78「ツーテルクトップは本が好き」
ロータローは本を拾い集めて、それらを一旦まとめて部屋の外に除ける。
異世界の文字を解しない彼では本の内容なんてちんぷんかんぷんだ。試しに手に取った一冊を開き、その中身に目を通したが、文字ではなく黒くて小さな線形動物が並んでいるようにしか見えない。その物語の中で誰が何をどうしているのか皆目見当がつかなかった。そもそもそこに書かれているのが物語なのか、伝記なのか、論文なのかさえ不明だ。
そんな理解度では本のタイトルやジャンルを判別してまとめておくなんてことは不可能なので、そこら辺は大雑把な片づけ方になった。少なくとも、このまま何もせずに放っておくよりはマシだろう。まずは部屋の主であるツーテルクトップの救出が先だ。
拾う→運ぶ→置くの繰り返しをかれこれ十分はやっているのだが、作業の終わりは一向に見えなかった。木のように積み重なっている本や、落ち葉のように散乱している書物は片付いていない。それらの向こうで聳え立つ本の山には手すら届かなかった。それに埋もれているツーテルクトップの姿は、依然として露わになっていない。
事前情報によれば、彼女もアンデッドの一種であるゾンビらしいので、まさか本に潰されて圧死するなんてことはないと思うが、それでも一刻も早い救助が要されるだろう。
ちなみに、『いったん部屋から離れて他の船員に声をかけ、複数人で掃除にあたる』という案はロータローが自ら却下した。本が立錐の地なく散らばっている決して広いとは言えない部屋に、大人数がぞろぞろと這入って作業する余裕はないからだ。せめて室内に十分な作業スペースを確保できるようになるまでは、ロータローのワンマンプレイが続行されることになる。
「いやあ、たすかるよ少年。私は読書以外は何も出来ないタイプだから、誰かが掃除してくれないと部屋がすぐ散らかっちゃうんだよね。君がキロリッターちゃんの代わりに部屋を訪れてくれなかったら、下手すると朝までこのままだったのかもしれないよ」
山の中から飛んできたツーテルクトップの言葉を聞き、ロータローは今更になって思い至る。キロリッターが自分を使い走りにした理由に。
もちろん、『お腹いっぱいになって眠くなったから』というのも事実だろうが、それだけではなく、おそらくツーテルクトップの部屋がこんな風にエントロピーがマックスな様相を呈していることを、事前に知っていたのだろう。何せ、キロリッターはツーテルクトップから本を借りているのだ。ならば、少なくとも一度はこの部屋を訪れており、その際に室内の惨状を(今ほど酷くはなかったのかもしれないが)目にしているはずだ。
ドアを開けばまず間違いなく掃除という名の救助活動に巻き込まれることが分かり切っている部屋に行くのを面倒に思い、本と一緒にそのイベントもロータローに押し付けたのだろう。
たしかにキロリッターは掃除のようなチマチマした作業が苦手そうだ。性格的に言えば、整理整頓よりも破壊活動の方が向いているだろう。手近にいたロータローに変わりの任を任せたくなった気持ちは分からなくもない。
……やれやれ。
部屋に戻ったら文句を言ってやらないと。
そんなことを思いながら、ロータローは何度目かの荷運びをした。これでようやく部屋の五分の一が片付いた。ツーテルクトップの元まで辿り着くのはまだ先の話になりそうだ。いったいどんな扱い方をすれば、ここまで散らかすことができるのか。読書家といえば普通、本を人一倍大切に扱う人種だろう。
「あははは、大切に扱っているつもりなんだけど、なぜかこうなっちゃうんだよね。不思議だなあ」
疲労感が全身のあちこちから目に見えて滲み出ているロータローに対し、ツーテルクトップの声はのんびりとしていた。まあ、現状彼女が出来ることなんて本の山を崩さないために出来るだけ動かないことだけなので、そんな気の抜けた話し方になるのは仕方ないのかもしれない。
「……どうしてこんなに沢山の本を持っているんだ?」
足元に転がる本をうっかり踏んでしまわないように注意を払いつつ、しかし無言になるのも気詰まりだったので、ロータローはツーテルクトップに、そんなことを訊いた。
「元から沢山持っていたからだよ」
「元から? 『シットローズ号』に乗る前からってことか」
「ああ。私の両親は貿易商を営んでいてね、金天使の寵愛を受けているんじゃないかってくらいの金持ちだったんだ。そんな家に本好きの私が生まれたんだから、十歳の誕生日に書庫が贈られるのは当たり前だろう?」
庶民生まれ庶民育ちのロータローにそんなことを言われても「おう、そうだな」と同意できないが、まあ、金持ちの基準ではそうなのだろう。
「凄く大きな書庫だったよ。この船より大きかったんじゃないかな」
