51「痛みの中で」
ロータローは誘拐された直後、脱出を試みて騒いでいたが、ハッチを通り、階段を降りたところまで連れて来られると静かになった。
ここまで来たら逃げられないと悟ったから? いいや、違う。
目の前に広がる光景に絶句したからだ。
「なんだよこれ。病院、っていうよりは牧場か?」
「どちらも人間のように間違っているわ。ここは人と他種族の交配の研究所よ」
「フラスコの言う通りですな。わたくし達はここで、減少しつつある生命を増やして世界を救うための研究をしているのですな」
通路に並ぶ檻の中には、多くの人間が収容されている。彼らはタグのついた首輪を付けられており、その顔には絶望が濃く表れていた。新参者であるロータローを目にしても、大したリアクションを見せない。せいぜい、呻くような声を漏らしながら「ああ、また新しい同類がやってきたんだな」と思う程度である。
先の『シットローズ号』との邂逅でザナドゥが語っていた『世界を救うための研究』とやらの正体がこんなものだったと知り、ロータローは多大な衝撃を受けたのである。
こんな人道に反したもので世界を救うだと? 人体を研究するより前に、自分の頭を調べた方がいいんじゃあないか? ……そんなことを思いながら、ロータローはあまりの悍ましさに嘔吐した。清潔に磨かれた艦内の床を吐瀉物が汚す。
見れば見るほど気色が悪い。『シットローズ号』での生活で気味が悪いものには慣れていたつもりだったが、それとは別種の悍ましさが『フールブック号』にはあった。
「おお、君もまたわたくしの理想を拒絶するのですかな? 偉大なる研究だからといって必ず賛同を得られるとは限らないということは重々承知していたはずですが、こうも露骨な反応を見せられると、ショックですな」
「ふざ……っけるな……! このイカれ野郎!」
「それ以上ザナドゥさんを悪く言うな!」
と非難の声を上げたのはレンズだった。黒味の強い赤色をしているタコ足を振りかざして、怒りを露わにしている。
「ザナドゥさんがこんな素晴らしい研究をしたから、わたくしはこの世に生まれることができたんだ! それを否定するなんて絶対に許さない!」
「まーまー、落ち着いてレンズちゃん」
どうどう、と宥めるスカルペル。見た目から推測できる年齢から分かっていたが、『フールブック号』の『理解室』の中で、彼はザナドゥに次いで指導者的な立場にいる人物らしい。なんというか、中間管理職じみた苦労人気質が伺える男だ。
その後、いくつかの通路と階段を通過する。途中で、同行していた白衣の集団の何人かは、実験室じみた部屋や資料室みたいな部屋へと消えていった。どうやら、三日後に『シットローズ号』との再会が待っているという状況でも、彼らには優先すべき研究があるらしい。
最終的にザナドゥがある部屋の前で止まった時まで同行していたのは、スカルペルだけだった。
扉が開かれる。そこにはだだっぴろい空間の中心に手術用のベッドが置かれているという簡素な作りの部屋があった。
「今日からここが君の部屋です」
「え」
と言った瞬間には、ロータローはベッドに叩きつけるように寝かしつけられ、押さえ付けるように固定されていた。
慌てて起き上がろうとする。が、体が動かない。手足に拘束具が巻き付いている。金属製だ。完全な吸血鬼であるキロリッターならともかく、半端者のロータローでは壊せそうにない。
「あれ、ザナドゥさん」 スカルペルは意外そうな顔をした。 「そいつって、シャングリラを誘き寄せる餌なんですよね? せめて三日後までは丁重に扱わなくていいんですか?」
「何を仰いますかな。丁重に扱いますとも」
心外だとばかりに否定する。
「以前会った時から、彼から感じられる『混ざり物』の匂いが気になっていましたからな。この機会に丁重に扱い、丁重に管理し、丁重に調べ尽くしてしまいましょう」
つまるところ、それはロータローで人体実験するという宣言と同義であった。
自分がモルモットにされると聞いて平静でいられるほど、ロータローは強いメンタルをしていない。抗議したかったが、嘔吐した直後であり、拘束されているという状況では、ロクに抵抗することもできない。
視界の外から金属音が聞こえる。拘束された状態では、そちらを見ることが出来ない。視認不能な範囲からする正体不明の音が恐怖心をとても煽ることを、ロータローは今知った。
「本来、この部屋に連れて来られた実験体はその殆どが異種交配に向けた体の調整がおこなわれるのですが、少年の場合は違いますからな。まずは採血すると致しましょうかな。血はあらゆる生命の源ですからな」
