06「大いなる死」
『彷徨えるシットローズ号』が海上憲兵の船から逃亡してから数日が経った。
「あー、疲れた。サスライの野郎。俺が溺れていた時には働かせる場所がないからって見捨てようとしたくせに、いざ船に乗ったら何かと細かい雑用押し付けやがって……! 『どうせ血を吸われるとき以外は暇なんだろ?』だって? その通りだけどさあ⁉」
「ちゅうちゅう」
「働かされるなんて引きこもりの名折れだぜ。座右の銘の『努力は非効率』が音を立てて崩れていきそうで涙が出ちまう。この船に乗ってる奴って殆どがゾンビやスケルトンだろ? あいつらの体って死体だし、不衛生だから、掃除には向いてないんだってさ。掃除すればするほど汚れが増えていくらしい。そこでこのスーパークリーナーロータロー様の出番ってわけよ! ……まあ、途中で俺を嗅ぎつけて現れたクサリに追い回されて、結局全部台無しになったんだけどさ」
「ちゅうちゅう」
「そういえばサスライで思い出したんだけどさ、この前あいつから出身を聞かれた時に『大陸の東に位置する小さな島国』って答えたら、なんかすげえ笑われたんだよな。もしかして俺が知らないだけで、何かのジョークになってたのか?」
「ふぁー? ふぁふぁふぁー、ふぉー、うふぉー⁉」
「ちょっ、やめろやめろ! 吸いながら喋るなって! 痛いし、なに言ってるのか分かんねえし!」
流石に二度目ともなれば、血を吸われながら話をする程度には慣れてきたが、それでも傷口の中で牙が擦れる感覚には、未だに慣れないロータローだった。
悶絶の声を上げることで、ようやくキロリッターは首筋から口を放す。彼女の表情は驚愕に染まっていた。なんだか、あり得ない話を聞いたみたいな反応だ。
「アンタ、それマジで言ってんの?」
「はあ? ま、マジだけど……」
言っている意味をイマイチ理解できてないロータローに対し、キロリッターはロータローの首筋にある、まだ塞がっていない傷口に舌を這わせた。暫くの間、舐め取った血を口の中で遊ばせていたかと思うと、驚いたように目を丸める。
「これは……嘘をついてない味だわ」
「血の味でそんなことが分かるのかよ⁉」
「フン。私を誰だと思ってるの? 血を吸い続けてゥン百年のキングオブノーライフキングことキロリッター・トングラム・センチメンタルよ。ちょっと血を舐めればその人の簡単な健康状態や簡単な思考、果ては発言の虚実くらい一目瞭然ならぬ一口瞭然なんだから」
「すげえ!」
「ちなみにロータローが血を吸われている最中に『金も払わずに美少女とこの距離で触れ合えるのってかなり役得だなあ、グヘヘ』と興奮していたことも全部筒抜けよ」
「そんなこと思っ! ……て、ない、ぞ?」
きっぱりと否定できないのが、思春期男子の辛いところであった。
「というわけで、ロータローが嘘をついてないことは分かったんだけど……うーん」
キロリッターは顎に手を添えると、まずロータローに呆れたような視線を向け、次に思い悩むような顔で見つめ、最後に憐みの籠った目を送った。
「まあ、アンタの年齢を鑑みれば、仕方のない話なのかもしれないわね。そうだとしても、この世界に生きていて『大いなる死』を知らないなんて、信じがたい話だけど。かなり田舎の生まれで、ロクな教育を受けてなかったのかしら? そういえば字も読めないようだし」
「ぐっ……」
ロータローがこの世界の常識らしきものを知らないのはたしかだし、異世界文字を読めないのも事実なので、なにも言い返せない。それに、『ロクな教育を受けてない』という指摘も、自ら教育を受ける機会を投げ捨ててニートになったロータローにとっては、あながち間違った指摘とは言い難いし。
キロリッターはオホンと咳ばらいをし、「血液提供の報酬代わりに教えてあげるわ」と話を続けた。
「『大陸』なんてないのよ。いえ、正確には『昔はあったけど、今はない』と言った方がいいかしら」
それから続いたキロリッターの話を纏めると、以下の通りだ。
かつて、魔王を名乗る存在により、この世界は恐怖に陥れられていた。
人里を襲う軍勢。魔王の気まぐれひとつで齎される災厄。容易く奪われる命。
世界が滅ぶまであと僅かかと思われたある日、救世主が現れた。
その男の名はエデンといった。伝承においては剣に優れ、天使の寵愛を受けた勇者とされている。
エデンは旅の途中で多くの戦士を仲間に引き入れ、ついに魔王軍の本拠地に突撃した。
両者の戦いは熾烈を極めたが、最終的に勝ったのは勇者一行だった。
「この勝利が今から二十年前のことね。そして、世界から大陸がなくなったの」
「どうしてそうなるんだよ⁉ 勝ったのは勇者なんだろ?」
「魔王は最後の悪足掻きとして、世界にある陸地の殆どを道連れにして、地の底の冥界に消えたのよ」
「なんて傍迷惑な奴なんだ……」
「ええ、ほんとにね。おかげで地上は大混乱。次々と冥界に落ちていく大地や蠢く島々、それに巻き込まれる生き物たち。それまで魔王軍が齎してきた被害すべてを余裕で上回るくらいには酷い事件だったわ」
キロリッターはそう言うと、体をぶるりと震わせた。見た目に寄らず長生きしている彼女にとっては、二十年前に起きた災害でも、つい昨日のことのように記憶に刻まれているのだろう。
それにしても、大地の殆どが崩落したとは……ロータローがかつていた地球でも聞いたことのない大災害である。
「こうして後に残ったのは、更に広くなった海と小さな島々だけ。それまで使われていた世界地図は、一夜にして役に立たなくなったわ。これら一連の出来事こそが、通称『大いなる死』よ」
「なるほどな。色んな意味でスケールのデカい死だぜ」
どうりで『大陸』と口にしたら笑われたわけだ。この話を知った後で考えてみれば、世間知らずが過ぎる発言だったのだから。ロータローは自分が笑われた理由について、今更ながらに納得した。
そしてもうひとつ納得したことがある。
それはキロリッターの旅。
故郷の場所すら分かっていない里帰りなんて方向音痴ってレベルではないと思っていたが、『大いなる死』の話を聞いた限り、どうやら原因はそうではないらしい。
大方、何かの用事で故郷を離れている際に『大いなる死』が発生し、そのまま離れ離れになってしまったのだろう。
いや、どこかで故郷が小さな島として残っているなら、まだいいところだ。
もしかしたらキロリッターの故郷は『大いなる死』に巻き込まれて、とっくに消滅しているのかも……なんて。
そんな予想が野暮なことくらい、コミュ障のロータローでもわかっていることなので、わざわざ口に出して言わない。
それに、この推測は『大いなる死』を伝聞の形で知ったロータローですら、すぐに思い至ったのだ、当の本人であるキロリッターなら、とっくの昔に考えているだろう。
彼女はその上で、里帰りの旅に出たのだ。
「信じらんねえ……」
ゴールが何処かも分からない。そもそも存在するかも怪しい旅。
まさに彷徨だ。
並の精神力では耐えられないだろう。
「なに? どうしたの、目をパチクリさせちゃって。新たな知識を授けてくれた私の姿にありがたみを感じたのかしら? まったくロータローってば、私に借りばかり作っちゃっているわね。次からは感謝の表れとして、血をもっと増量させておきなさい!」
「…………」
ロータローの心情を露知らず、キロリッターは偉そうに鼻を鳴らした。
こうして夜は更けていく。
上陸の時は、あともう少し。




