72「止めるな」
「アトランティスさん、ボクって今、結構イライラしてるんだよね★ あっ、貴方に対してではないよ★ 貴方の第一のしもべであるボクが、貴方に何らかのマイナスの感情を向けることは未来永劫ありえないからね★ ムカつくのは……あの女だ★」
占星術師はチョークのように細く白い指でサスライを指差した。
「この付近の海域で『シットローズ号』が目撃されたといういくつかの証言を元に、ボクの占星術で正確な位置を突き止め、配達員に運ばせた……ここまでの手間をかけるほどの価値が、この女にあるのかな★ いや、貴方がそうだというのなら、ボクは盲目に信じて、従順に働くだけだよ★ けどね、こうも思うんだ★ 『ここまでアトランティスさんから強く想われているのに、それを無下にするコイツが許せない』ってね★ 『力を見せつける』と言ったけど、正直なところ、その程度で済まさずにぶちっと潰してやりたいくらいだよ★」
ロータローは形容しがたい危機感を抱いた。
このままここにいるのは拙い。
アレと相対し続けるのは危険だ。
全身の細胞が警鐘を鳴らす。
占星術師はその奇抜な格好以外に目を向ければ、どこにいてもおかしくない少年だ。その腕は若木の枝のように細く、皮の下に潜む筋肉は同年代の子どものそれから大きく逸脱していない。体のどこにも武器らしきものを装備しておらず、丸腰だ。
だと言うのに、理解してしまう。
強制的に、理解させられる。
占星術師が圧倒的な力を持つ存在であることを。
武力や技能と言った、人間の範囲で語られる『強さ』とは隔絶した次元の何かを有していることを。
凡人であるロータローが分かるくらいなのだから、他の『シットローズ号』の面々も、占星術師が只者でないことはとっくに気が付いていた。
特に、国を守る剣士としてこれまであらゆる『強さ』を目にしてきたマリィは、占星術師の実力を一番深く分析しており、それ故に驚きを隠せないでいた。
なんだアレは。
これまでの数十年で、こんな力を感じたことはない。占星術師が人の姿をしてこの場にいることが信じられないくらいである。
そんな規格外の化物を相手に、生前ならともかく、デュラハンとして実力が大きく衰えた今となっては、勝てるかどうか……圧倒的な存在を前に、マリィは思わず剣を握る手に力を込めた。
「逃げるよ」
緊張を打ち破るように、サスライが小声で呟いた。
「こちとら『フールブック号』での戦いだけで結構な消耗をしているんだ……ヨルなんて見てみろ。片腕をどっかに落としてやがる。……それに、海上憲兵と正面からやり合う理由もない。なら、ここは逃げるしかないだろ」
「逃げるって言っても……どうするんだ?」
ロータローが問う。サスライは目だけを動かして、一方向を示した。そこには『フールブック号』のハッチ、およびそこと接続している『潜り沈むスカイマントル号』があった。
「アレに乗る。どれだけデカい戦艦が雁首揃えていようが、海中を動き回る小さな敵までは追えないだろ。配達員が追ってくる可能性があるが、まあ、対策が全然ないってわけではないから安心しな」
「あー、そう言えば潜水艦に乗って来たんだっけ」 先ほどマリィから聞いた状況説明を思い出す。
「『スカイマントル号』とハッチの接続部分を外して……いや、どうせ接続機能をまた使うことはないだろうし、正当な手順を踏んで外さずに、無理やり破壊してもいいのか。マリィ、あんたの剣なら、一振りで切断できるだろ?」
「は、はい! でも、そんなことをしたら機関長さんが怒りそうですね……」
「緊急事態だからやむを得ないさ」
「接続部分を外した後は海に落として、全員が乗り込めば脱出成功ってわけか……ええと、ここまでにかかる時間はどのくらいだ?」
「三十秒もかけずに終わらせる」
「……その時間を導き出した根拠は?」
「船長のアタシが決めた。それだけさ」
つまるところ現実的な保証は一切なしの理想論というわけだ。不安にしかならない。しかし、それと同時に『やるしかない』と思わせる不思議な説得力が、サスライの言葉にはあった。
とはいえ、四方から戦艦に睨まれ、今にも怒りを爆発させそうな危険人物(人?)がいる状況では、たった三十秒であっても捻出するのは難しい。
「ここは口だけでもいいからアトランティスの言うことを聞いたらどうだ? そんで、向こうが隙を見せるのを待とうぜ」
とロータローが提案しようとした、その時だった。
轟!
