59「対峙する理想郷」
『潜り沈むスカイマントル号』から放たれた魚雷が命中したレンズは、爆発の衝撃で意識を失ってはいたものの、一命を取り留めていた。
ゼロ距離で爆撃を浴びたその体は、見るも無惨な状態になっている。クラーケンのハーフとして体が並外れて頑丈ではなかったら、今頃は細かな肉片と化して海中を漂い、小魚の餌になっていただろう。赤色の髪は至る箇所が黒く焼け焦げており、少女特有の若々しさがあったはずの肌はあちこちが火傷を負っていた。眼鏡が無事なはずもなく、着ている白衣はボロ布と見分けが付かないくらいに穴だらけになっている。
白衣、それは『理解室』、ひいては研究者という人種におけるユニフォームのようなものだが、彼女にとってはそれ以上の、『親代わりのザナドゥが自分に与えてくれた贈り物』という意味もあった。
「あああああああああぁぁぁ! ザナドゥさんから貰った服があ!? 毎日綺麗に洗っていたのに!」
大事なものが壊されたことで心中にかつてないほどの怒りを燃やしているレンズは、現在『フールブック号』へと向かっている。クラーケンとしての遊泳能力を駆使すれば、気絶していた間に開いていた彼我の距離をほんの僅かな時間で詰めるのは容易いことだった。
彼女は『シットローズ号』の船員たちは自分が気絶している間に『フールブック号』への進入を果たしたのだろうと推測した。実際、ハッチの部分を見てみると、つい先ほど見かけた小型の潜水艦がドッキングしている。今頃、船内では『シットローズ号』の連中が暴れているのだろう。無論、ザナドゥたちがいるので、無抵抗のまま一方的にやられるなんてことはないはずだが、それにしても中の様子が心配である。
探知役としての使命を果たせなかった以上、早く船に戻って名誉挽回しなくては……そう考えながら、レンズは上から回り込むように『フールブック号』へと近づいた。
「おのれ『シットローズ号』の連中め……わたくしが追いついた暁にはお前ら全員ブチ殺してやる。叩いてぶつけて殴って潰して圧して砕いて壊してころしぶえっ!」
レンズが決め台詞っぽい言葉の途中で空気が抜けている風船みたいな声を出したのは、別に舌を噛んだとか、気管に水が入ったとかが原因ではない。
『フールブック号』がいきなり浮上したのだ。この船で生まれ、この船で育った彼女といえども、その動きは予想できていなかったのか、船体と衝突してしまう。
ただでさえ魚雷によってダメージを負っていた体で、更にそんな衝撃を受けたものだから、レンズは再び意識を失った。
どうして『フールブック号』がそのような動きを見せたのかというと、それは操縦席に理由がある。
現在、そこに座っているのは『理解室』の誰かではなく、『シットローズ号』における機械の専門家、機関長だ。彼は素早い手つきでパネルやつまみを操作し、『フールブック号』を手中に収めていた。
戦闘斑と共に船に乗り込んだ機関長は、真っ先に操縦席を占拠していたのである。
『占拠していた』なんていうと、まるで彼が実は戦闘斑に負けないくらいの腕っ節を持っていて、迫り来る『理解室』に千切っては投げ千切っては投げを繰り返していたかのような印象を持つかもしれないが、そうではない。
機関長はサスライと行動を共にし、道中での戦闘は専ら彼女に任せ、自分は操縦席を探すことに専念していたのだ。
初めて足を踏み入れた『フールブック号』において、操縦席の場所なんて分かるはずがないのだが、そこはさすが元機天使と言うべきか。操縦機器の気配を感じ取り、その位置をいとも容易く特定してみせた。
操縦席はちょっとしたひとり部屋くらいの広さをしており、そこには何人かの人間がいた。この部屋の管理を任されている人員だ。彼らは機関長とサスライの姿を認識した瞬間に襲いかかってきたが、ひとつの船の長として高い力量を持つサスライが相手では、何人がかりであろうと歯が立たず、今は意識を失って床に倒れ伏している。
「意外だね」
