81「剣の少年」
ただならぬ風格を持つ少年の登場を受け、男たちは声を上げられなかった。
口を開くという些細な行動すら躊躇われる。いったいどんな生き方をしていれば、相手にこれほどまでのプレッシャーを与えられる人物になれるのだろうか。
「い、いや待て」
長い沈黙の後、ひとりの男が少年を指差した。
「よく見てみろ。コイツ、武器らしいモンは何も持ってねえぞ?」
その言葉通り、少年は一切の武装をしていなかった。腰に剣を提げておらず、銃を携帯していない。何も持っていない拳には、籠手すら装着していなかった。完全に手ぶらである。
外見と雰囲気は立派だが、戦う術を持っていないとなれば、ただのこけおどしだ。そこに何を恐れることがあろうか。それに気づいた男たちは余裕を取り戻し、侮蔑と嘲りを込めた視線を少年に向けた。
「なんだよ、立派なのは見た目だけじゃねえか。おどかしやがって。片目が潰れてる丸腰のガキなんて怖くねえぜ」
「ふたつ、訂正しておこう」
指摘を受けた少年は、ただ静かに首を横に振る。
「ひとつ。僕が眼帯を付けているのは、右目が潰れているからじゃあない。ただ、己に課しているだけだ。『この目に映すのは美しいものだけ。この目で捉えるのは戦うべき強者だけ』というルールをね。そして、君たちはそのどちらの条件も満たしていない」
「なにをごちゃごちゃ言ってるのか分からねえが、とにかくこちらを馬鹿にしてるってことだけは分かったぜ。どうやら死にたいらしいなア⁉」
少年がふたつめの訂正を口にするよりも前に、物取りのひとりが飛び出した。握られた拳は粗く削られた岩石のようであり、それで少年の鼻っ柱を打ち抜けば、美貌を砕くことができるだろう。
固唾を呑んで見守ることしかできないロータローですら、思わず目を瞑りそうになるほどに強烈な攻撃。しかし、対する少年は眼光を緩めないまま、
「そしてもうひとつ」
飛んできた拳をあっさりと回避すると、それに手を絡ませ、あらぬ方角に向かってクイと引っ張った。まるで合気道の達人みたいな動きだ。殴る勢いを利用された男はつんのめり、そのままあっけなく地面に叩きつけられた。
「剣を握らずとも、こういう手合いの対処法は心得ている。……と言っても、人数で言えばそちらが有利だ。このまま数で押すというのも十分にアリだろう。美しい作戦とは言えないけどね」
男たちの中に狼狽が波紋のように広がった。
しかし。
しかし、である。
それでも少年が言う通り、数の上での優位は彼らの方が圧倒的だ。血気盛んなならず者がこのまま強硬手段に出るには十分な理由と言えるだろう。
だが、
「ッ! ……逃げるぞてめえら!」
リーダー格の男は慌てた様子でそう言うと、路地の向こう側へと走った。
他の男たちはその行動を不思議に思いながらも、後を追って逃げていく。
「美しくなければ強くもなかったけど……どうやら良い目をしているリーダーがいたようだね」
物取りたちの背中が見えなくなると同時、少年の体から放たれていた威圧は消失した。実直や誠実と言ったクリーンな表現がこれ以上なく似合う顔に、爽やかな笑みを浮かべる。それだけで路地裏にただよっていたどんよりとした空気が浄化されたように感じた。
それまで悠然とした態度を保っていた少年だったが、ロータローを取り囲んでいた男たちが去ったことで地面に倒れる彼をはっきりと目視できるようになった途端、動揺を露わにした。
「おや。かなり乱暴されているように見えたんだけど、おかしいな……まあ、怪我がないようでなによりだよ」
「いや、無傷だったわけじゃねえよ。ただ、怪我したそばから治っただけさ。もっとも、俺をボコボコにするのに夢中だったアイツらは、そのことに気付いていなかったようだけどな」
ロータローは立ち上がる。その体には傷ひとつ付いていない。五体満足な健康体だった。
「すごい治癒力だね。人間じゃないのかい?」
