52「砂塔蝋太郎」
人と他種族の異種交配の研究をおこなっているザナドゥは、いわば既にそこにあるものを別のものへと作り替えることを主題としているようなものだ。
しかし、未知の部分が多い『混ざり物』、半吸血鬼のロータローが研究対象である今回の実験は、作り替えるよりも前に、そこにあるものの性質や構造を徹底的に調べる必要があった。
とはいえ相手はメスが通ったそばから回復する吸血鬼。手術も実験もロクに進行するはずがない。
だから、まずはその再生力が弱まるまで、殺し続けることにしたのである。
薬物と毒物を投与し、肉体を追い込む。すると拷問の対策なんてこれっぽっちも訓練していないロータローは、あっさりと金切り声を上げた。
悶絶して四肢が暴れそうになるが、拘束具を着用された体では上手くいかない。ガチャガチャという無慈悲な金属音が鳴り響くだけである。それでも無理に動こうとするものだから、拘束具が食い込んで肉が裂けた。
肉体の割れ目から赤い血が溢れる。しかし次の瞬間には元通りになった。ザナドゥは投薬を続行した。
血管の中に極小の針が何本も流し込まれたのではないかと思いそうになるほどの激痛が、ロータローの頭部を締め付ける。ロータローは「ぎいいっ!」と踏まれた虫のような声を漏らしながら歯を食いしばったが、薬で馬鹿になった体では加減が効かなかったのか、それとも痛みで一周回ってハイになったのかは分からないが、力を込めすぎて奥歯が砕けた。そんな傷も、痛覚がめちゃくちゃになっている今となっては些細なことに思えた。実際、砕けた奥歯は一呼吸する内には治ったので、些細な傷だった。
ザナドゥは多様な種類の薬物を揃えていた。そして、それらが齎す効果もまた多種多様であり、ロータローは今まで感じたことがない苦痛をいくつも味わった。
別にザナドゥは他者を痛めつけるのが好きなサディストではない。己の目的の為なら手段を選ばない研究者なだけである。しかし、この場合は彼がただのサディストであってくれた方がよっぽど良かった。
己の欲求の為の拷問なら、それが満たされれば終わるはずだ。しかし、確固とした目的と崇高な信念を持って拷問をしているザナドゥには、それがない。
休憩する間も惜しんで、ロータローという『混ざり物』を調べようとしているのだ。大した研究者根性である。もっとも、それに付き合わされて矢継ぎ早に痛めつけられるロータローにとっては、たまったものではないのだが。
そうやって投薬は何度もおこなわれた。
地球に於いて生まれ付きの重病人が生涯をかけて摂取するよりも更に多い数の注射が、一日足らずの時間で打ち込まれたのである。一日、と言ったが苦痛の最中にあったロータローにとっては、もっと長い時間だったように思えた。
しかし、それほどまでの蹂躙を受けても、ロータローの吸血鬼性は一向に弱体しなかった。時間の流れによる老いや死すら克服する吸血鬼が、薬と毒程度で齎される変化を受け入れるはずがないからだ。
それはまさに、アンデッドの神秘である。死なない体なんて、余人が聞けば羨ましがりそうだ。だが、現在のロータローにとって、それは永劫にも思える苦痛を強制する呪いでしかなかった。
「ンッンゥ〜……思った以上に頑丈ですな。さすが吸血鬼。シャングリラがこの船に乗るまでに、ある程度の調査を終えておきたかったのですが、どうやら難しそうですな」
困ったように片手で頬を掻きながら、もう片方の手で新たな薬物を五本注入するザナドゥ。
すると、心臓が鼓膜のそばに移動したのではないかと思うくらいに、脈動の音が騒がしく聞こえるようになった。ロータローが住んでいた世界においてアドレナリンと呼ばれていた物質と似たような効果である。
そんなものを五本まとめて打ち込まれたのだから、ショック反応を起こした肉体は悲鳴を上げた。
ザナドゥがサスライをシャングリラと呼んでいるのは疑問を抱くべき箇所なのかもしれないが、精神が正気と狂気の狭間で揺れ動いている最中のロータローには、そんなところを気にする余裕はなかった。
「もっと他のアプローチをすべきですかな。ううむ、取り敢えず薬品庫を改めて漁ってみると致しましょうかな」
ザナドゥはスカルペルを引き連れて、部屋を去って行った。室内に静寂が訪れる。
「…………」
靄がかかったように意識がぼんやりとしている中、ロータローは光の無い瞳で天井を見上げる。
もう嫌だ。
耐えられない。
ダメだ。
無理だ。
終わらせてくれ。
そんな諦めの言葉が脳内に湧いて出る。
この世界に来るよりも前に努力を放棄してからというものの、『諦め』はロータローのそばにずっとあった考えだった。
だって努力は無意味だから。そんなものを続けるくらいなら、さっぱりと諦めた方が遥かに生きやすい。
「そうしてダラダラと生き続けた結果が異世界転移で、更にその末に待ってたのがこんな拷問紛いの実験かよ」
自堕落に対する天罰にしては、やや酷すぎないか。こんなものが勤勉さを奨励する教訓として本に載ったら発禁物である。
◆
かつて、ロータローはどこにでもいる普通の少年だった。
