79「勉強、そして次の島」
翌日。
たくさん食べてたっぷり寝ていたキロリッターは、自室のドアが開く音に反応して目が覚めた。
うっすらと目を開けて、覚醒したばかりの視力に世界を映す。
開かれた扉から、やつれた様子のロータローが這入って来ていた。
「ノックも無く部屋に這入るなんて、マナーがなってないんじゃない? ……その顔はどうしたの? ひっどいわね。ちゃんと寝てないのかしら」
「……っと……」
「?」
「朝までずっと、ツーテルクトップの掃除を手伝ってたんだよ」
ロータローは昨晩見た惨状を思い出し、身震いした。
辛い戦いだった。長時間に渡る発掘作業の末に本の山を崩し、中からツーテルクトップを引きずり出した時は、達成感のあまり泣きそうになったくらいだ。その場面だけ切り取れば、まるで感動的なエピソードみたいに思えるが、あんな体験はもう二度としたくない。
それからはふたりで作業をおこなって、残す工程は本棚への収納だけとなったので、それは本の持ち主であるツーテルクトップに任せることにした。
まさか、ひとりで作業をしていたら、いつの間にか部屋の状態が悪化するなんてことは……ないだろう。ない。ないはずだ。信じたい。少なくとも、自分が本を返すまでは平穏を保っていてほしい。心からそう願うロータローだった。
作業中はずっと、部屋に戻ったらキロリッターに文句を言うこととモチベーションにしていたが、こうして無事帰還した今となっては、作業からの解放感が怒りを上回ってしまう。思わず膝から下の力が抜け、壁に背中を預けた。
「あと、言われた通り借りてきたぞ」
「借りてきたって? 何を?」
「……お前って一度寝ると記憶がリセットされる体質なのか?」
「失礼ね! 私ほど多くのものを知り、多くのことを覚えている長命者はいないわよ! その知識量と記憶力に畏敬の念を込めて、ある地域の人間からは『深紅の賢者』と呼ばれていたくらいなんだから!」
キロリッターの嘘か本当か分からない自慢話を聞き流しつつ、ロータローは懐から小冊子を取り出した。
「はい、児童書。ツーテルクトップ曰く、アイツの地元だと知らない奴はいないってくらい有名な本だとさ」
「……あー、そういえば」
そこでようやく昨晩のことを思い出したのか、キロリッターはぽんと手を打ち。
「そんなこと言った気がしなくもないわね。……めんどくさ」
「おい、この寝坊助野郎」
キロリッターは上に向けた手のひらを何度か曲げることで『持ってこい』のハンドサインをした。ロータローはのそのそとした足取りでベッドの傍まで近づくと、児童書を手渡す。
キロリッターは表紙に書かれているタイトルらしき文字列を一瞥し、
「『塔の子と森の子』……」
と呟いた。
言われてから見てみるとたしかに、タイトルの中に二回登場している単語がある。これが『子』なのか。
キロリッターはそのままページをペラペラと捲る。物理的に薄っぺらい本なので、その作業はすぐ終わった。
「ふむふむ……ふうん、なるほど。教材としては簡単で分かりやすいし、物語としてもそこそこ面白いわ。流石ツーテルクトップね。良い本を選ぶじゃない」
常に周りにマウントを取る自慢屋にしては珍しく他人を褒める発言をすると、キロリッターはロータローに向き直った。
「試しにいちど、中身に目を通すくらいのことはした?」
「ああ。何が書いているのかはさっぱりだったけど、挿絵を見たら大体どういう話かはぼんやりと分かったぜ」
この物語の登場人物はふたりの少年だ。キロリッターが先ほど呟いたタイトルを借りて言えば、『塔の子』と『森の子』だろう。
「そ。塔から出ること以外は何でも与えられる温室育ちの『塔の子』は、ある日塔の外を通りがかった『森の子』と出会い、窓越しに交わされる会話を通じて外の世界の厳しさや楽しさを知っていく……って内容よ」
要約だけではいまいちピンと来ないが、まあ他人からの説明だけで全てが理解できてもそれはそれで面白くない。勉強しつつ読み進めて行けば、その内どういう話かはちゃんと分かるようになるだろう。
キロリッターは本を持つ方とは別の手を突き出した。ペンと紙が握られている。事前に準備していた……ってガラではないか。たった今、この場に出現させたのだろう。無から有を生み出す『物質創造』で。
ペンは握る部分に花の模様が細かく彫られており、まるで黒薔薇が巻き付いているみたいだ。紙はこの世界にしては材質がよく、月の光のように真っ白なものが何枚か。一番上の紙の右上には、文字のような何かが一つだけ記されている。
「まずは基礎的な文字の習得ね。実際に文章を読むのは、その後からにするわ」
「あ、そうか。本が手に入ったからって、いきなりそれと睨めっこしながら勉強するってわけじゃないよな」
「この紙に書かれている字を十……百……千? 万?? まあ、とにかく沢山書きなさい」
「適当なノリでトンデモない数が設定された⁉」
「うるさいわねえ。こういうのはとにかく数をこなせばどうにかなるもんなの。この私を信じなさい」
『勉強の機会を提示した手前、それを反故するのはプライド的に嫌だが、それはそれとして面倒だ』という気持ちを隠そうともしないキロリッター。
今更になって師事する相手を間違えたかもしれないことを悟ったロータローだった。
◆
途中で『シットローズ号』が嵐に遭遇したり、巨大な怪物と戦ったりといった事件を挟みつつ、何日か過ぎた。
その間もロータローはキロリッターから出された課題(と言っても、同じ文字を、流石に万まではいかずとも、かなりの回数書き続けるだけというゲシュタルト崩壊の実験みたいな練習だが)を少しずつこなしていた。
『努力』と『ガンバル』がとにかく嫌いな彼にとっては、発狂しそうになる取り組みだが、どれだけ怠惰でも呼吸を怠けることまではないように、生きる上で欠かせない能力である読み書きが出来ないままではいられない。『復活』や『物質創造』なんてスキルは持っておいて、そこらの人間が当たり前に習得しているスキルは欠落しているなんて、カッコ悪すぎるだろう。
地道な繰り返しを重ねた結果、読める文字はそれなりに増えてきた。それに伴い文字同士の組み合わせも知れば、単語や文章だって分かっていく。
実際、『塔の子と森の子』を開いてみると、最初は何が書かれているのかちんぷんかんぷんだったはずなのに、今となっては理解できる単語がいくつか出てくるようになってきた。
「完全に読破できるようになる日は、そう遠くないのかもしれないな」
浮かれながら本を閉じ、今日の課題を片付けようとする。
そんなロータローの耳に、声が届いた。外の方からだった。
見ると、何人かの船員がデッキに向かって慌ただしく移動している。
新しい島でも見つけたのだろうか? と思いつつ、興味を惹かれたロータローは後に続いていった。
予想は当たっており、船が進む先にある水平線の上には、島の影が小さく出ていた。双眼鏡で見た船員の報告によると、城を中心に街が広がっていて、栄えている様子があるらしい。
「へー。じゃあ、また買い物にいくことになるのかね。今の俺なら、町中にある看板や荷札を見ても、いくつかは分かるのかな?」
向かう先にある国で何が起きており、それに自分がどう巻き込まれるかをまだ知らないロータローは、呑気にそう思うのであった。




