83「別れと出会い」
「『射し照らすフォトンブック』?」
聞き慣れぬ単語に、首を捻るロータロー。
フォトブックなら知っているが、光子の本とは? 話の流れ的に、本ではなく剣のようだが。
「普通の剣じゃなくて、異能とも言える力を持つ聖剣だよ。魔王との大戦時にこの国に齎されたんだ」
「『魔王との大戦時』ってことは……チェレン王国の歴史で言えば比較的最近になるんじゃね? そんな歴史の浅いものが、国宝にまでなるのか?」
「歴史が浅かろうと、国の宝と誰もが認めるほどに、『フォトンブック』は強い剣なんだよ。たった一振りで百の軍勢を薙ぎ払うとまで言われているんだ」
「強すぎんだろ……。たしかに、そんなヤベエ剣を持ってたら、旧王家の方が有利だよなあ」
「武力の上ではそうなるね。それに、権力の上でもだ」
『国宝』なんて代物には箔がつくし、そんなものを持っていれば、莫大な権威を得られるだろう。
海上憲兵の付き添いと国宝の所有──旧王家と新王家の対立は、かなり大きな戦力差があるように思えた。
「というわけで、今のチェレン国は平時より不安定な状況にあるんだ」
そう言って、アヴァロンは説明を終えた。彼はロータローと同じ旅人という身分なのに、まるで現地のガイドみたいに詳しい話しぶりだった。いや、旅をする以上は、ある程度行き先の情報に詳しいのが普通なのか。元インドア派で元々学生だったロータローにとって旅と言えば、小中の修学旅行くらいだが、それでも実際に現地を訪れる前には、クラスや班主導で入念な前準備をした覚えがある。『彷徨えるシットローズ号』のような波に流されるままに漂っている幽霊船の方がおかしいのだ。
「さすがに新王家と旧王家の戦争が今すぐ勃発するなんてことはないだろうけど……あまり長居するのは美しくないね。用事が済んだら、すぐに船へ帰った方が良いよ」
「そうさせてもらうよ」
チェレン国が抱えるややこしい問題もそうだが、なにより海上憲兵の存在が気がかりである。下手に見つかって面倒なことになる前に、ここを去るべきだろう。
丁度そこで、ロータローたちは大通りに合流した。路地裏特有の泥みたいな雰囲気は消え失せ、明るい喧騒が現れる。
アヴァロンは上目遣いでこちらを見つめ、
「よかったら船まで送っていこうか?」
と手伝いを申し出た。
「いやいやいや! 流石にそこまで世話になれねえよ! それに、用事がない限り長居を勧められないこの国にいる以上、お前も何か用があるんだろ?」
「……そうだね。結構重要な用事になるかな」
「なら、その邪魔をするわけにはいかねえよ。大丈夫だって、ここから港までのコースは覚えてるから」
アヴァロンの申し出を断ると、ロータローは手を掲げ、「じゃ」と別れの言葉を送る。
「改めてありがとう、アヴァロン。いつかまた会うことがあったら、そん時はちゃんとお礼をさせてもらうぜ」
「だから気にする必要はないって……でも、そこまで言うなら、お礼代わりにひとつ、質問に答えてもらおうかな」
そう語るアヴァロンの表情は、先ほどまで顔に浮かべていた柔和な雰囲気が薄れ、代わりに引き締まっていた。その変化に呼応するように空気が張り詰める。赤い隻眼がこちらに値踏みするような視線を向けていた。
息が詰まる。元スポーツマンだったロータローは、この視線をよく知っている。
相手を見極め、分析し、記録する──そんな目は、ロータローが水泳の大会や高校の推薦などで幾度となく身に浴びてきたものだ。
「同じ旅人である以上、君も色んな場所を旅してきたんだと思う。その上で聞かせてほしいんだけど」
君はこの世界を美しいと思うかい? と。
アヴァロンは問うた。
◆
世界が美しいと思うかどうかなんて、そんな高尚で深そうな質問を訊かれても、ロータローが出せた答えと言えば、聞きようによってはどちらにも受け取れる玉虫色の答えくらいだった。最後までアヴァロンに醜態しか晒せなかった自分に、何度目かの自己嫌悪を感じる。
