75「チュウ ノック ノック」
「……で、そっから機関長の機嫌が悪くなってさあ。大変だったぜ。俺の中のあらゆる語彙を駆使して褒めたことでようやく機嫌を直してもらえた時は、ほっとしたよ。アレはもしかしたら、俺が『フールブック号』に攫われてから『シットローズ号』に帰るまでの間で一番大変な戦いだったのかもしれないな」
「チューチューチューチュー」
「……ここ数日の俺の話を聞いて、よくそんなに血が呑めるよな、お前。俺って多分、『フールブック号』で体内の血液と同じくらいの量の薬品を注入されてたんだぜ?」
「ふぁいほーふ。ほへはへほほへへほ、ほんはほひひひはひは」
「俺が過去に闇を抱えている系のギャルゲヒロインだったらうっかり恋に落ちてしまいそうな台詞だな……」
ロータローがそう言うと、キロリッターは吸血に満足したのか、彼の首元から口を放した。
カーテンが開かれた窓から、星々の光と小波の音が這入り込む真夜中のことだった。
「ギャルゲが何なのかは知らないけど、アンタって半吸血鬼だから、どれだけ薬と毒を注射されたところで、すぐに消してしまって体内に全然残留しないんでしょ? なら、どこを気にするって言うのよ」
そうは言っても、つい先ほどまで薬漬けと毒漬けにされていた体に牙を突き立てるというのは、気持ちの問題では気になるものではないのだろうか。少なくともロータローが同じ立場だったら、抵抗感を持つだろう。そこら辺を無視してあっさりと吸血できるあたり、キロリッターの器は結構大きいのかもしれない。……いや、彼女の場合は単に食欲旺盛なだけか?
「そんなどうでもいいことよりも、アンタが吸血鬼の『物質創造』を使えるようになったことの方がよっぽど興味深いわね。……ちょっと見せてみなさいよ」
「え、見せるって……」
「『物質創造』を使うところに決まってるじゃない。ホラホラ。何を出すのかしら? 話の中で出していた銃や剣? それともこの前私が出してみせた金貨? あっ、あんまり大きすぎるものは出さないでよね。部屋が壊れちゃう。後で直すのが面倒だわ」
「…………」
面倒なことになった。
キロリッターに『フールブック号』で起きた出来事を話した際、ロータローは自分も『物質創造』を使えるようになったと話した。……それで生み出される物体の質が著しく低いことを伏せて。
だって、せっかく覚醒したのに、それで出てきたのが中身スカスカの銃やおんぼろの剣なんて、どう考えてもカッコ悪すぎるだろう?
特にキロリッターがこのことを知れば、腹を抱えて爆笑した後にロータローに対してこれでもかとマウントを取りまくり、自分を讃えるよう要求するに決まっている。
だからロータローは、『物質創造』の産物の詳細なスペックは語らず、『銃でメェケンを脅した』『剣で敵を倒した』という説明だけに留めたのであった。嘘を言っているわけではないのでセーフだろう。たぶん。
だが、この場で実際に披露するとなれば、未熟な『物質創造』を隠せるはずがない。
では、どうすべきか?
…………。
己が取るべき最適解を僅かな時間に算出すると、ロータローは困ったような顔を作りながら、
「うーん、実演してみせたいのは山々なんだが。俺の『物質創造』はピンチにならないと発動しないんだよな。だから、こんな状況では見せたくても見せられねえんだよ」
と言った。
不出来な粗悪品を生み出す様を見られるくらいなら、そもそも能力の発動自体が不安定なことを明かす方を選んだのである。どっちがより恥ずかしいかは意見の分かれるところかもしれないが、ロータローの場合はまだ後者の方がマシだと思った。
(その後試したわけではないが)『フールブック号』においてロータローが『物質創造』を発動したのはいずれも極限状況下でのことだった。
だから、これは別に嘘を言っていることには──
「嘘ね。……いや、正確には丸っきり嘘ってわけではないけど、何かを隠すための発言ってところかしら」
ロータローの首筋に付着しっぱなしの滴血を舐め取りながらキロリッターは断言した。
「げ」
と、思い出した時にはもう遅い。
そうだ。そう言えばキロリッターには吸血した相手の発言の真偽を看破できる能力があったのだった(『06「大いなる死」』参照)。
そこまで見抜かれては隠しようがない。
観念したロータローは自分の恥を晒す決意を固めると、絞り出すような声で言った。
「実は俺が『物質創造』で生み出すものは……」
「オリジナルには遠く及ばないほどに劣悪な品ばかりだったのね。血を舐めて嘘を見抜いた時に、そのことも分かったわ」
「返せ! 俺の決意を返せよ!」
「まあまあ。別に三流であることを恥じる必要はないわ。どうせ、最高にして最強の吸血鬼であるこの私に比べれば、その他すべての吸血鬼は軒並み三流みたいなものなんだから」
自慢混じりの気遣いを見せるキロリッターだったが、その顔には隠し切れない笑いが浮かんでいた。今にも破顔してケラケラと笑いそうなくらいである。
「くっそ……そんなに力を自慢するくせに、どうして『フールブック号』に来なかったんだよ」
「はあ? なんで私が潜水艦に出向かなきゃいけないのよ。そこにいったいどんな奴がいたかは知らないけど、たとえ誰がいようと、そいつとの戦いに私ほどの切り札を投入するのは過剰戦力ってものでしょ」
「自分を切り札扱いするなんて、どこまで自尊心が高いんだお前は!」
「事実を言ってるだけなんだから、仕方ないじゃない。私が潜水艦に乗り込むなんて、蟻のダンスコンテストにゾウのタップダンサーが乱入するようなものだわ」
つまり、勝敗が付くより前に戦いの舞台自体が壊れてしまう、と言いたいらしい。
過大な自己評価に思えるが、キロリッターが心の底からそう思っているのは、彼女の血を舐めて真偽を判別せずとも、その表情を見るだけで一目瞭然だった。
と、丁度その時。
ノックの音がした。
こんな夜更けに誰か来たのだろうか? また機関長だったりして。
ロータローがそんなことを思っていると、キロリッターは入室の許可を出し、ドアが開かれる。そこにはサスライが立っていた。
「あら、アンタがこの部屋に足を運ぶなんて珍しいわね。いったい何の用かしら?」
「別にアンタに用があったわけではないさ。ロータローを探していてね。この時間ならこの部屋にいるだろうと思って、やって来たのさ。──ロータロー」
ひとつしかない目でロータローを見つめつつ、サスライは言った。
「ザナドゥの遺言について教えてやる」




