令』」
ふと、ロータローは考える。
どうして自分は、一国の王女であるチェーンに、威厳を感じなかったのかを。
覇気のない雰囲気だったり、幼い表情だったりと、その原因は色々あったが──もうひとつ、思いついた。
そう言えば、チェーンは権力者なのに、一度も命令口調で何かを言ったことは無かった。
空腹を訴える時も、ロータローにチェレンへの居住を提案する時も、彼女の口から発せられた言葉は『お願い』であって、『命令』ではなかったのだ。
「【跪け】」
初めて耳にしたチェーンの命令は、言葉の枠を超えた強制力を持っており、眼前に立つオーロラたちを、一斉に跪かせた。まるで彼らの体を鎖で縛って操っているかのようだった。




