57「沈む意識」
「なんだあいつら! 臆病者のヘルはともかく、他の奴らまでどこかに消えやがって! まったく、情けねえ奴らだなあ! そう思わねえか? そう思うだろ? そうだな、リル!」
「ヘルちゃんと違って、他のひとたちはそれぞれ目的があって行動しているんすよ、ヨルさん! マリィちゃんはクサリちゃんが突入直後にどこか……たぶんロータローくんのところに向かって走って行ったんで、それを追いかけて、機関長くんとキャプテンはそれぞれ捜し物に行ったっすよ! ヘルちゃんは知らないっす!」
「やれやれ、どいつもこいつもキョーチョーセーってのが無くて困ったもんだぜ!」
「『協調性がない』って……たぶんそれ、『シットローズ号』のみんなに『ヨルさんに一番言われたくない台詞』でアンケートを取ったら堂々の一位に輝く台詞だと思うっすよ」
緊張感のない会話をしているリルとヨルだが、その戦いぶりはさながら暴風雨のようだ。
『理解室』の武装集団は四方八方から襲い来る。しかし、彼らふたりにとってその程度の数は脅威となり得ないらしく、徒手空拳でもって処理していた。
リルの獣人としての身体能力にゾンビのブレーキが壊れたパワーが乗っかった戦い方は卓越しているが、ヨルの戦い方はそれ以上のものだった。
幽霊の霊体には銃弾も刃物も意味が無い。しかし一方で、彼が放つ『ポルターガイスト』のパンチは『理解室』の構成員をボウリングのピンのように軽々と吹き飛ばすのだから、あまりにも一方的な戦いになっていた。
「あんま弱っちい雑魚ばかりだと退屈してくるぜ。ここらでドーンと強い奴が出てこないものかね。この前の超でけえイカみたいな!」
「うへあ。やめてくださいよ。ヨルさんがそういうことを言うと、決まってよくないことが起きるんすから」
ヨルの不吉な妄想を止めようとするリルだったが、遅かった。
感じ取る。こちらへと向けられた殺意を。獣人として野生の感覚が優れている分、彼はそういうものに敏感だった。
白衣を着た中年の男が現れた。
だらしなく伸びきった前髪と無精髭は、頼りない印象を与える。昼行灯という言葉が似合いそうな雰囲気だ。『理解室』において幹部の地位に就いている研究員、スカルペルである。
もっとも、彼の本業が研究室に籠もっての実験ではなく、リルたち戦闘斑と同じ荒事であろうことは、背中に背負っている大ぶりの刀から推測できた。
「お前達が『シットローズ号』の船員か。困るなあ、こんなに派手に暴れられちゃ。あとでする修理や治療のことを考えるだけで、オジサン気が滅入っちゃうよ」
「今のうちからあとのことを考えるなんて、随分余裕じゃねえか。これから儂にぶっ壊される自分の体のことも、少しは心配したらどうだ?」
ヨルは徴発するようなことを言うと、一歩前に出た。
「ヨルさん、ジブンも手伝」
「アイツは儂の獲物だ。お前はそこら辺の雑魚を相手にしてろ」
「……りょーかいっす」
殴り甲斐がありそうな強敵を見つけると独り占めにしようとするのが、ヨルの数多くある悪い癖の内のひとつだった。
ここで無理に共闘しようとすれば、最悪ヨルの拳がこちらに飛んでくる、なんて事態になりかねない。なので大人しく引き下がる。
同時に、リルは安堵していた。なぜなら、彼が感じ取ったスカルペルの実力は、リルひとりではとても適いそうにないほどに高かったからだ。
一方その頃。
「ぎゃああああああっ! 腕がああああああああ!」
二の腕の一部を噛み千切られた研究員が悲鳴を上げる。この場で傷を負っているのは彼だけではない。ある研究員は腹を、ある研究員は肩を、ある研究員は脚に歯形を付けられている。
その下手人は『シットローズ号』の戦闘斑構成員、クサリだ。
グールのような頭を持つ彼女は、すれ違いざまの一瞬で敵の肉を咀嚼している。その口際は、もとい手際はおそろしく早い。しかし、それは逆に言うと、僅かな時間で一口ずつしか食べていないということになる。獲物に一度歯を立てれば骨の髄まで食い尽くすグールの本能に反する行動だ。
どうしてクサリは折角の御馳走を前にじっくりと腰を落ち着けて味合わず、つまみ食い程度に留めるような真似をしているのだろうか?
