86「腹の音、風の音」
顔を上げる。
左右の建物によって挟まれた空は、雲の割合が増えつつあった。どうやら雨が近いらしい。こんな状況で雨なんてついてない。
……いや、雨水で痕跡を洗い流され、雨音で気配をかき消されるシチュエーションというのは、逃走中である自分たちにとっては、むしろついてると言えるのかもしれない。
そんなことを思いながら、ロータローは大通りから少し外れた路地を歩いていた。傍らにはひとりの女。チェレン国の女王にして、いまこの国が抱えている大きな問題の中心人物、チェーンである。
鎧たちとのいざこざで大通りがちょっとした騒ぎになったため、ロータローたちはその場から逃げるように走り、気づけばこの場に這入っていたのである。
「ある程度までは助けるっていったけど、どうすっかなあ……」
悩まし気に呟き、両腕を組む。
現在のチェーンの状況は大体分かった。こっそり王宮から出ていたところを旧王家派の兵士に襲われ、それから逃げていた最中に、ロータローから助けられたのだ。
「王宮まで送り届けるか。あんたを襲った奴らだって、流石にあそこの中まで追いかけはしないだろ」
「うーん、それに越したことはないけど、現状を考えると難しいかな。私が王宮から出たことは、向こうにとってはまたとないチャンスだからね。きっと、王宮に帰る際に通るあらゆるルートに刺客を放っているはずだよ」
チェーンは片耳の裏を掻きながら答えた。ロータローより十近くは年上だろうに、所作の所々に幼さがある女である。
「それとも君が、道中で待ち構えている敵たち全員を、さっきみたいに倒してくれるのかな。剣士くん?」
「いや、あんな剣技は多分……しばらく無理だ。あと、俺は剣士じゃねえよ」
じゃあ何者だ、と聞かれたら返事に困るが。
色々と拗らせて不登校になった無職の引きこもりだし、ゲーム風に言えば『ジョブ:無職』が適切か? それはそれでかっこいい気も……いや、やっぱカッコ悪いか。没で。
「俺ひとりじゃこの問題を解決するのは難しいし、まずは一旦『シットローズ号』に戻るか。うーん、我ながら情けない」
「『シットローズ号』?」
「俺が乗ってる船だよ」
「船……へえ。君ってこの国の民じゃなくて、旅人なんだ」
『シットローズ号』にはロータローなんかより遥かにマシな人材が沢山いる。彼らの手に掛かれば、道中にある旧王家の刺客をどうにかすることだって可能だろう。送り届ける対象がこの国の女王なのだから、何かと金に煩いサスライであっても、協力を惜しむようなことはしないだろう。それなりの報酬を要求するのは目に見えているが。
「王宮とは真逆にある港へ向かう道なら、向こうもあまり警戒していないだろ」
それでも大通りを堂々と通って向かうのは憚れる。先ほどの鎧たちが目を光らせていないとは限らない。
かと言って、このまま迷路のような裏路地を通って港へ辿り着こうとすれば、何時間もかかってしまうだろう。
「ところで、あんたってどうして外に出ていたんだ? そんなことしなけりゃ、あんな物騒な連中から追われることもなかっただろ」
「……探しものをしていたんだ」
雨の気配が濃くなってきた所為か、周囲に人の姿は全くない。路地裏にはロータローとチェーンの足音だけが響いていた。
「と言っても、首飾りとかお茶用のカップじゃないよ。そんなものは王宮を探せばいくらでも見つかるからね」
つまりチェーンは、実際に市街に足を運ばないと見つからない物を探していたのだ。
そこまで聞いたロータローはふと、先ほどアヴァロンから聞いた話を思い出した。チェーンは元は王族ではなく、市井の人であったという。
「もしかしてその探し物ってあんたが……あー」
ストレートに「王の子供と認められずに冷遇されていた頃と関係があるのか?」と言うわけにもいかないので、他の言葉を探す。
「普通の女の子だった頃と関係があるのか?」
結果、アイドルの引退宣言みたいな言葉選びになってしまった。
「うん。私がまだ、あんな大きくて立派な王宮じゃなくて、外に住んでいた時に一度だけ見たことがあるんだ」
つまり、思い出の品というわけか。王宮のベッドの裏や部屋の隅をどれだけ探したところで、見つかるはずのないものである。
けれども、旧王家と睨み合っているという緊張感の高い状況にあって、探し物ひとつのためにひとりで外に出るなんて、危険すぎる行為だ。
その危険性を承知の上で探すなんて──
