62「剣天使・ヘレヴェル」
「随分と血気盛んだねえ。おまけに肉弾戦を仕掛けてくると来た。とことん幽霊らしからぬ幽霊だ」
そう評するスカルペル目掛けてヨルは正拳突きを入れ、躱され、続けて連突き、風に舞う落ち葉のような動きで外される。前進しつつ猛攻を仕掛けるが、そのどれもが不発に終わる。スカルペルは防戦一方だというのに、不利な雰囲気はまったくない。
「くそったれが! うろちょろと! 避けることしかできねえのか!」
「そうは言っても、初対面の敵を相手に真正面から立ち向かうほど、オジサンは馬鹿じゃないからさ。曲がりなりにも研究者だから、ある程度は観察しておきたいんだよね」
スカルペルは跳ねるように後退してヨルとの距離を取り、その場で立ち止まる。
「お前のことは大体分かった。体格とフォームに釣り合わない威力のパンチを放つから不思議に思っていたけど、成程。拳に『ポルターガイスト』を纏わせていたのか」
「ぽるたー……なんだ、それは?」
「まさか、知らないまま使っていたのかい?」
「はあ? 勿論知っているぞ! 舐めるな! ここに来る途中で深海を泳いでいるそれを十匹は見かけたわ!」
「海の生き物じゃないんだけど」
スカルペルは呆れたように溜息を吐くと、体を低く屈め、背負っている大太刀に手を伸ばした。
「ともあれ、お前の力の正体が単なる『不可視の心霊現象』だと分かってよかったよ。その程度ならこの刀の敵じゃあないからな」
スカルペルの言葉は、挑発と言うよりも事実を淡々と述べているような口調だった。だがそれが逆にヨルの逆鱗に触れた。彼はスカルペルがそれ以上何かを言う前に飛びかかり、開いていた互いの距離を縮めようとする。
頭蓋骨を粉砕せんと迫り来る拳に対し、スカルペルは先ほどのような回避をしない。ただじっと待ち構え、ヨルがある程度の範囲まで近づいてきたのを確認した瞬間に刀を抜き、叩き付けるような速さで振った。その動作たったひとつから、彼がこれまでに積み上げてきた修練や戦闘経験が伝わってきた。
無論、どれだけ刀の切れ味が良かろうと、どれだけスカルペルの剣技が優れていようと、幽霊であるヨルに対しては無意味である。骨肉ではなく霊魂の体を持つ彼に、刀を始めとする物理的な干渉は通用しないからだ。このまま両者がぶつかれば、勝利するのはヨルの方である。
……はずなのだが、違った。
スカルペルの刀が鞘から抜かれ、外界に姿を現した瞬間、ヨルは怖気のようなものを感じた。
アレは拙い。
このまま進むべきではない。
死をとっくに経験し、死とは無縁になったはずの霊体が、目前に現れた物の恐ろしさを警告する。
ヨルは世間的に言えば馬鹿の部類に入る性格をしているし、他人の話を全く聞かない勝手気ままな人物だ。とはいえ、己の内から湧いて出たアラームを無視するほどの愚か者ではない。怖気を感じた瞬間、彼は進む脚を止め、後方に向かって飛び退いた。直後、彼が立っていた場所目掛けて刀が振り下ろされる。
すんでの所で直撃は免れたかのように思えた。しかし、遅かった。
ヨルの上着の装飾が弾け、肩から腰にかけて一直線に亀裂が走った。
「おや、咄嗟に避けて、真っ二つになるのは免れたか。中々良い勘をしているなあ」
ヨルの判断を褒め称えながら、スカルペルは振り抜いた刀を返し、顎先を狙って斬りつけた。背中を全力で仰け反らせることで、ギリギリの回避を成功させる。その勢いのままバク転するような動きで後ろに跳んでいった。着地と同時に床を掴んでちゃぶ台返しのように引っ剥がし、即席の壁を作る。しかし、次の瞬間にそれは易々と両断された。硬質な壁は一切の抵抗もしないまま、まるで空気のようにあっさりと斬られたのである。