何故なら、全速力でダッシュしているからだ。
その走り方に迷いは無く、まるで明確な目的地があるかのようである。彼女の後を追っているマリィはそう考えた。
もしかしたら、クサリは早速ロータローの場所を早速探り当てたのかもしれない。
ならば、このまま自由に動かせる方が得策だろう。突入早々姿を消したヘルと同じように見失ってしまう展開は勘弁願いたいが、剣士として高い身体能力を持つマリィなら、走るクサリに距離を離される心配もないはずだ。
「それにしてもこの船は……酷いですね」
通路の左右に並ぶのは人が入った檻ばかり。人体実験でもされたのか、中には下腹部を中心に痛々しい手術痕が見える人もいる。マリィの中にある倫理観に反する光景だ。この船に人質として囚われているロータローもこのような目に遭っているのかと思うと、マリィの胸は痛んだ。
すぐにでも剣を振って鉄格子を断ち、収容されている人々を開放してやりたくなったが、今はそんなことをしている場合では無い。船内が『シットローズ号』と『フールブック号』の戦場と化している現在、一般人の彼らを自由にするのは返って危険だ。
それに彼らは檻に入っているからこそ、『理解室』の研究員達とは違って、クサリの食人衝動から守られているのだ。そう考えるとなんとも皮肉なことだった。
こうして走り続けていると、マリィはクサリがどこに向かっているのかがだんだんと分かってきた。おそらく下の階層だろう。その証拠に前方に階段が見えてきた。
外から見た大きさと、この階の天井の高さから考えて、『フールブック号』が四層に分かれた構造をしているのは確実だ。奪還作戦のメンバーが突撃したのがハッチのある最上階で、現在マリィたちがいるのは上から二番目の階。もしロータローが人質らしく船の奥深くに囚われていたら、階段をあとふたつ通ることになる。
前方にある階段の前には白衣の集団が行く手を阻むように立ち塞がっていた。彼らは銃火器で武装している。しかし、その程度では脅威になり得ないだろう。マリィがそのような算段をした、その時である。
白衣集団と衝突する十歩ほど手前で、クサリが前触れ無く倒れたのは。
「なッ……!」
倒れたままの状態から起き上がろうとしない以上、ただ転んだだけとは思えない。
気絶? 道中であんなに『ご飯』を食べていた以上、空腹で倒れたというわけではないだろう。
とにかく追いついて、安否を確認しなくては……と考えたところで、マリィはあることに気付き、前に進みかけた足を止めた。
気絶しているのはクサリだけではない。彼女の周囲の檻の中にいる実験体たちも同様に眠りこけている。
彼らの意識を奪ったものの正体は催眠性のガスである。かつてザナドゥがメェケンやヒヒオゥに対して使ったものと同じタイプであるそれを、『理解室』は使用したのだ。
スピア国という小国の中で生まれ育ってきたマリィには、そのような化学物質の存在など知っているはずも無い。しかし、クサリと檻の中の人々がその場で眠ったという事実から、『そこに危険な何かが漂っていること』を察した。
「だったら……」
マリィは剣を握る手に力を込め、大きく振りかぶる。
「てえええええええええええええええいっ!」
突風が発生した。
マリィが風の天使の寵愛を受けたわけでなければ、『フールブック号』の空調が故障したわけでもない。
ただ単純にマリィが剣を構えて、振った。たったそれだけの動作で生じた風圧が、突風と化しただけである。無論、ここが海の中の潜水艦であり、あまり大規模な破壊活動が推奨されないことをマリィは承知しており、その上で手加減をしたのだが、それにしても凄まじい。まるで災害のような一撃である。
そんな突風が通り過ぎたことで空気中を漂っていた催眠ガスは吹き飛び、それどころか待ち構えていた『理解室』の面々も凧のように飛んでいった。
トラブルを一瞬で解決したマリィは倒れているクサリを拾い上げると、肩を揺さぶって起こし、下の階へと降りて行った。




