71「世界を救うのがアトランティスの場合」
「あ」
と言う間にロータローたちの視界は一変していた。
先ほどまで床に倒れていた体が空中に浮かんでおり、落下して尻もちを着く。
周囲を見たところ、『フールブック号』の船上に一瞬で飛ばされたようだ。この移動が配達員の摩訶不思議な能力によるものであることは、言うまでもないだろう。
見ると、ほんの少し離れた場所に機関長が、更に離れた所にリルとヨルが居た。どうやら彼らも同様に、配達員の手により運ばれたらしい。どれだけ目を凝らしてもヘルの姿が見当たらないが……まあ、彼女のことだ。きっとその辺に隠れているのだろう。
こうして四方を固い壁で覆われた薄暗い艦内から外へと出てきたわけだが、感じられる閉塞感は少しも変わっていなかった。どころか、厳しい戦艦で周囲を固められている今の方が、感じられる閉塞感が強くなっている気がする。
ごくり。
喉を鳴らして顔を上げる。見つめる先にあるのは『立ち向かうメテオハート号』だ。
『シットローズ号』のメンバー、およびメェケンも示し合わせたようにそちらに目を向ける。そこに海上憲兵の長であるアトランティスが乗っているというのだから、注目せざるを得ない。また、たとえその情報が無かったとしても、『メテオハート号』の巨体は威圧的で他者の視線を大いに引き寄せるものであり、五十を超える艦隊の旗艦だということがひと目で分かった。
『メテオハート号』の船首から何者かが現れる。ロータローは先ほどもよりも大きく唾を呑んだ。
出てきたのは子供だった。機関長と同じくらいの少年であり、配達員と同じく海上憲兵の制服に身を包んでいる。
所々に白髪が混ざっている黒髪はまるで夜空のようであり、その上から薄い紫色のベールを被っていた。海上憲兵の制服にベールという組み合わせはかなり珍奇であるものの、そんなものは、彼の腰を囲っている輪の存在に比べれば些細な違和感だった。
輪。それは浮遊しているフラフープに見えなくもないが、よく見てみると薄く平らな円盤状の、チャクラムじみた形をしていることが分かる。なんとも不思議な物体だ。
少年はこちらに目を向けた。中に十字の光が宿っている目だった。
「ほらね☆ ボクの星見通り、ここの真下にいたよ☆」
少年がそう言った直後、軍靴の音が聞こえた。戦艦の包囲網を越えて水平線の彼方まで届くのではと思わされるくらい、よく響く音だった。
現れたのは長身の男だった。年齢は三十代を越えて四十代に差し掛かっているといった辺りか。とはいえ、彼の佇まいに老いや衰えは一切感じられず、肌の殆どが軍服に隠れていても、その肉体がよく鍛えられていることが分かった。
鉄人。
そんな言葉が頭に浮かぶ。
彼は波ひとつ立たない凪のような冷静さと、燃え盛る烈火のような威容を兼ね備えており、その風格から、ロータローは瞬時に理解した。
ああ、彼こそがこの船団を率いる者。
海上憲兵総帥、アトランティスなのだ、と。
アトランティスは船首から身を乗り出し、怜悧な瞳でこちらを見下ろした。
「あれは……間違いない。シャングリラだ。よくやった『占星術師』」
「えへへ☆ お褒めに預かり光栄光栄☆」
占星術師と呼ばれた少年は嬉しそうに頭を掻く。心なしか、瞳の中の光量が増したように見えた。
「……フン」 サスライが鼻を鳴らした。 「ザナドゥの次はアンタかい、アトランティス。アタシが知らないだけで、今日は同窓会でも開かれているのかねえ?」
「ザナドゥ? その潜水艦は報告にあった『シットローズ号』とは見た目が随分違うと思っていたが……もしかしてザナドゥの船なのか? なぜお前が乗っている?」
「色々あったのさ。アタシの船の乗客の荷物が攫われて、ちょっとドンパチして……それで」
「それで?」
「アタシがザナドゥをブッ殺した。この銃でね」
言って、サスライは手の中の『ハネモギ』を見せびらかすようにクルクルと回す。
彼女の言葉に対し、アトランティスはショックを受けた様子を見せることはなく、ただ静かな沈黙を返すだけだった。