しかし言い訳をさせてもらうと、ロータローはまだこの異世界のことを全然知らないのである。そんな状態でスケールの大きな質問をされたところで、大した返答ができるわけがない。……まあ、仮にここが地球だったとしても、同じくらいに曖昧な返答しかできなかったかもしれないが……。
最後に奇妙な質疑応答があったものの、アヴァロンと無事分かれた後、ロータローは大通りを歩いていた。
街の様子は先ほどと変わらない。しかし、アヴァロンから聞いた話を踏まえて見てみると、どこか不穏な空気が漂っているように見えた。ただの気のせいかもしれないが。
自分の識字力がどの程度のものなのかは凡そ分かったし、さっさと『シットローズ号』に戻ろう。ツーテルクトップには悪いが、本屋を探して長居している最中にまたトラブルに巻き込まれるわけにはいかないので、本の土産はまた別の機会に──そんなことを考えながらも、またうっかり道に迷うことがないようにロータローが行軍していると、ちょうど真横にあった建物と建物の隙間から、誰かが飛び出してきた。
「うわっと!」
咄嗟に飛び退こうとしたが、避けきれずにその場で倒れる。同時に、体に重圧がのしかかった。どうやら、ぶつかってきた誰かの下敷きになってしまったようだ。一言文句を言ってやろうと思いながら顔を上げると、眼前に女の顔があった。
年齢は二十代半ばだろうか。しかし、大人じみた雰囲気はあまりなく、少女が年月の化粧を施されているような幼い顔立ちをしていた。短い黒髪はよく磨かれたオニキスのようであり、緑色の瞳はどこか遠くの地にある幻想的な草原を思わせる。
よく手入れのされた芸術品のように綺麗な女だ。ドレスを着て社交界に出れば、瞬く間に多くの人間の心を掴むことだろう。だからこそ、そんな彼女が襤褸で体を覆い隠しているのは不思議でならなかった。これではまるで、人目を避けて逃げ回る盗人みたいではないか。
女は顔に汗を浮かべており、震える唇を動かした。
「あ、あのっ、たすけ──」
「そこまでですよ」
女が出てきた路地の奥から、声が割り込む。
顔を向けると、そこには複数の人影があった。板金の鎧を纏うその姿は、軍人や騎士を連想させた。
「随分おてんばなのですね。おかげで追いかけるのに苦労させられました。ですが、この鬼ごっこもここで終わりです」
鎧たちの内のひとりが前に一歩踏み出す。それに伴って甲冑が揺れ、腰に提げた剣が音を鳴らした。その佇まいから、彼が只者ではないことは十分に分かった。格好からして海上憲兵ではないようだが、彼らとは別の意味で厄介な匂いしかしない相手である。
話しぶりからして鎧たちが狙っているのは、襤褸の女だけであり、ロータローではない。ここで何事もなかったかのように逃げたとしても、見逃される可能性は十分にあるはずだ。
そもそも、ロータローは襤褸の女のことはもちろん、彼女と鎧たちの間にどんな関係があるのかさえ知らないのだ。そんな彼女から助けを求められたところで、それで迷いなく救助できるのはフィクションの中の勇者やヒーローだけである。
凡人であるロータローがこの場で取る行動と言えば、下敷きになっている状態から抜け出して、「へへ、邪魔してさーせん」と薄ら笑いを作りながら逃げ去るという小物ムーブだけだ──普段の彼ならそうしていたかもしれない。
しかし、今は──つい先ほど、大した理由もなく人を助けられるヒーローと出会ったばかりの今は違う。
そんな体験をした直後に誰かを見捨てるというのは恥知らずが過ぎる行為であり、実行するのは躊躇われた。
だからロータローは──
「おい、待てよ」
と言って、見知らぬ女を庇うようにして立ち上がった。