普通に遊び、普通に学び、普通に生きて、普通に暮らす。そして、誰もがそうであるように、他人より秀でている部分が、少なくともひとつは存在していた。
彼の場合、それは水泳だった。
最初はクラスで一番だったそれが、やがて学年で一番になり、スイミングスクールに通えば一番になり、中学の水泳部でも当然のように一番になった。
やがて高校に上がり、中学から続けて水泳部に入ると、更に広い世界を知った。そこには自分よりも強い選手がたくさんいた。
強豪たちを相手に競い、時に敗北を味わう。それでも彼は努力を続け、己の実力を高めようとした。そう、当時の彼はそれなりに努力家だったのである。
特にロータローが対抗心を燃やしていたのは、同じ県内の別の高校に通っている向井日向という男だった。
ふたりは公式戦などでぶつかることが度々あったが、負けるのはいつもロータローの方だった。それは仕方のないことだ。何せ、日向は全国区で通用するほどのトップスイマーだったからだ。
それでも諦めない。今の実力で足りないのなら、もっと練習を重ねて追いついてみせる。……そんな思いを抱きながら、ロータローは上を目指して努力した。天上にて輝く太陽に手を伸ばすかのように。
そんなある日、高二の春休みのことである。ロータローの元に日向が事故に遭ったという報せが届いた。
命に別状はなく、脚の骨が折れただけらしい。しかし、歩けるくらいまで回復するには半年、元通り泳げるようになるにはもっと長い時間が要されるので、実質的に彼の高校生活における選手生命はここで終わったようなものだった。
そのことを知ったロータローは大きなショックを受けた。もし自分がそんな目に遭っていたらと思うだけで心が締め付けられるようである。本人である日向はもっと辛いだろう。
どんな言葉を投げかけてやればいいのか、と悩みながら見舞いに向かったロータローだったが、その先で彼は愕然とした。
「たしかに事故は残念だった。
「悔しいよ。
「でも、過ぎたことにいつまでも拘るわけにはいかないからさ。
「もう水泳は諦めて、来年の受験に向けて頑張ることにするよ。
「推薦を取るのが怪我で難しくなった分、勉強を頑張らないといけないからね」
日向がそうあっけらかんと語るのは強がりではない。長い間競い合っていたロータローには、虚勢の有無くらい一目で分かった。彼は本当に水泳をすっぱりと諦めたのだ。
選手としての復帰が絶望的な状況では、それが最も賢い判断だと言えるだろう。
大人の考えだ。
しかし、大人と子どもの境目を彷徨っているロータローには、到底受け入れ難い考えだった。
ロータローの中で、向井日向は『水泳』というジャンルにおいて絶対的な地位に立っていた。そんな存在が不慮の事故でそのジャンルを離れたどころか、諦めの意思を抱いているのである。
そのことを知った時、自分がどんな顔をしていたか、ロータローは思い出せない。
なんというか、必死になって追い求めていたものが、他人にとっては割り切れる程度のものだった気がして。
これから先、別の何かを頑張ったとしても、こんな結末が待っているのかもしれない、という思いが頭を過って。
ぷつり、と。
何かが切れた。
そして見舞いから帰った翌日。
ロータローは水泳部に退部届を提出した。
それから連鎖的に全てがどうでもよくなり、気が付けば引きこもりになり、『努力は無駄』が信条のダメ人間が誕生したのである。
「……って、なんで昔の事を思い出してんだ」
嫌な現実から目を逸らすために無意識の内にやったのかもしれないが、その所為でもっと嫌なことを思い出しては本末転倒だ。
ザナドゥたちはまだ薬品庫から帰って来ていない。
薬を打ち込まれることがなく、ひとりっきりで居られるのは、この部屋においてロータローが唯一安心していられる時間だった。
とはいえザナドゥたちが戻ってくれば、すぐに投薬は再開されるし、拘束具を嵌められている身ではこの場から脱出することも出来ない。なんとも儚い仮初の平穏である。
「嫌なもん思い出しちまったぜ。何が嫌になるって、こうなるに至った全ての原因を『アイツ』に押し付けようとしている俺自身だね。まったく、クズはこれだから」
クズ自称者はやれやれと首を横に振った。
「努力を放棄して全てを諦めた今となっては、以前みたいに何かに手を伸ばすなんてことも無理なのさ。たとえば、目の前にある天井にさえ手を伸ばせねえ……いや、この場合は手足に拘束具を付けられているからなんだけども」
冗談じみた独り言を呟いた瞬間。
真上の天井が破れた。
破壊の原因は老朽化ではない。天井裏に隠れていた何かがそれを突き破って落ちて来たのだ。
落下物はロータローの鳩尾に直撃する。
「ぶえっ!」
肺の中の空気を強制的に吐き出された。
涙で滲んだ視界で腹上に乗る何かの正体を探る。そして次の瞬間、目を丸めて驚愕した。
そこに居たのは銀髪の美しい女だった。
彼女はその美貌に、ロータローと同じような表情を浮かべていた。
「「お、お前は……⁉︎」」
ふたりは全く同時に言った。
「メェケン⁉︎」
「『シットローズ号』の新入り⁉︎」