「吸血鬼だよ。半分だけの半端者だけどな」
「吸血鬼⁉ 最強と名高い種族じゃないか。それじゃあ、僕なんかが手を出すのは余計なお世話だったかな」
「いやいや、そんなことはねえよ。こちとら死なない以外は出来ることなんて全然ないクソザコナメクジだぞ。あのまま殴られ続けられていたら……と思うとゾッとするぜ。助けて貰って感謝感激雨あられだ」
ロータローは謝意を示すように頭を下げた。
「本当にありがとう。と言っても、金なんて全然持ってないからお礼に何かできるわけじゃないけど……」
「別に見返りが欲しいからやったわけじゃないさ。困っている人がいたら助けるのは当たり前だろう?」
そう言って、少年はにっこりと笑った。真っ白な歯がキラリと輝く。まるで心の美しさが光となって表れているかのようだった。これだけでそこら辺の乙女のハートを奪えそうである。
勇者。
救世主。
ロータローはここ最近、胡散臭い奴や恐ろしい奴から聞きまくった所為で、それらの言葉に対するイメージがひどく歪められていたが、まさに今、目の前にいる少年を見て、正しい意味を再認識することが出来た。
「とりあえずここから離れようか。路地裏を根城とする輩は、さっきの彼らだけとは限らないからね。これ以上騒ぎを起こすのも面倒だ」
「お、おう……」
少年に導かれるまま、路地の出口へと向かって行った。
そのまま無言でついていくのも気詰まりなので、自己紹介がてら話を広げていくことにする。
「えーっと、俺の名前はロータロー。サトー・ロータローだ。あんたの名前は?」
「ああ、そう言えばまだ名乗っていなかったね。僕としたことが」
先導していた少年は、その場で振り返ると、次のように言った。
「僕の名前はアヴァロン。旅の蒐集家だ」
◆
逃げるリーダーに追いついた男は、疑問をぶつけた。
「なあ、リーダー。逃げてよかったんですかい? あのガキの台詞を借りるってわけじゃあないけど、あのまま数の差で押し切れば……」
「んなことできるわけがねえだろ! 俺たちが百人いても、あいつに勝てねえよ!」
はっきりと否定する。うそぶいているようには見えない。その顔が、語気が、態度が、彼がどれだけ本気で『たったひとりの少年に敵わない』と思い込んでいるかを顕著に表していた。
「なあ、お前。天使を知ってるか?」
「そりゃモチロン。学校に通ってないガキだって知ってる常識ですからね」
「じゃあ、天使の契約者と会ったことは?」
「いや、それはないっすよ。噂でしか聞いたことがないっすけど、天使の契約者って化物みたいに強い奴ばかりなんでしょう? そんな奴と会ってたら、俺みたいなチンピラは今頃ここにいませんって」
「俺は……会ったことがある」
男の脳裏にある記憶が蘇る。まるで、昨日のことのように強く焼き付いている、鮮烈な記憶。
あれはまだ、彼が路地裏に住み着くドブネズミのようにちっぽけなチンピラではなく、大海原を渡る海賊だった時のことだ。
あの頃は若く、怖いもの知らずだった。だから、航海中に遭遇した海上憲兵の船に、喧嘩を売ってしまったのだ──そこに、天使の契約者がいるとも知らず。
そこからはもう、悪夢の連続だった。体の細胞が火薬と入れ替わったんじゃないかと言うくらい呆気なく飛び散る船員、視界を埋め尽くす肉、汁、血、血、血──!
どういう理屈でそんな惨劇が起きたかは分からない。ただひとつ言えることは、人間の理解できる範囲を超えている強大な力によって、多くの命が失われたということだけだった。
「思い出すだけで吐きそうだ……あんな思いはもう二度としたくねえ。だから、俺は海賊をやめて、ここで盗人紛いのことをやるようになったんだよ」
「まさか、リーダー。さっきのガキって……」
「初見では気付かなかったが、あの雰囲気は間違いねえ。天使の契約者だ」
そう語る彼の顔は、恐怖で血の気を失っていた。




