70「伝天使・コルエル」
ザナドゥの遺言を聞いたロータローは激しく混乱していた。
自分の魂が別のものと混ざり合っている?
そんなバカな、と思う。
死に際で錯乱していたザナドゥが吐いた妄言だったと切り捨てるべきだろう。
しかし、この世界に来てから自分の身に二度も起きた不可解な現象である『存在しないはずの記憶』のことを考えると、彼の言葉を全くの嘘っぱちだと一蹴することも出来なかった。
あの記憶の内容は、ロータローの知らないものである。だが、もしもそれが彼と混ざり合っているという別の魂とやらのものだったら? その場合、合点がいくのではないだろうか。
無論、それでもまだ疑問は残る。
どうしてロータローの魂が他のものと混ざり合っているのか?
そして、その魂とは誰なのか?
「……なあ、サスライ。お前ってザナドゥの知り合いなんだろ? だったらコイツが今言ったことの意味が分かるんじゃあないか?」
「…………」
サスライは答えない。
いや、答えられないと言った方が正しいか。
片方だけしかない瞼を震わせ、額から汗を垂らしている。心ここにあらずと言った有様だ。どうやら、ザナドゥの遺言は彼女にとっても驚愕に値するものだったらしい。
「どうして最後に『エデンさん』って言ったんだよ……」
「…………」
「エデンってアレだろ? たしか二十年前に魔王と戦ったっていう勇者なんだろ?」
「…………」
「なんでそんな奴の名前を親し気に呼んでいたんだ? もしかしてザナドゥは……いや、お前たちは、エデンと何か関係があるんじゃ……」
「…………」
「黙ってないで何か言ってくれよッ!」
「落ち着いてください」
「うるせえ! これが落ち着いて……」
いられるか! と。
叫んだロータローだったが、サスライを問い詰める自分を宥めようとした第三者がマリィでなければメェケンでもなく、ましてやクサリでもないことを知ると、口を止めた。
いつの間にか、隣に見知らぬ子どもが立っていた。
「興奮しすぎると寿命が縮みますよ。……おっと、不死身の半吸血鬼には意味のない説教だったかな」
茶色い鞄を肩にかけている、十歳前後の少年だった。
髪色は茶髪だが、所々の色素が薄く、パッと見は赤毛のような色合いになっている。
飄々とした口調で話しているものの、その顔から感情らしきものは窺えない。表情筋が死んでいる。
そんな身体的特徴以上に、少年の立場を雄弁に物語るのは、彼が着ている白い軍服だった。
白い軍服。それはロータローがこの世界において何度も目にした格好である。
「海上憲兵……?」
「おや、僕を見て真っ先に出てくる言葉がそれですか。……ああ、そうか。輪は今、外にあるんだった」
「輪?」
「あ、思い出した」
メェケンが言う。
「コイツ、たぶん堕天使の『伝天使』だよ。普段は海上憲兵の本部にある専用部隊で、支局間の情報の通信や物資の配達をしてるから、『隊長』や『配達員』って呼ばれてるんだって」
「その通りです。流石はメェケン。数々の悪行でお尋ね者になっても元大佐であり、海上憲兵の情報については深く知っているというわけですか」
「は? メェケンってダレダレ? 私はちょっと海上憲兵について詳しいだけの一般人、モーケンだよん?」
「貴方のその、自分が海上憲兵からどのような扱いを受けているか察した途端に平然と一般人を装える胆力は見習いたいものですね」
直後、メェケンは右手を伸ばした。自分の悪名を知った上でこの場に参上している相手を消すつもりなのだろう。『配達員』はあっさり回避した。
スピードが速いとか、身のこなしが優れているとか、そういうレベルではない。まるで空間から空間に一瞬で跳躍しているかのような避け方だった。
それでもメェケンはめげずに右手を二度、三度と動かすが、その指先が『配達員』の肌に触れることはない。服に掠ることさえなかった。
何度目かの回避を終えた後、『配達員』はロータローたちに向かって軽いお辞儀をした。
「『シットローズ号』の皆さん、お話の最中に割って入ってしまい、誠に申し訳ありません。先ほど元大佐が言ったように、僕の名前は『隊長』、あるいは『配達員』。偉大なる我らが総帥の命により、この船を海上まで配達させてもらいます」
……もしも『進み行くフールブック号』を外から観察する者がいたら、その者は酷く驚いただろう。なぜなら、船の真上に輪が漂っていたからだ。
縦に長い構造をしている『フールブック号』よりも更に長い直径を持つ、巨大な輪。海中で見かけることはまずありえないはずなのに、それは不思議と自然と調和した雰囲気を持っていた。
輪は急に下降する。
船体が輪の内側を潜り、そのそばから消えていく。まるで消しゴムをかけられている鉛筆画みたいだ。
そうやって『フールブック号』は上から段々と消えていき、輪が船底まで到達した頃、その場から完全に居なくなっていた。
次に輪は、その直径を縮め始めた。潜水艦ひとつを容易く囲えるサイズから、指輪ほどの大きさまで……更にどんどん小さくなっていき、限界まで達したかと思うと、輪自体も消え去った。
直後、その場から数百メートルほど真上にある空中に巨大な輪が出現し、そこから『フールブック号』が吐き出された。
ばっしゃあん、と海面に落ち、大きな波を生む。
そんな荒々しい着水をしたものだから、地震が起きたかのような衝撃が艦内を襲った。ロータローたちは立っていられるはずもなく、倒れて通路を転がり、体のあちこちを壁にぶつけることになる。
「ふっ、船ごと海上に瞬間移動させただって⁉ 嘘だろ⁉ いや、天使ならそんなことが出来てもおかしくないかもしれないけど……堕天使って、天使の力の殆どを失っているんじゃないのか⁉」
「おや、よく御存知ですね。その疑問に答えてあげたいところですが、あいにく機密事項ですので──窓の外をご覧ください」
配達員の言葉に乗せられ、近くの窓に目を向ける。
そこには水平線まで見渡せるほどに広大な海……ではなく、いくつもの軍艦が犇めいていた。
ざっと確認しただけでも五十隻はあるだろうか。遠くからこれらを観測したら、きっと島と見間違えてしまうだろう。
見るだけで圧倒される光景だ。
ロータローたちは思わず息を呑む。メェケンは特に、船団の中心にいる一際大きな戦艦に注視していた。
「あ、アレは……あの戦艦は……間違いない……」
「知っているのかメェケン⁉」
「知ってるよ! 知っているとも! なにせ、私の元ボスの船なんだからね!」
メェケンは青褪めた顔で叫んだ。
「海上憲兵総帥、”鉄人”のアトランティスの所有戦艦! この世界の海における最大級の暴力! 『立ち向かうメテオハート号』! アレが率いる船団が通った海域は、小魚一匹残らないって話だよオ~ッ!」




