74「機関長はご機嫌斜め」
「『眠っている間に異世界へ転移したと思ったら、SSS級のチート能力を手に入れて、毎日楽しい冒険生活を送っています』!」
どう略せばいいのか分からないタイトルコールが、周囲の野原に響き渡る。
それを叫ぶ声は、記憶にない他人のものではない。ロータローの口から飛び出したものだ。
視線を落とす。そこには慣れ親しんだ手があった。手相から指紋まで見て、それが自分のものだと確信する。神経に集中し、筋肉に力を込める。他でもない自分の意志で手が動いた。頭上から垂らされた糸で体が操られているような感覚は全くない。
突如、地響きが生じ、周囲に生えていた草花が揺れた。
顔を上げる。目の前にはいつの間にか塔や城と見紛う体躯を持つ巨竜がいた。大人が立ったまま這入れそうなほどに大きい瞳がギラついている。言葉を交わさずとも、向こうがこちらに敵意を持っていることは明らかだった。
なぜ巨竜がここに? いや、そもそもどうして自分はこんな原っぱのど真ん中に立っているのだろう?
……。
…………。
……………………。
まっ、いっか!
そこら辺の細かい事情を考えるよりも前に、まずは目の前の敵を倒さなくては。
丁度腰に剣を提げていたので、それを引き抜く。手に重さがしっかりと伝わる剣だった。刀身に反射された陽光は眩しく、これだけでゴーストや吸血鬼を祓えそうである。
巨竜が前足を上げ、叩きつけるようにして振り下ろした。鋭く長い爪が生えているそれは、掠っただけで致命的な損傷を与えてくるだろう。
隕石めいて落下する前足を、ロータローは容易く避けた。そりゃ避けるに決まってる。死なないこと以外取り柄の無い体をしているわけでもあるまいし。そのまま距離を取ろうとする。その際、すれ違いざまに剣を走らせ、血飛沫を舞わせた。
巨竜は苦し気な呻き声を漏らすと、口を開けた。己の体に傷を入れた人間に牙を突き立てようとしているのではない。口の中では煌々と輝く球体が形成されつつあった。ロータローの遥か上空に鎮座する太陽の表面温度と同等の熱量が、たった一体の生物によって生み出されているのである。
灼熱の火炎球は吐き出され、すれ違う空気の温度を急激に上昇させながら一直線に飛んでいく。それに対しロータローは悠然と剣を構えた。
その佇まいに狼狽や恐怖の様子は一切ない。迫りくる火炎球をキャッチボールの球としか思ってないかのような態度だ。
「『遍く劫火を断つ輝剣』!」
思春期を拗らせていた頃に考えていた技名を叫びながら剣を振る。妄想通りの技が出た。誰かに肉体の支配権が奪われているような感覚は一切なかった。
次の瞬間、巨大な火炎球は包丁を落としたトマトのように真っ二つになり、空中で爆発した。斬撃はそれだけに留まらず、巨竜の元まで届き、その巨体をふたつに分けてみせた。
「へっ! 余裕だったぜ!」
剣を肩で担ぎ、もう片方の手で鼻の下を擦る。
勝利の余韻に浸っていると、周囲に咲いている花の中から沢山の美女が飛び出し、ロータローの方へと駆け寄ってきた。
なぜ花から女が? と一瞬疑問に思いそうになるが、まあここは異世界なんだし、そんなことが起きてもおかしくないだろう。ロータローが住んでいた地球でもたしか、そんな童話があった気がするし。
脳内に湧きかけた疑問を早々に捨て去り、ロータローは駆け寄る美女たちを受け止めようとした。
彼女らは皆、陶酔するような目をしており、頬を赤らめている。ロータローに惚れていると見て間違いあるまい。
「剣ひとつで巨竜を倒すなんて素敵です!」
「お強いんですね!」
「ワタシ、ときめいちゃいました!」
「はっはっはっは。このくらいのことは朝飯前だぜ。あの程度の魔物なら、ダース単位で襲ってきてもさくっと倒してやるさ」
「貴方こそが勇者さまだったんですね!」
それまで上機嫌だったロータローは、取り巻きのひとりの台詞を聞いて、笑うのをピタリと止めた。
今なんて言った?
