05「彷徨えるシットローズ号」
ロータローが甲板に出ると、潮風に出迎えられた。
周囲をぐるりと見渡せば、青い空と海が果てしなく続くばかりである。なんという絶景だろう。水中で溺れずにこうして船上に立った状態で見れば、海もそんなに悪くない。むしろ良い。ロータローは海に対する評価を上方修正した。
こんな景色を眺めていれば、異世界転移から僅かな間で何度も傷ついた心が癒されそうだ。
未だに痛みが残る首に片手を添えながら、もう片方の手で手すりに寄り掛かる。
風が肌を撫でる感触は涼しくて心地よい。頭が冷やされたロータローは、冷静な思考を取り戻しつつあった。
「……それにしても」
成り行きで文字通りお荷物な異世界生活が始まってしまい、先ほどはそれを受け入れるしかなかったロータローだが、心の底から納得しているというわけではない。
そりゃ、理由はともあれ自分を拾ってくれたキロリッターに感謝の気持ちがないと言えば嘘になるし、何かしらの形で恩返しをすべきなのだろうが、それでもいつかはちゃんと人間の町で暮らしたいものである。
最初に出会ったこの船が例外なだけで、陸地では普通に人間が生活を営む町が沢山あるのだろうし。
先ほどの船員の話を信じるなら、この船はあともう数日で陸地に着くようだ。そこで隙を見つけて逃げ出すことでも出来れば……いや、待てよ。
戸籍も身分も荷物も何もないロータローが人里に下りて、はたしてまともに暮らせるのだろうか?
…………。
たぶん、無理なのではないだろうか。
なにせロータローは、元の世界ですらまともな生活を送れていたとは言い難い引きこもりである。
おまけに、先ほどのキロリッターの部屋に掛けられていたプレートを思い返す限り、この世界ではロータローが知らない文字が使われているのだ。この世界の識字率がどの程度かは知らないが、ロータローの年齢で『文字を読む』という基礎教養が欠けているのは、かなり致命的と言えよう。
「ったく、どこの誰かは知らないけどよ。人を異世界に召喚するなら、異世界語を喋られるだけじゃなくて読めるようにもしといてくれよな」
ぼやくロータローだが、その言葉は誰にも届かないし、返事も来ない。眼下から船体にぶつかった小波の音が聞こえてくるだけだった。
「もしこのまま人間社会に溶け込もうとするなら、知識が関係しない肉体労働で日銭を稼ぐしかないってことか? ……雇用されるなら、まだいい話だ。何せここは異世界。俺がいた地球では違法になっていた奴隷制が残っている可能性だって十分にある。もしそうなら身元不明の若い男なんて、格好の餌食になっちまうぜ」
「なーにブツブツ言ってんだい」
「どぅわおっ⁉」
突然後ろから話しかけられたロータローは、驚きながら振り返った。
そこには顔の半分が腐り落ちた、見覚えのある女がいた。
心臓に悪い登場の仕方と心臓に悪い顔だ。あと、こうしてちゃんと立った状態で向かい合うと、向こうの身長が遥かに高いので、威圧感が凄い。
「なんだ、アンタか。ええと……たしかキロリッターがサスライと呼んでたっけ」
「ああ、そうだよ。アタシはキャプテン・サスライ。船員たちにはキャプテンと呼ばせているが……アンタの立場は微妙だからねえ。まあ、好きな方で呼ぶがいいさ」
サスライ。
流離い。
偽名を疑いたくなる安直なネーミングだ。
怒られそうだから、口に出して言わないけど。
代わりに、自分の名前を告げるロータローだった。
「サトー・ロータローね。妙な名前だ。生まれはどこだい?」
「あんたに名前の妙さを指摘されたくねえな……大陸の東に位置する小さな島国だよ」
異世界モノでよくある回答を言うロータロー。テンプレに倣った方がやりやすいだろうという目論見があったが、それ以上に一度はこういうラノベやアニメで見たことがあるやりとりをしてみたかったという欲求もあった。
ロータローの答えを聞いたサスライは原型が残っている方を破顔させ、「ぷっ」と吹き出した。
「はっはっはっは! 『大陸』とは、ずいぶん洒落の利いたことを言ってくれるじゃないか!」
「は?」
どうして自分が笑われているのか理解できない。この世界ではロータローが知らないジョークでも流行しているのだろうか?
