07「最初の島」
翌朝。
『彷徨えるシットローズ号』が進む先にある水平線から、島が現れた。
小さな島である。
港の傍には町が形成されており、その中央には一際大きくて白い建物があった。
「おや……あれは海上憲兵の基地じゃないか。前にこの島に来た時は無かったはずなんだが……アトランティスの野郎は順調に勢力を広げているようだねえ、クソッタレが」
船首付近に立って双眼鏡を目に当てていたサスライは、苛立たし気に吐き捨てた。
肩に掛けたコートをはためかせながら、サスライは振り返る。彼女の背後には『彷徨えるシットローズ号』の船員たちが集まっていた。
その中にはロータローの姿もある。
別に招集されたわけではないが、手持ち無沙汰なのでブラついていたら、いつの間にか集合する船員たちの中に混ざっていたのだ。人の流れとは恐ろしい。
「この前も言った通り、この上陸の主な目的は買い出しだ。とはいえ、それ以外は何もしないってわけじゃあない」
サスライは島に着いてからの予定を話した。彼女の声には威厳があり、またよく通った。きっとロータローが船尾に居ても聞こえていたんじゃないかと思わされるくらいである。それはサスライのリーダーとしての資質の表れだった。
島に上陸してからの予定と言っても、船員たちに飛ばされる指示は船体の点検や修理、船の護衛と言った仕事ばかりだ。そのいずれも、船の重要な仕事を任されていないロータローには関係のない仕事である。
自分に回されてくる仕事があるなら精々床拭きとかだろうな、とロータローが予想していると、サスライから声が飛んできた。
「で、ロータロー。アンタは買い出し班に付いていきな。荷物持ちくらいならできるだろ?」
「オーケー。荷物持ちね。んじゃ、早速上陸の準備を始めるか……って、え⁉」
うっかりそのまま流しそうになったロータローはぎょっとした勢いで、それまでボーとしていた顔を起こした。サスライの半顔と視線が衝突する。
「おいおいサスライ。キャプテン・サスライや。俺を買い出しに付いていかせるなんて、指示を間違ってないか? それってつまり、俺の下船を許すってことだぜ? その隙をついて逃げるかもしれないぞ?」
「逃げようと思ってる奴はわざわざそんなこと言わないし、アンタにそんな度胸は無いだろ」
「いーや、それはどうかな。なにせ俺は、あらゆる物事から逃げに逃げ続けて引きこもりになった、逃亡のスペシャリストなんだぜ? 一度上陸を許しちまえば、ルパン・ザ・サードも真っ青な逃走劇を繰り広げること間違いなしだ」
「ルパンだか乾パンだか知らないが、ウダウダうっさい男だねえ。あんな小さな島でアタシたちから逃げた所で、その後どうするって言うんだい。あの島がアンタの故郷ってワケじゃあるまいし、アンタみたいな一文無しじゃ、島の南にある密林でモンスターに怯えながら野宿することくらいしかできないよ」
淡々と言うサスライ。この年になって正論で説教をされるというのは、引きこもりとして甘やかされていたロータローにとってかなりキツいものだった。
それに正直な話、ロータローは困惑していたのだ。いくら逃げ出さないであろう理由があるからって、サスライがロータローに船から降りる機会を与えてくれたことに。
その事実がちょっと嬉しく、むず痒くて、さっきはついあんなことを言ってしまったのである。
──ひょっとして、これまでの雑用の積み重ねで、結構信頼されているのかもしれないな。
ロータローが不覚にも感動していると、彼の肩に手が置かれた。
振り返ると、周囲に四人のアンデッドがいた。ここ数日でロータローはアンデッドのショッキングな外見にもうだいぶ慣れてきたので、不意打ち気味に顔を見たって、アホみたいな悲鳴を上げることはない。
ゾンビの大柄な男、眼帯の骸骨、体のあちこちに包帯を巻きつけている女、頭がぱっくりと割れている女、という構成だ。ロータローの肩に手を置いていた大柄なゾンビの男が、厳つい顔をグイと近づける。
「よお、新入り。あんな堂々と逃走計画を話すなんて、いい度胸してるじゃねえか」
「けど諦めた方がいいよ? キャプテンが言った通り、こんな辺鄙な島で逃げた所で、先は無いだろうし。どうせ逃げるなら『バルーナ』でやりな。まあ、この自由気ままな幽霊船があの聖地に寄ることがあるかは分からないけど」眼帯の骸骨が上品な声で助言した。
「なに逃走のアドバイスしてるの⁉ やめてよね。もしこの子が万が一にも逃げたら、ワタシたちの責任になりかねないんだし。キャプテンに叱られちゃう」包帯女が怯えた声で言う。どうやら、彼らは島でロータローが一緒に買い出しに出かけることになるメンバーらしい。
「いや、キャプテンに叱られるのはまだいいでしょ。そういうのは船上生活で慣れっこじゃん? キロリッターの姉さんから叱られる場合を考えなよ」頭がぱっくりと割れた女が、冷たい声で割り込んだ。
「……考えたくもねえ」
「……そうだね」
「……考えるだけで心臓が止まりそう。あっ、ワタシの心臓はとっくに止まってるけど」
ゾンビは元々青かった顔を更に青ざめさせ、骸骨は体を震わせた。包帯女は体を縮こまらせている。
『姉さん』呼びされていることと言い、どうやらキロリッターは船員たちから一目置かれているというか、恐れられているようだ。あんな可愛らしくも憎たらしい吸血鬼に、血を吸われることがないアンデッドが何を恐れているのだろう、と思うロータローだった。
「それにしても、こんなひょろひょろした人間に荷物持ちを任せるなんて、キャプテンも中々エゲつないことするぜ」
大柄な男がポツリと呟く。
その瞬間、ロータローは気が付いた。『彷徨えるシットローズ号』という大所帯を支えるための買い出しで持たされる荷物は、普通の買い物とは比較にならないであろうことに。
そんな重量を持たされる重労働に、ロータローは耐えられるのだろうか?
「アンデッドが人の町にいると、何かと面倒事が起きやすいからな。こういう買い出しには、いつも少数で向かっていたんだ」
「そういうわけだから、純粋な人間である君が手伝ってくれるというのは、実にありがたい話だね。ビシバシ手伝ってもらうよ」
「アンデッドのワタシたちでも死にそうになるくらいキツい仕事だけど、頑張って!」
「おーっと! そういや昨晩キロリッターに血を呑まれた所為で貧血気味だったわ! 立って歩くことすらままならねえ! こりゃ買い出しに付いて行くなんて無理だな、うん! 大人しく船で待機しておくことにするぜ!」
「なに言ってんの。首の吸血痕はとっくに塞がってるし、血を吸われてから大分時間が経ってるはずでしょ」
「わー! 待って、待ってくれ! いーやー! 引―きこーもるー! クッソ! サスライめ! ちょっと感動した俺がバカだったー!」
晴れ渡る空の下。
ロータローの涙の叫びが木霊した。




