60「ドーピング」
「止まれ!」
エンジンルームに入ってきた『理解室』に向かって、部屋の中心にある巨大な機械の傍に陣取っているロータローは叫んだ。
『理解室』の先頭には先ほどと同じくフラスコの姿がある。その顔には先ほどまでの理知的な雰囲気は無く、表情筋がピクピクと痙攣していた。それどころか手足の筋肉も同様に苛立たしげに震えている。
先ほどの爆発が余程頭に来たのだろう、とロータローは推測した。
そして同時にこう思う。頭に来るほどに印象に残っているのなら好都合だ、と。
向こうが肉体爆弾の威力を知っていれば知っているほど、これからする脅しの効果が高まるのだから。
メェケンとロータローは顔を見合わせると頷き、予定しておいた通りの脅迫を実行すべく、『理解室』に向かって口を開いた。
「それ以上近づくなよ! 下手に動けば、また俺が爆死することになるぜ!」
「そーだそーだ!」
「こんな部屋でさっきみたいな爆発が起きてみろ! みんなまとめて海の藻屑だぜ!」
「そーだそーだ!」
「とはいえ、俺たちだってお前らと仲良く心中したい自殺志願者ってワケじゃあない。ここから大人しく逃がしてくれればやっ!?」
ロータローは取引の条件を最後まで言うことができなかった。
何故なら『フールブック号』が急に揺れたからである。
それは船自体が進路を上方向に変えたことで生じた揺れ。ほんの僅かな振動だ。
しかし、交渉の真っ最中という緊張感がマックスな状況にいたロータローたちにとって、不意に訪れた振動は大きなアクシデントとなった。
彼らは身を襲う揺れにバランスを崩す。完全に転ぶとまではいかず、つんのめる程度だ。
だが交渉の場において、それは大きな隙となった。
そして、それを見逃すフラスコではなかった。
とん、と。
跳躍の音がする。
それを耳にしたロータローは崩れかかった体幹を元に戻し、前方を見た。すると、先ほどまで入り口の傍にいたはずのフラスコが目と鼻の先にまで迫っていた。瞬間移動でも使ったのかと疑いたくなる速度である。その姿を認識した直後、ロータローは脇腹に鋭い痛みを感じた。握り拳で真横から思い切りぶん殴られたのである。まるで砲弾がぶつかったかのような衝撃だ。彼女の細身のどこにそんな力が秘められているのか、不思議でならない。
突然の接近と攻撃を受けたロータローは、防御も回避もできないまま吹っ飛んでいった。
「は? え? どゆこと?」
狼狽えるメェケンだったが、そんな彼女も次の瞬間には腹部にフラスコの蹴りが突き刺さり、吹き飛ばされる。
同じような吹き飛び方をしたふたりだが、飛んでいった方向は真逆だった。もちろん、それが偶然ということはないだろう。
「不死身の半吸血鬼と『肉体破壊』の寵愛持ち。ふたり揃って人間のように支え合えば、無限回使える肉体爆弾の完成ってわけね」
倒れ伏すロータローに向かって歩きながら、フラスコは語る。
「下手な化学反応より恐ろしい組み合わせだわ。だけど、こうしてお互いがくっつかないようにすれば、それだけで完封できるわよね? ……ああ、もちろん肉体爆弾という応用法が封じられても、『肉体破壊』の寵愛は人間に劣らず恐ろしいけど、それだってああやって対策をすれば捕縛することが可能よ」
痛みで歪む視界でフラスコの背後を見る。『理解室』が倒れているメェケンを囲んでいた。彼らの服装は先ほどまでの白衣とは異なり、防護服で全身を覆っている。肌の露出を完全に抑えているそれが相手では、『対象の肉体に触れる』ことが発動の条件である『肉体破壊』の寵愛は何の役にも立たないだろう。
こうして、一瞬と言える時間の内に、ロータローたちの『肉体爆弾で脅迫する』という作戦は完全に破綻してしまったのである。
「ま、さか……これを狙って船を揺らしたのかよ……」
「いえ、そっちは人類の誕生と同じく全くの偶然ね。まあ、仮にさっきの揺れがなくとも、あなたたちふたりを離す算段なんて、ざっと百二十八は考えていたけれど……操縦席で何かあったのかしら?」
もしかして乗り込んできた『シットローズ号』の連中が操縦席を乗っ取ったのではないか、とフラスコの脳裏に嫌な考えが浮かぶが、彼女はそれを振り払うように頭を振った。
「ザナドゥさんとスカルペルが対処に向かっている以上、上の騒ぎはすぐに収まるでしょう。私は私がやるべき仕事をさせて貰うわ。……あなたたち!」