……勇者。
ああ、勇者か。
勇ましい者。ブレイバー。
ファンタジー世界にはありがちな肩書きだ。そこに何か特別気にすべき部分はない。
だが、それを聞いたロータローは凄まじい違和感を抱いた。
血液の中に何か他の液体が混ざっているかのような。
視界の彩度が少し変わったかのような。
体内のどこかの臓器と臓器が位置を入れ替えたかのような。
魂あるいは人格、もしくは『自分』と言える何かが、別のものと混ざり合っているかのような。
そんな感覚を認識した途端、ロータローは鋭い頭痛に襲われた。
痛い。痛い。
頭が割れそうだ。
頭が割れたらどうなる? 死ぬに決まっている。いや、死んでもすぐ復活するだろう。なにせ自分は不死身の吸血鬼なんだから。体を粉々にされようが、頭を撃ち抜かれようが、一瞬後には綺麗さっぱり復活してみせよう。はあ? 何を言っているんだ。自分は半吸血鬼なんて半端な存在ではなく、勇者だろう。剣ひとつでどんな怪物でも倒し、世界を救う勇者だ。違う。違う。違う。自分はそんな高尚な存在ではない。勇者なんてどこから湧いてきたと言うんだ。こちとら混ざるのは吸血鬼だけで十分なんだよ。自分は……、自分は……!
「あああああああああああっ! あっ! ああっ、あああああがあああああああああああああああああああああああああ!」
ロータローは痛みに耐えられずに悶絶し、その場で蹲った。
「どうされたのです勇者さま⁉」
「大丈夫ですか勇者さま!」
「勇者さま勇者さま!」
美女たちが心配そうに言いながら、こちらを見下ろす。その声を聞くたびに、頭痛の強さが上がっているような気がした。
なんだこの痛みは。
喩えるならば、そう。まるで肉食獣に頭を噛み付かれているかのような……。
いや。
まるでではなく、実際に噛みつかれていないか?
歯がガジガジと突き刺さっている感覚だ。
頭痛の正体が中からではなく外から加えられているものだと悟った瞬間、意識が浮上する……そして。
ロータローは目を覚ました。
目に映るのは白くペイントされた金属でできた天井。頭には依然として痛みが走っているものの、夢の中に比べれば遥かに軽い気がした。
「あ! 目を覚ましてしまいましたかロータローさん!」
上を向き、寝起きでぼんやりしている視界で現実を認識しようとする。
そこには脇に自分の頭を挟んでいるマリィがいた。彼女の両手はロータローの頭……に噛みついているクサリを掴んでおり、必死になって引き剥がそうとしている。
「すみません。クサリさんが我慢できなかったみたいで……すぐに剥がそうとしたんですけど、間に合いませんでしたね」
「……いや、いいよ。噛まれるの慣れてるし」
それに起こしてもらって助かった気がする。ひょっとして、寝ている最中に悪夢でも見ていたのだろうか? 起きた今となっては、夢の内容を全然覚えていないのだが。
『ええと、どうしてここにいるんだっけ』とクサリの歯で頭に刺激的過ぎるマッサージを受けながら考える。
……ああ、そうだ。
自分は仲間たちと一緒に『スカイマントル号』に乗って海上憲兵から逃げた直後に、安心して眠ったんだった。
そのことを思い出しながら体を起こす。船内の様子は至って平穏であり、なにか荒事が起こっているようには見えない。どうやら、あの後になって何かしらのトラブルに見舞われたなんてことはなかったようだ。
「お目覚めっすねロータローくん」 前に座っているリルが振り返りながら座席越しに声を掛けてきた。 「んもー、急に気絶するから驚いたっすよー」
「すまねえ……。安心したら急に眠くなってさ」
「ああ、ただの過労っすか。じゃあヨルさんとそう変わらないっすね。安心安心」
見ると、リルの傍にはヨルが寝転んでいた。出血こそしていないものの体のあちこちに痛々しい刀傷があり、片腕を喪失している。どう見ても今のロータローより何倍も酷い重体だ。
しかし、そんな傷を負っているにも関わらず、その頭には呑気な寝顔が浮かんでいた。
「だ、大丈夫なのか? いったい何があったらそこまでの怪我が……」
「さあ? ジブンも詳しくは知らないっすけど、結構強そうなヒトと戦ってたっすよ」