「へえ、それは凄いな」
「だろう? まあ、『大いなる死』でその書庫も、私の家も、家族も全員海に落ちて行ったんだけど」
「…………」
金持ち自慢から流れるようにして続いた、文字通りの急転直下な展開に、ロータローは表情を固めて押し黙った。いくらなんでも没落が急すぎる。悪役令嬢でも、もう少し段階を踏んで破滅するだろう。
「でも、私だけはなんとか助かって、手元にほんのちょっぴり本が残ったんだ。それが、この部屋にあるものだよ」
部屋を埋め尽くさんばかりか外まで飛び出ている本の群れを指して『ちょっぴり』と言っている辺り、かつてあった書庫は本当に尋常ではない広さをしていたことが伺えた。
「それからは新しい書庫になれそうな場所を探す旅を始めたんだけど、その最中に野垂れ死んでしまって、その直後にゾンビとして復活したんだ」
『野垂れ死に』というさらっと流してはいけないヘビーでハードな情報が飛び出た気がするが、下手に触れてもいいことがなさそうなので、ロータローはそのまま聞き役に徹することにした。これ以上つらいことを掘り下げて聞くと、ただでさえ疲れている心身が限界を迎えてしまいそうだ。
「それから、ええと……旅を続けていたら、偶然この船に出会ってね。乗せてもらえることになったんだよ。ここなら野党に襲われたり、魔獣が出てきたりすることはないから安心だね。沈没の危険性はなくもないけど、それは大地の上に住んでいても同じことだって分かったし」
「この船に客として乗るには対価を払わなきゃいけないのに、よく乗れたな」
「いや、そりゃあ、腐っても……ふふ、ゾンビだけに……元金持ちだからね。本と一緒に手元に残っていた貴金属をいくつか渡したら、客人として快く迎えてくれたよ」
以上がツーテルクトップの過去だった。ロータローが抱えている異世界転移という経歴が霞んで見えるくらいには壮絶な過去である。
話がひと段落すると、「それで、どうしてキロリッターちゃんじゃなくて、キロリッターちゃんのご飯である少年が、この部屋にやってきたのかな?」と、次は自分の番だと思ったのか、それとも純粋に疑問に思ったのか、ツーテルクトップはそう訊き返した。
「キロリッターからアイツがお前から借りていた本を返すよう頼まれたんだよ。あ、でもここまで来た用事はそれだけじゃなくてさ……実は俺って文字が読めないんだよ。だから、読み書きの勉強に向いてる本があれば、ついでに貸してほしいんだが……」
「いいよ。キロリッターちゃんの代わりにお使いをしてくれて、おまけに私の部屋を掃除してくれている良い子な少年の頼みとあれば、断るわけがないさ」
ツーテルクトップは快く了承すると、続けて、
「いま丁度、本を拾おうと右手を伸ばしているだろう? それをもう少し前に動かしてごらん」
「? こうか?」
「もう少し前へ」
「こう?」
「そう。そこに本があるだろう? それを拾ってごらん」
言われるがままにする。
拾い上げられた本は、他の本に比べて薄く、小さかった。ポケットに収まりそうなサイズである。
そのページに書かれている文字は他の本と変わらず不明瞭だが、一文字のサイズが大きく、一ページあたりの文章量はとても少なかった。全ページに渡って挿絵が挟まれており、文章を解さないロータローでもそれをみることで本の内容をなんとなく推測することが出来る。
なんというか、この本の構成は……ロータローは幼少期に読んだ絵本を思い出した。
「私の故郷で知らない子供はいないほどに有名な絵本だ。これならきっと、君の要望を叶えられると思うよ」
「…………」
「おや、どうしたんだい? お気に召さなかったかな?」
「いや、そういうわけじゃないよ……どうしてその位置から俺の傍にこの本が落ちているって分かったんだ?」
山を形成する本の隙間からこっちを見た? いや、角度的に考えて、あそこからロータローの足元を見ようとしても、本の樹が邪魔になって見えないはずだ。
疑問に思うロータローだったが、ツーテルクトップは「やだなあ」と苦笑した。
「自分の本なんだ。整理整頓は出来ずとも、どこに何があるかくらいは分かっているさ」
当たり前のように言ってのけるツーテルクトップだったが、それは最早長い旅路で苦難を共にした本を心が通じ合っているとしか思えない探知能力だった。
なるほど。
本がどこにあろうと、その位置がすぐに分かる、読書家としての直感。
そんなものが備わっていれば、本の位置を分かりやすくするために行われる整理整頓なんて、してもしなくても同じようなものだろう。だからこそツーテルクトップは、その気がなくとも部屋を荒らしてしまっているのかもしれない。
ロータローはそんな考察を立てながら、渡された本を大事に仕舞い、清掃作業を再開した。




