56「落ちる意識」
不死身の吸血鬼の体を躰天使の寵愛で吹き飛ばし、その爆発力でもって壁を破壊するという作戦は上手くいった。
その後ロータローたちは、騒ぎに気付いた『理解室』の白衣集団から逃げていた。こちらの戦力が二人だけなのに対して、向こうの数は膨大だ。とても、半端な吸血鬼と片腕だけの寵愛持ちでは対抗できない。
通路沿いにある檻の中には多くの実験体が収容されていた。そんな彼らから信じられないものを見るような目を向けられながら、ふたりは『フールブック号』の入り組んだ通路を走り回っている。
「やればできるもんだな。全身を一瞬で吹き飛ばすのは、他の死に方に比べればそこまで痛くなかったし、我ながらかなり冴えた作戦だったぜ」
先ほどの脱出劇を振り返るロータロー。得意げな彼に対し、横を走っているメェケンは不満そうな顔をしていた。
「……むう、やっぱり殺せなかった」
「まだ俺を殺すつもりだったのかよ……。何度も言ってるだろ? 俺は吸血鬼だから死なないんだって。何度体を四散させたところで、時間の無駄にしかならねえんだよ」
「クキクゥ~ッ! 悔しいッ!」
ロータローの手には依然として『ハネモギ』が握られている。これがあることでメェケンの手綱をある程度握ることが出来ているのだ。だが、その手綱は蜘蛛の糸のように頼りないものである。次の瞬間には『ハネモギ』がレプリカだとバレるのではないかと思うと、気が気でない。
いっそのこと、ここでメェケンを撒いて単独行動に切り替えようかと思ったが、彼女が自分が助かるためならその辺にいる人間を平気で殺せるクズだったことを思い出し、その案は諦めた。ひとりになったメェケンが『理解室』を吹き飛ばすのならともかく、何の罪もない実験体に手を伸ばしたら最悪である。
メェケンに命令してあの部屋から出た時点で、ロータローには少なくとも『フールブック号』を出るまでの間、彼女の行動に対する責任が生まれてしまったのだ。
「それで、部屋から無事出られたわけだけどさ、こっからどーすんの?」
「そこが問題なんだよなあ。第一の密室を突破できたところで、まだ第二、第三の密室が」
「密室?」
「あー、ええと、『フールブック号』と、それを囲っている海水のことだ。このふたつをなんとかしなきゃ、脱出は無理だろ?」
T字型の曲がり角に差し掛かる。白衣の姿が見えない左へと曲がった。
「というわけで逆に質問するんだが、お前って結構長い間、ザナドゥたちから逃げていたんだろ? だったらなにか、この船から脱走する方法とか考えているのかよ」
「モチのロン!」
胸を張るメェケン。
「こんど島に寄った時に、隙を見て脱出しようかなーって考えていたよん」
名案を披露するかのようにドヤ顔をした。実際それが一番現実的なのかもしれないが、現在進行形で追われており、残り時間が限られているロータローたちにとっては、実行不可能なアイデアだった。
何か他に良い考えはないかと頭を働かせるロータロー。その時、彼は前方に『理解室』の別動隊が待ち構えていることに気が付いた。
流石は同じ目的を持った研究チーム。連携はお手の物らしい。しかも、前方に見える集団の先頭には、一際異彩を放つ人物がいた。
夜空の月のような金髪に、マントのように羽織った白衣、そして黒い手袋。フラスコだ。
「人間と共に御機嫌よう。半吸血鬼と元海上憲兵大佐。よくも私たちの研究船をめちゃくちゃにしてくれたわね」
フラスコの片手にはいつの間にか、数本の注射器があった。指の間に挟む形で持たれているそれらは、中身を何らかの液体で満たしている。
「遊びはここまでよ。これ以上あなた達が暴れるのを見て、他の実験体達が人間と同じくらい不要な希望を持つようになったら、後で色々と面倒だもの」
フラスコは腕を軽く振り、注射器を投擲した。銀色に輝く先端が、弓から放たれた矢のごとき速度で、こちらへと迫ってくる。
拙い、とロータローは考えた。
状況から考えて、注射器の中身が肉体に何の害も与えない生理食塩水なんてことはないだろう。体内に入ればたちまちのうちに行動を不能にする劇薬が入っているに決まっている。なんなら、通路沿いの檻の中にいる実験体たちへの見せしめとして、命に関わる毒が入っていてもおかしくはない。
不死身の肉体を持つロータローなら、そんなものを注入されても激痛でのたうち回るくらいで済むかもしれないが、四肢の回復すら不十分な程度の再生力しか持っていないメェケンだったら、おそらく即死するだろう。
いや、メェケンほどの悪党なら、ここで死なせた方が世のためになるのかもしれないが、だからといって見殺しにするというのは──ロータローはそれ以上考えるよりも前に飛び出していた。
「たぶん、みっともなく倒れると思うから、そしたら下に向かって『さっきのアレ』をしてくれ!」
そんなことを叫んだ直後、ザナドゥによる実験で植え付けられた注射器へのトラウマを振り切り、全ての針を全身で受け止める。
注射器に入っていたのは筋弛緩剤の類いだったのだろうか。力が抜け、糸の切れた操り人形のように倒れるロータロー。受け身なんてマトモに取れなかったので、床に全身を強かに打ち付ける。起き上がろうにも腕が動かない。肉体の操作スイッチが壊れたみたいな感覚だ。
「他人を庇った? 人間らしからぬ行動ね。……『さっきのアレ』?」
フラスコはその台詞の真意を悟ると同時に、二射目の注射器に手を伸ばそうとする。だが、遅かった。
「ふんっ! 死なないのをいいことに、私の寵愛を便利な爆弾のように使っちゃってさア! 腹が立つったらありゃしないよね! まあ、今はこうするしかないから、大人しく従ってやるけど! それに、もしかしたら今回の『肉体破壊』で何か奇跡っぽいことが起きて、オマエを殺せるのかもしれないしぃ?」
俯せに倒れたロータローのうなじに向かって、メェケンはぱあんと右手を叩き付けた。
次の瞬間、先ほど『フールブック号』全体に轟いたものと全く同じ爆音が鳴り響く。ロータロー達を挟んでいた『理解室』の視界は、一瞬にして爆煙で塗りつぶされた。
やがて煙が晴れる。そこにはぽっかりと穴が開いた床があった。
「最下層に落ちたか……! くっ! 人間のように往生際が悪いわね!」
彼女の記憶が正しければ、穴を落ちた先にあるのはエンジンルームだ。『フールブック号』の心臓部である。
フラスコは目の前で起きた大破壊に驚愕している部下達を叱りつけ、下の階へと向かわせる。
「というか、あの半吸血鬼の研究をしていたのはザナドゥさんたちよね? 今どこで何をやっているのかしら。せめてスカルペルはすぐに飛んできなさいよ。こういう時くらいしか役に立たない、人間以下の木偶の坊のくせに!」
苛立ちで眼輪筋をピクピクと痙攣させるフラスコ。
最下層へと降りる直前、彼女は別の場所から慌ててやって来た研究員から、ある報告を受けることになる。
その報告によれば、ロータロー達が実験室から脱出した直後、シャングリラを含む『シットローズ号』の船員たちが『フールブック号』上部のハッチから強引に侵入しており、現在最上階が混乱の最中にあるらしかった。