「お前は……お前たちは随分と変わったな」
「アタシからすれば、アンタの方がよっぽど変わったと思うけどね。噂はよく聞いているよ? 海上憲兵っていう大層な組織を作って、とっくに終わり切ったこの世界を取り締まっているんだってね。立派じゃあないか」
「恐れ入る。とはいえ、海上憲兵はまだまだ発展途上の組織だ。お前からの称賛を受け取る程までには、まだ達せていないと思われる」
「今のは皮肉だっつーの、ボケ! 相変わらず話していて面白くない堅物だね!」
サスライは苛立ちを隠さず叫んだ。
ふたりの会話は知己の間柄のような雰囲気があるが、とても割って入れるものではない。ロータローはそばで聞いているだけだというのに、圧迫感で押しつぶされそうになった。
アトランティスとサスライの間に何やら因縁があるらしいというのは知っていたことではあるけども、その詳しい内容までは知らない。アトランティスはザナドゥのことを知っており、また、彼もサスライのことをシャングリラと呼んでいるので、過去に何かあったと思われるのだが……ロータローはそう推測しつつ、小声で、
「なあメェケン。お前って元海上憲兵だろ? だったら、あいつらがどういう事情を抱えているか知らないのか?」
と呼びかけた。
返事は無かった。
横を向き、振り返り、辺りを見渡す。
ワープした直後はすぐ傍に転がっていたはずのメェケンが、どこを探しても見当たらない。
「ま、まさかあの野郎……! どこかに隠れたのか⁉」
メェケンがアトランティスの部下だったのは昔のこと。先ほど配達員が言ったことが真ならば、海上憲兵における彼女の立場は今となってはお尋ね者である。ならば、逃げ隠れようとするのは当然の行動だろう。
「肝心な所でいなくなりやがって……!」
ロータローは悪態を吐くと、意識をアトランティスとサスライの会話に向け直した。これ以上メェケンを探そうとして要らぬ注目を集めたら、そっちの方が困るからだ。ここは大人しくしておくに限る
「で、海の大将、もといお山の大将殿がこのアタシに何の用だい? まさか、戦艦をこれだけ率いて昔話をしにきただけってわけじゃあないだろう?」
「これまで何度も言った通りだ、シャングリラ。海上憲兵に加わらないか?」
単刀直入な勧誘だった。
「先ほども言ったが、海上憲兵はまだ発展途上の段階だ。組織の成長のためにも、更なる力が必要とされている」
「それがアタシってか?」
「そうだとも。オレはお前の強さをよく知っている。お前ほどの人間がどの組織にも属さずにただ海を漂流しているなど、世界にとっての損失だ」
だから、とアトランティスは手を伸ばす。
「オレに付いてこい。共に世界を救おう」
その姿は偉大さに満ち溢れていた。
もしもロータローがサスライの立場だったら、海上憲兵に加わるだけでなく、アトランティスの口から出るどんな言葉にも従っていただろう。それほどまでのカリスマ性を、彼は備えていた。さすがは世界を股にかける大組織のリーダーである。
しかし、サスライは、
「やだね」
と、反骨心を剥き出しにした答えを返した。
「アタシのことをごっこ遊びの人形程度にしか思っていなかったザナドゥと比べりゃ、ちったあマシな誘い文句なのかもしれないが、『世界を救う』なんて目標を掲げているのが気に食わないんだよ、馬鹿が。そんな夢は二十年前に捨てておけってんだ」
先日『シットローズ号』にてザナドゥの誘いを断った時と同じような剣幕で拒絶の言葉を吐く。五十の戦艦に囲まれているとは思えない気迫だ。
サスライの言葉を最後に、その場に重い沈黙と緊張が流れた。ロータロー程度の凡人では、そこに居るだけで息が詰まりそうだ。
「あのお、ちょっといいかな、アトランティスさん☆」
そう言いながら手を上げたのは占星術師だった。
「具申させてもらうけど、ここは言うことを聞かせるために、力の差を思い知らせてあげた方が良いんじゃないかな☆ たとえば、この船に並んでいる砲台がただの飾りじゃないことを教えてあげるとか……☆」
あるいは。
「ボクの力を見せつけるとか★」