とす、とロータローの腕に注射器が刺さった。薬品も毒物も入っていない空っぽのそれは、ピストンが引っ張られるにつれて中を真っ赤な血で満たしていく。
ロータローはキロリッターとの生活でしょっちゅう吸血されているが、相手が不吉の擬人化じみた研究者に変わった途端、その行為の気持ち悪さは何十倍にも跳ね上がった。
血どころか魂まで吸われてしまいそうな感覚だ。
「おや……?」
採血を終え、注射器を抜いたザナドゥは目を見張る。採取した血液に何か注目すべきポイントがあったわけではない。彼が視線を注いでいるのは、注射器ではなく、注射痕だった。否、注射痕がさっきまであった筈の腕だった。
「傷が消えた……? というより、超スピードで再生したのですかな? これはいったい……」
「そういえば、あの船ってアンデッドばかりが乗っている船でしたよね? だったら、普通の人間に見えるこいつも何かしらのアンデッドなんじゃないですか? たとえば吸血鬼……いや、吸血鬼だと、昼間は外に出られないか。じゃあ半吸血鬼とか?」
拙い、と焦るロータロー。
ザナドゥが語る『混ざり物』とやらが自分の半吸血鬼体質を指しているのであろうことは、以前から察しがついていたが、それを明かすわけにはいかなかった。仮に暴露したところで、『なんだ、そういうことか。じゃあ研究はやめにしよう』となるとは思えなかったからだ。
寧ろその逆。
真正の吸血鬼であるキロリッターでさえ驚いた半吸血鬼の体質に嬉々として興味を抱くであろうことが、容易に想像できる。
なのでなるべく隠しておきたかったのだが、体に実験器具が通れば、吸血鬼の再生力が判明するのは当然のことだった。
捕らわれた時点で、全ては時間の問題だったのである。
案の定、ザナドゥは興味津々な態度になり、
「半吸血鬼! それは珍しいですな! 我が『進み行くフールブック号』は多様な種族を取り揃えておりますが、半吸血鬼どころか、吸血鬼さえ一体たりともいませんでしたからな! いやあ、実にいい実験体と巡り会えたものです」
「そいつは良かったですね」 言祝ぐスカルペル。 「しかし、どうするんです? どんな傷でも一瞬で回復するって言うなら、実験中の不慮の事故で実験体を失うことは起きないかもしれませんけど、それは同時に、どんな施術も無意味になるってことですよ? ほら、この前ザナドゥさんが拾ってきた『寵愛』持ちの女みたいな」
「彼女の場合は、シャングリラのおかげで『肉体再生』の力が弱まっていたから、短時間なら体を弄ることが出来ましたが、この少年の場合だと、回復が一瞬で終わりそうですし、たしかに困りものですなあ……ううむ」
腕を組んで悩むザナドゥ。
どうかこのまま何も妙案が浮かばずに実験を中止してくれないか、とロータローは心の底から願う。
しかし次の瞬間、彼は腕に鋭い痛みを感じた。
眼球だけ動かしてそちらに目を向けると、そこには何本もの注射器が突き刺さっていた。先ほどの採血とは違い、それらの中身は最初から何らかの液体で満たされていた。
「乱暴なやり方になりますが、仕方ありませんな」
「なっ、何を刺した……⁉」
「細胞を破壊する薬や、血流を速める薬、あとは劇薬を少々。体に悪い物質のオンパレードですな。今、わたくしの手元にあったのはこれで全部になりますが、薬品庫を探せばまだまだ沢山あるでしょうな」
ザナドゥはそう言って、注射器のピストンをまとめて押した。途端、ロータローの体内に様々な薬品が流れ込んで混じり合い、爆発的な化学反応を引き起こす。
「がっ、ぎぃっ、があああああああああああああああああああああああああ!」
常人ならば即死するであろう投薬を受けたロータローは、あまりの痛みに狂いそうになった。
異世界に来てからというもの、痛みには多少慣れてきたつもりだったが、今感じているものはレベルが違う。まるで、脳の痛覚を司る部位が、節くれ立った指で鷲掴みにされているみたいだ。
全身の細胞が一斉に暴れ出したような感覚に襲われる。噴き出した汗は煮え滾った熱湯のように熱く、心臓は今にも破裂しそうなくらいに暴れていた。
「まずは投薬によって、肉体を実験可能なレベルまで疲弊させましょうかな。なにぶん、吸血鬼を取り扱うのは初めてなので、右も左も分からない実験になりますし、失敗だってするかもしれません。しかし、それでもめげずにやっていきましょうかな」
激痛で朦朧とする意識の向こうで、ザナドゥが語る。
「なにせ、実験とは百の試行錯誤の先にある一の成功を目指すものなのですからな」
ロータローにとって、それは死神の囁きのように聞こえた。