という砲弾の爆発と共に、世界が白く染まったのは。
『フールブック号』にいるロータローたち向かって放たれたものではない。一隻の戦艦から他の戦艦に向かって撃たれたのだ。
海上憲兵たちの顔を見てみると、驚愕に顔を歪めていた。つまり、この同士討ちは予想だにしないハプニングだったということである。
憲兵たちの間に動揺が広がる間も、その戦艦は被害を広げていた。
整備不良の事故でも起きたのか? ……と疑問に思うが、ロータローの思考はサスライの一言で引き上げられた。
「集合!」
何が起きているのかは分からないが、この隙を見逃すわけにはいかない。
サスライが出した指示は先ほどまでの作戦会議での小声とは違い、聞き慣れた音量だった。『シットローズ号』のキャプテンの声は周囲一帯に響き渡り、遠く離れた場所にいたリルとヨル、機関長、あと何処かに隠れていたヘルの耳にしっかりと届く。
指示の内容は『集合』の一言のみ。無論、ここでサスライの元に集まることはない。声を聞いた直後、彼らは『スカイマントル号』の元へと向かった。
ロータローは走りつつ、件の戦艦を横目で見て、何が起きているのか確認しようとした。
そこには銀髪の麗人、メェケンがいた。
「はあ!?」
戦艦にいる憲兵たちを『肉体破壊』で吹き飛ばし。砲台に火を点けて発射する。アクション映画のクライマックスさながらの暴れぶりだ。
彼女の姿を視認したのはロータローだけではないらしく、隣を走るマリィも驚いたような声を上げた。
「ど、どうしてメェケンさんが……!? はっ! まさか、私たちを逃がす為に自ら囮になろうと……」
「いや、それだけはあり得ない」
メェケンの辞書に『自己犠牲』が載っていないことをよく理解しているロータローは、きっぱりと否定した。
「あくまで推測に過ぎないんだけど……さっき配達員から自分が追われる身になっていること教えられて、アイツはこう考えたんじゃないか? 『このままだと掴まって、最悪殺されるかもしれない。なんとかして逃げなくては』って。丁度その時、周囲の視線がアトランティスとサスライ、あとあの占星術師って奴に集中する時間が出来た。その隙にあいつは近くの戦艦に潜り込んだんじゃないか?」
ロータローのこの予測は完全なる正解だった。メェケンは『シットローズ号』を囮にして、自分が逃げる足を確保したのである。
「でも、あの人にあれほどまでの元気って残っていましたっけ?」
そう言うマリィの視線の先では、メェケンが憲兵のひとりを掴み、自分に銃口を向けていた憲兵たちに向かって放り投げ、衝撃の強い爆発を浴びせていた。
頭上には躰天使の輪が浮かんでいる。先日サスライから受けた傷が完全には修復されていないものの、『天使の力の受信部』が活性化しているのだ。このことから、現在のメェケンは体中に元気が有り余っているのだと推測できた。
「なんだありゃ。なんかのクスリで」
ハイになったのか? と。
冗談じみた口調でそう言いかけたロータローだったが、その途中で気が付いた。
『フールブック号』には人体実験に用いる為に様々な薬品が保管されていたことを。
たとえば、ザナドゥからの拷問じみた研究の中で、ロータローはアドレナリンのような薬を一気に何本も注射された。その時は体がショックに耐え切れず、ただ苦痛を感じることしかなかったが、もしあの薬を適切な量投与すれば、疲れが吹っ飛び、元気いっぱいになるのではないだろうか。今のメェケンみたいに。