自分が攫われたのが原因でヨルがここまでの怪我をしたのかと思うと、ロータローは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。それを察したのか、リルは人差し指を立てた手を伸ばし、ロータローの口を封じた。
「ま、そんな強者にたったひとりで立ち向かったヨルさんの責任もあると思うんで、謝罪の言葉は必要ないと思うっすよ。ていうか、この人に対して『お前が怪我をしたのは俺の責任だ……』なんて言ったら、最悪の場合『はあ? 貴様程度のちっぽけな虫けらの行動が儂に影響を与えたというつもりか⁉ 舐めてるな!』ってブチギレると思うっすよ」
「それは……そうかもしれないけど」
「でしょー? なんで、代わりに『そんな傷を負っても勝ったなんてパネえっす!』って持ち上げまくった方が良いと思うっすよ!」
リルはそう言って、ウインクをした。若者の軽さと大人の人生経験が同居している仕草だった。
それにしても、とヨルの重体を見て思う。
『フールブック号』での脱出劇にはいくつもの危険があったことを。
どれもこれもがロータローひとりでは切り抜けられなかったものばかりだ。特に、最初の密室からの脱出に欠かせなかったメェケンの存在は大きいだろう。
「そういえばアイツ、アレからどうなったんだろうな……っていうか、服貸しっぱなしじゃねえか!」
ロータローはあのまま逃げたか海上憲兵に捕まったかしたであろうメェケンの顔を思い出した。が、脳内に浮かんだ彼女の表情が人を絶妙に苛立たせるニヤニヤ笑いだったので、即座に記憶の片隅に放り投げる。
『フールブック号』からの脱出劇は大変だったが、それ以上に印象深いのはやはり、その後に出てきた海上憲兵の堕天使だ。
たしか配達員だっけ? あと占星術師もか?
機関長曰く、堕天使というのは天使としての力の殆どを失っており、ただの人間に毛が生えた程度の存在らしいが、彼らふたりはそうではなかった。
「特に配達員って奴のワープ能力は凄かったよなあ。あんな大きな潜水艦が一瞬で海上に飛ばされたんだぜ。もしもアレでワープできる距離に制限がないのなら、大陸の殆どが沈んで地域間の交通網が死んでいるこの世界においては、チートすぎる能力だ。普通なら船で何日もかかる遠い島まで一瞬で行けるんだからな」
ロータローがそんな呟きをうっかり漏らすと、
「ふうん、そうか」
操縦席の方から声がした。それまで黙っていた機関長だ。その声はいつもより不機嫌そうに聞こえた。
「ロータロー、あんたは自分がいま何に乗っているか理解しているのか?」
「……『スカイマントル号』」
「そうだとも。僕が一晩で作り上げた潜水艦だ。それを理解した上であんたは、この船よりもあの配達員とかいう堕天使のワープの方を高く評価しているのか。ふうん、なるほど。そうかそうか。ようく分かったよ」
「あ、えっと……いや、そんなつもりじゃ」
地雷を踏んでしまったことを察したロータローは慌てて訂正しようとする。
「別にお前とアイツを比べるつもりはないよ。だって……ほら、配達員って明らかに何らかの手段で天使としての力を取り戻してただろ? アレじゃあお前と同じ堕天使とは言えないよ。前提条件が違うんだから、比べようがねえって。ははは……」
「は?」
機関長の一言は、ロータローが場を和ませるためにしていた乾いた笑いを止めるのに十分な効力を持っていた。
「堕天使の僕では力を取り戻した伝天使を相手に比べるまでもなく敗北すると言いたいのか?」
「そういうことじゃねえよ!」
『初登場時の自己評価の低さは何処に消えたんだよ!』と続けて突っ込みたくなったが、その衝動はぐっと抑えた。
「言っておくがな、僕だって頑張ればワープ装置くらいは作れるんだぞ。……いや、やっぱり現時点では難しいかもしれない」
技術者としてのプライドから強がりを言う機関長だったが、最後の最後で技術者としての正確な判断力が働いたらしく、悔しそうに小声で付け足した。
こうしてちょっとした騒ぎを挟みながら、『スカイマントル号』は『シットローズ号』へと向かって行くのであった。