「──よっぽど大切なんだな、それ」
「うん。とても大切だよ。この世の何よりも大切かも」
チェーンは『にへ』と冗談っぽく笑った。
「とは言え、『じゃあこのまま探し物を続行しましょう』ってわけにもいかないからなあ。いくら大切なものだからって、それを探してる最中に殺されたら意味がねえだろ?」
「それについては大丈夫だよ。探し物はもう見つかったから」
「あ、そうなの?」
王になるよりも前、つまり二十年以上前に見たものなんだし、てっきり探すのに難儀しているのかと思ったが、そんなことはなかったらしい。
まあ、考えてみれば、絶対に見つかるという確信でもない限り、迂闊に王宮から出てこないだろうし、すぐに見つかる方が自然なのか。
「じゃあ、探し物に気を取られることなく、逃走に集中できるってわけだ──」
ぐう、という音が空気を震わせた。
チェーンの腹から響いた音だった。
ふたりは無言で顔を見合わせる。
やがて、チェーンは恥ずか気に顔を歪めて、頬を掻いた。
「にへ、へへへ……ず、ずっと走っていたから、お腹が空いたみたいだね」
緊張感がない。
人の上に立つ者とは思えぬ立ち振る舞いだ。
「お願いなんだけど、もしも何か食べるものは持っているなら、譲ってくれないかな」
「よせやい。王様から物乞いをされるなんて、ちっぽけな俺の身に余る事態だぜ」
ここで同行者が体力切れになるのは困るし、ロータローは食料を独占するほどに食い意地が張ってない。とはいえ、いま手元に食料なんてひとつもない。こんなことなら、大通りを散歩していた時に携帯食のひとつでも買っておけばよかったか。
「……あ、飯が無いなら作ればいいのか」
頭上に豆電球を浮かべながらそう言ったロータローは瞼を閉じて、手元に意識を集中させた。強いイメージを持つ。『そこにないもの』が『そこにある』と考えるのだ。普段から働かせている妄想力を、ここで発揮せずにどうする。
果たして何秒か経った後、その成果は現れた。
虚空から橙色の球体が出現したのだ。ロータローが住んでいた地球で言うところのオレンジのような果実である。
「それって、さっきもやってた奴だよね。あの時は果物じゃなくて、剣だったけど。──君も何かの天使の寵愛を持ってるの?」
「いんや。これは『物質創造』って言う吸血鬼の能力だ。といっても、俺はまだまだ半端者だから、オレンジひとつ出すだけで、すげー苦労するんだけどな」
『物質創造』の発動。
今まで銃や剣と言った無機物しか作っていなかったが、どうやら食べ物もいけるらしい。なぜオレンジを選んだかと言うと、チェレン王国に到着する前に読み進めていた本にこれと似た果実が登場していたからだ。挿絵にも描かれていたから、強く覚えている。直近で印象に残っているもののほうが創造しやすいと思って実行してみたが、成功だった。
果実の皮に指をかける。皮の質感は固すぎでなければ柔らかすぎでもなく、よくあるオレンジと同じだった。
念のために毒味をすべく、出てきた中身を一房取り、口の中に放り込む。……格別に美味しいとは言えない。中の中、くらいの味だ。だが、食えないわけではなかった。
「どうぞ。口に合うかは分からねえけど」
ロータローが差し出した果物を、チェーンは「ありがとう」と言いながら受け取った。一口食べ、飲み込む。どうやら、舌が拒絶して吐き出すという事態は回避できたようだ。
風が強くなってきた。周囲の建物の路地に面する窓が揺れ始めている。
「たしかこの国って二十年前に滅びかけたんだろ? そんな窮地からここまで復興できたなんて、凄いよな」
妙齢の女が物を食べる様子を無言で眺め続けるというのに居辛さを感じたので、適当な話題を振った。
突然褒められたチェーンは目をぱちくりさせると、照れ臭そうに笑って、
「にへへ……新王家の人たちや国民たちが頑張ってくれたおかげだよ。私が出来たことなんて、立場だけの王様として、みんなに声掛けをしたくらいで……」
「いやいやいや、二十年前って言ったら、あんたってまだ子供だろ? 声を掛けるだけでも、働きとしては十分すぎるって。その年で王様をやるなんて、俺なら絶対無理だね」
「うん、当時の私も思ってたよ。『こんなの無理だ』『私が頑張ったところで、どうせチェレンは滅びてしまう』ってね。──それでも、私には」
果実を一房口に放り込み、飲み込んだ後、チェーンは続けた。
「この国の王として頑張らなくちゃいけない理由があったんだ」