また、サスライの元に向かう最中で、メェケンはロータローたちと共にいくつもの通路を渡り、部屋の横を通り過ぎていたのだ。目ざとい彼女なら、『いざという時に使えるかもしれない』と考え、薬品庫から注射の一本や二本をちょろまかしていてもおかしくない……。
「くっふっふふふっふっふっふゥ~! 最高にハイだよ! ハイハイハイってやつだよん! ……アレ? そこにいる天使は躰天使? うわあ、実際にお目にかかれるなんて感激! くっふっふっふふふっふふ!」
「いや、今のお前が見ている天使は、多分そういうのじゃないと思うぞ⁉」
届くはずがないが、突っ込まずにはいられないロータローだった。
薬の効果で見えてはいけないものが見えているメェケンだが、その戦績は意外なことに好調だ。ロータローとの逃避行で学んだ『肉体破壊』の応用をフルに活かしており、また、天使の輪の出現に伴って上昇した『肉体再生』を持つ今、弾丸を受けてもすぐに回復している。失っていた片腕はとっくに生えていた。
全盛期の再来、とまではいかないかもしれないが、化物じみた強さだ。
戦艦を乗っ取るところまで行けるかは分からないが、憲兵たちが彼女を完全に鎮圧するのに時間がかかるのは確実である。
「一応礼を言っておくべきなのか?」
モヤモヤするロータローだった。
『スカイマントル号』の元に到着した直後、マリィが剣を閃かせる。『スカイマントル号』と『フールブック号』を繋ぐ部分が滑らかにズレた。機関長が今まで見せたことが無い顔になった気がしたが、今はそれを気にしている余裕はない。
「ッ! 行かせません!」
クサリが馬鹿力を使って『スカイマントル号』を海面に落とし、先に中に入った機関長が操縦席に座った頃、遠くから配達員の声がした。
と思った頃には、茶髪の美少年が傍に立っており、『スカイマントル号』の真上に輪を出現させていた。それが下降すれば、逃走手段は一瞬で喪われてしまうだろう。ロータローたちが配達員の輪を目視するのはこれが初めてだが、これまでの経験から『ワープに用いられるのが輪である』ということは簡単に推理出来た。
絶体絶命のピンチを前に、ただ一人『待ってました』と言わんばかりの余裕ある表情を浮かべているものがいる。サスライだった。
発砲音が鳴る。
サスライが握る対天使特攻銃とでも言うべき武器『ハネモギ』から放たれた弾丸は、伝天使の輪に罅を入れていた。
完全なる粉砕とまではいかなかったが、それでもダメージは与えられたらしく、配達員は苦し気に顔を歪めると、輪の下降を中止した。
その間にロータローたちは次々と『スカイマントル号』に乗り込んだ。船は扉を閉めると同時に、着席も安全確認もしないまま、海中に沈み、猛スピードで駆けて行く。
配達員が追いかけてくる様子はない。輪にダメージを受けたことで、ワープ能力の使用が不可、あるいは弱体化しているのかもしれない。サスライはそこまで狙って、『ハネモギ』を撃ったのである。
戦艦たちから感じていた威圧がどんどん離れていくのを感じながら、ロータローは溜息を吐いた。
やっと終わった。
『フールブック号』と遭遇してからの数日間の騒動が、ようやく幕を閉じたのだ。
……いや、まだ終わったとは言い難いか。
ザナドゥの最期の言葉の意味はまだ分からないし、サスライの正体についても全然知らない。
でも。
ようやくひと段落ついた今は、少し休んでもいいだろう。
どうせ『シットローズ号』に帰ったらまた、キロリッターに血をあげなくてはいけないのだ。今のうちに消費した体力を取り戻しておきたい。
「……あ、言い忘れるところだった」
安堵した途端に遠くなっていく意識の中で、ロータローは呟いた。
「みんな……助けてくれてありがとな」