サスライはひとしきり笑ってから落ち着きを取り戻すと、ロータローの首を指差した。そこには、キロリッターの牙の痕であるふたつの赤い点が痛々しく残っている。
「その様子だと、もうとっくにキロリッターに会いに行ったようだね」
「お、おう。あまりに衝撃的な出会いすぎて、死ぬかと思ったぜ」
「おや、歯形がもうひとつあるね……ははあ、なるほど。こりゃクサリにも噛まれたんだな。船に乗った初日でアイツに会うとは、アンタってトコトン運がないんだねえ」
「あれ? そういえば今更気になってきたんだけど、アンデッドって噛まれて移ったりしないよな?」
「んなわけないだろ。病気じゃあるまいし」
そういうのはゲームや漫画の中だけの話なようだ。
「そういうわけで、アンタはキロリッターの食事として拾われたんだ。まあ、精々頑張るこったね」
「なんだか今日は全然励まされない励ましを言われまくってる気がする……」
項垂れるロータロー。
気分を切り返るべく、他の話をすることにした。どうせキロリッターとの件は、今の段階でアレコレ話しても意味がなさそうだし。
「この船って見たところ、アンデッドだらけの幽霊船だけどさ。ひとつなぎの大秘宝的なのを追い求めての冒険だとか、偉大なる航路的なものの踏破だとか、何かそういう目的があって航海してるのか?」
「この船に目的なんてないよ」
「え、ないの⁉」
「フラフラと彷徨うばかりだね。たまに買い物や荷運びの依頼で島に向かったり、偶々島に漂着したりすることはあるけども、基本的には自由なんだよ。時に海賊、時に運び屋、時に船乗り、そしていつだって幽霊船! それがアタシたち『彷徨えるシットローズ号』なのさ」
「目的もなく彷徨うだけの船、ねえ……」
場所も分からない里帰りの途中であるキロリッターが乗っているのも納得だ。
そんな船に、自堕落で目的もない生活を送っていたロータローが拾われたというのは、なんだか運命的である。
ロータローがそんな親近感を一方的に感じていると、「キャプテーン!」と船の頂上付近から声がした。
見上げてみると、双眼鏡を手に持った骸骨がいる。「目が無い骨なのに双眼鏡が使えるのかよ」と突っ込みそうになったロータローだが、骸骨の声から察するに、何やらそういう突っ込みの暇を与えないくらいにただならぬ事態が発生しているようだ。
「七時の方角に海上憲兵だ!」
「なんだって? アトランティスの犬どもが……こちとら、今日のトラブルはさっきので十分だってのに!」
サスライはそう言うと、懐から双眼鏡を取り出し、海の一方向を見た。つられてロータローもそちらに目を向けると、水平線付近に何かが見える。双眼鏡を持っていないロータローではその全貌ははっきりとは分からないが、どうやら海上憲兵とやらの船のようだ。
海上憲兵。
名前からして、海の警察的な役割の組織だろうか。どうやらこの異世界にもある程度の秩序はあるらしい。
いかにもアウトローっぽい『彷徨えるシットローズ号』にとってはなるべく会いたくない相手なのだろう。先ほどのサスライの「時に海賊」というセリフが事実なのなら、追われる理由も十分にありそうだし。
「キャプテン、どうします?」船員のひとりが指示を請う。
「ここでアイツらを潰したところで、他の海上憲兵が虫のように湧いてくるのは分かり切っているからねえ。それに、次の島まであともう少しだ……野郎ども! ここは逃げるよ!」
サスライが号令をかけると、船のアチコチから呼応するように声が上がった。
一瞬、「もしここで船から逃げて海上憲兵に拾われたら助かるのだろうか」という考えがロータローの脳裏を過る。しかし、幽霊船に乗っていた身元不明の若者なんていう怪しすぎる存在を秩序側の組織が見逃すとは思えない。ロータローは泣く泣く「ここで海上憲兵に助けを求める」という手を諦めた。
そういうわけで『彷徨えるシットローズ号』は全速力でその場を去って行ったのであった。