崩れる壁の向こうから現れたスカルペルは突きを放った。その動きは普段の言動からは想像も出来ないほど速く、しなやかだ。
ヨルは拳で持って迎撃する。それに纏うは『ポルターガイスト』。すなわち、不可視の力。どれだけ切れ味のいい刀であろうと、それと正面からぶつかれば一方的にへし折られるのみだ。
しかし、飛んできた刀はそんな不可視の力すらも貫き、無力化した。刃の進行はそれだけでは終わらず、拳に深々と突き刺さる。切っ先が肘から飛び出した。
「こんのッ……!」
ヨルは傷を負っていない方の手で拳を作り、叩き付けようとする。だが、空振りに終わった。スカルペルがそれよりも早く、その場から離れていたからだ。
その頃になってようやく、熱い激痛が胸元と片腕を襲う。こんな感覚は死んで以来だ。幽霊であるため血飛沫こそ出ないものの、酷い重傷である。
「アヴァロンという男を知っているかい?」
スカルペルは唐突に問うた。ヨルはその名前を知らない。
「伝説の勇者一行のひとりだ。と言っても、彼の本業は戦士や剣士といった戦闘向きのものではなく、鍛冶士だったんだけどね」
無論、伝説の勇者一行に所属していた以上、ただの鍛冶士ではない。
伝説の鍛冶士だ。
それも、剣天使の寵愛『刀剣作成』を持つ鍛冶士である。
アヴァロンの剣はどれもが異能じみた特殊な力を付与されており、歴史に名を残すほどの逸品ばかりだった。おまけにそれらが製作されるペースは凄まじく早かった。
一説に寄れば、アヴァロンが魔王軍との戦いの最中で打った剣の数は千を超えると言われている。
とはいえ、そんなに沢山の剣があったところで勇者一行がその全てを扱いきれるわけがない。では、千本の剣はどうなったかというと、その多くが旅の途中でアヴァロンが出会った人々に与えられていた。
いくら勇者エデンが救世主に相応しい力を持っているとは言え、その手が届く範囲は限られている。英雄が不在の土地では、悲劇は容易く量産されてしまうのだ。
ならばどうすればいい? 答えは簡単。英雄を量産すればいい。
アヴァロンが打った剣は伝説級の代物だ。ただの凡人であろうが、それを握りさえすれば並外れた強さを手にすることが出来る。言うまでもなく、それでもエデンという勇者に並ぶのは不可能だが、魔王軍の末端程度の脅威に対抗するには十分だった。
勇者一行が旅を続けていく過程で、世界中にアヴァロンの剣が増えていった。仮にアヴァロンがいなければ、魔王軍との戦いで人間側が受けた被害は何倍にもなっていただろう。
しかし、そんな人類の切り札とも言える武器は、『大いなる死』の際に冥府に沈んでしまった。それでも何本かは地上に残っていたが、殆どが現在の世界において最高の軍事力を誇る組織である海上憲兵の物となった。
「こうして伝説の剣は本当に伝説の存在になってしまったというわけだ」
嘆くようにして語るスカルペル。
「だけど、オジサンは諦めきれなかった。伝説の剣を。凡人を英雄に変える刃を。諦めずに藻掻いて、足掻いて、探し回って、ザナドゥさんの力を借りて、その末にようやく手に入れたのがこれだ」
銀色に煌めく刃で空を切り、ひゅんひゅんと音を鳴らした。
「名は『分かち断つフラグメント』。『刀剣作成』で与えられた異能は『万物切断』。この剣に斬れない物は無い。分厚い鱗で覆われた巨竜だろうと、鋼鉄で出来た城塞だろうと、そして触れることの出来ない幽霊だろうと、この刃にかかれば薄手の布も同然だ」
スカルペルは『分かち断つフラグメント』の刃先をヨルに突きつけると、口角を吊り上げた。
「つまりこれは、この世で唯一、お前を斬り殺せる武器なのさ」