フラスコはメェケンの対処にあたっている防護服集団の方を振り向いた。左手で手刀を作り、自分の右肩をトントンと叩く。
「落としなさい」
指示を受けた防護服たちは頷くと、長大な刃物を取り出した。
「ひぇっ」
肉どころか骨すら両断できそうなくらい重く鋭い刃物を目にし、メェケンは息を呑む。
「や、やめようよ? ねっ? 腕を切り落とすのって大変でしょ? でしょでしょ? 私も昔やったことがあるから、その苦労はよぉ〜く分かるよ。そんなことしなくてもさア、もう脱走なんてしないから。シナイシナイ! だから、ねっ? あ、うわ、やめ、やめろ、ちょ、それ以上近づくなああああああああああああッ!」
涙目で懇願するが、彼女を円形に囲む『理解室』はじりじりとその輪を小さくしていった。
「さて」 フラスコの一言で、ロータローの視線は手前へと戻される。 「躰天使の契約者の方はあれで大丈夫として、あなたはどうしようかしら」
その時になってロータローはようやく気が付いた。フラスコの体が、いつの間にか一回り大きく肥大化していることに。
いや、肥大と言うより膨張か? 全身の筋肉が膨らんでいるのだ。
身に纏ったスーツは膨張に絶えきれず、はち切れそうになっており、マントのように肩に引っかけていた白衣は床に落ちている。顔輪筋を始めとする体各部の筋肉の痙攣は、更に強くなっていた。脚の筋肉なんて、丸太と見分けが付かない太さになっている。こんな筋肉があれば、一瞬の間にロータローとの距離を詰め、メェケンを蹴り飛ばすことだって容易いだろう。
上の階で遭遇した時に比べれば、別人のような筋肉量だ。まさか、エンジンルームに来るまでの僅かな時間に筋力トレーニングをして劇的なバンプアップをした、なんてことではあるまい。
「前から自分の体を改造していただけよ。特定の薬品を投与すれば、ほんの一、二分で全身の筋肉が増強するような改造をね。この姿になると着ている服がダメになるから、あまりやりたくなかったのだけど」
「自分の体にまでメスを通すなんて……とことんイカれているよ、お前ら」
「自分の体すら弄くらずに他人の体を弄くる方が、人間のようにイカれていると思うのだけど? それに、ザナドゥさんに比べれば私なんてまだまだよ」
「ザナドゥ? あいつも自分の体を改造しているのか?」
そういえば、とロータローは思い出す。ザナドゥが自分を『シットローズ号』から誘拐するときに、腕をタコ足じみた触手に変化させていたことを。『フールブック号』に連れてこられてからというもの色んなことがあったので、今の今まですっかり忘れていたが、アレは結構謎の多い現象なのでは無いのだろうか?
と、ロータローが考えていると、フラスコは今し方自分が言ったことが失言だったことに気付いたらしく、咳払いをひとつすると、
「これ以上話すことはないわ。今から私があなたにするのは、確実な捕縛だけよ」
会話を強制的に打ち切ると、フラスコは指の関節をゴキリと鳴らした。
相手の武器は単純な力。ついでに言えば、先ほど投擲してきた薬品だってまだ持っているだろう。
それに対して、こちらの武器の何と貧弱なことか。隻腕の寵愛持ちを奪われ、手元に残ったのは大仏みたいな構造をしている銃のレプリカだけ。仮にフラスコにこの銃が偽物だと見抜かれないとしても、筋肉の鎧を身に纏った彼女に小銃の弾丸程度が脅威になるとは思えない。
──くそっ! あの時、船が揺れなければ……! いや、フラスコの言葉を信じるなら、アレがなくても、どっちみち俺たちはここで捕まってたんだよな……いや、それにしても急に揺れることはないだろ!
いったいどこのどいつがあんな最悪のタイミングで船を動かしてくれやがったんだ、と心中で毒を吐くロータロー。
そうしている間に、彼とフラスコの距離はどんどんと縮まっていき。
部屋に響くメェケンの悲鳴はだんだんと大きくなっていき。
そして。
もうダメだ、と思った瞬間。
『ハネモギ』を握っていない方の手に、何かが握られていた。
それはさっきまで無かったはずの物体である。本日二度目の『物質創造』だ。意識して発動したわけではない。きっと、どうしようもないピンチに反応した体が、無意識のうちに創造していたのだろう。
握られていたのは、剣だった。