席の背後に立つサスライが呟いた。
「アンタのことだから、『シットローズ号』に穴を開けられた仕返しにこの潜水艦を爆破するんじゃないかと、少しばかり心配していたんだが」
「そんなことをしたら、全員まとめて海の藻屑になるだけだろ。何の意味もない。仮に爆破するとしても、僕たちが船から出た後でやるべきだ」
冷静に返す機関長。
「それに、ただ破壊して終わりなんて三流のやり方だ。僕は違う。あのバカ共から奪ったこの船を、徹底的に支配し尽くしてやる」
「それはそれで歪んだ復讐のように思えるが……まあ、そのおかげで、『深海のど真ん中』という危険すぎるフィールドから脱することが出来るんだし、良しとするかねえ」
現在の『フールブック号』の進路は上。このまま進み続ければ、あと半時間程度で海上に出られるだろう。
一仕事終えた機関長は、両腕をぐっと上げ、筋肉をほぐした。
「『意外だ』なんて言ったが、僕からすれば今のあんたの方が意外だ」
「おや、どうしてだい」
「あんたにはこの部屋よりも前に、行くべき場所があるだろう?」
同じ潜水艦に乗ってここまで来た機関長とサスライだが、彼らの目的は異なる。
機関長は自分の船を壊した『理解室』への復讐のためだが、サスライの場合はザナドゥとの間にある関係にケリを付けるためだ。
「僕は機械の天使であって縁の天使じゃあないから、あんたとあいつの間にどんな因縁があるかなんて全く知らないし興味もないが、浅い仲ではないんだろ? だったら、いつまでもこんな所にいて大丈夫なのか?」
「あー……それなら大丈夫さ」
手に持つピストルをくるくると回しながらサスライは答えた。
「アイツは随分アタシに、というより『エデンの関係者』に執心しているようだからね。たぶん、そのうち向こうの方から……」
その時、操縦席の扉が開かれた。
そこから当たり前のように顕れたのは、『フールブック号』の船長にして『理解室』の室長、そして伝説の勇者一行の元メンバー、ザナドゥだった。
彼の不健康な顔には相変わらず、旧友との再会を祝福するような微笑みが浮かんでいる。
「おお、シャングリラ。約束の日時が待ちきれずに貴方の方からこの船にやって来てくださるとは……感激ですな」
「この船のあちこちでウチの船員が暴れているのを知った上でそう言ってるのなら、相当イカれてるよ、アンタ」
いや、とサスライは訂正する。
「アンタがイカれてるなんて、とっくに分かっていたことか。……ここに来るまでに見かけたが、なんだいあの牧場みたいな施設は? 幽霊船に乗るアタシが言えたことじゃあないが、随分趣味の悪い船だね。奴隷商でもやるつもりなのかい?」
「とんでもない! 彼らは奴隷ではなく、光り輝く未来へと繋がる大切な宝なのですな! わたくしはただ、生命を増やすことでこの世界を救おうと……」
「黙れ」
サスライはザナドゥに銃口を突きつけた。
「また『世界を救う』かい。バカのひとつ覚えみたいに言いやがって。腹が立つ。それでエデンの真似をしているつもりなのかい?」
「おやおや、相変わらずご理解頂けてないようですな。わたくしと貴方、勇者一行のふたりが揃えば、世界の救済が飛躍的に進むと期待しているのですが……残念ですな」
ザナドゥは肩を落とし、悲しい気持ちになった。
「仕方ありません。でしたら、当初の計画通り、貴方を力尽くで捕らえることとしましょうかな」
「生意気言うんじゃあないよ。アンタがアタシに勝てたことなんて一度もないだろうが」
見下すような台詞を言うサスライだったが、その記憶は遥か昔のものである。それから長い時間が経過した今となっては、彼我の力量差がどうなっているかは分からない。
それに。
ザナドゥが『シットローズ号』からロータローを誘拐する際に見せた、腕が触手になる奇妙な肉体変化。その能力をサスライは知らない。
──アレはなんだ? 二十年の間に何かしらの天使の寵愛でも得たのか?
そんな疑問を抱きながら、サスライは戦いを開始した。




