49「消えた研究船」
「うわー、このイカさん、『息子の仇だ』って言ってるよ! どういうことかな?」
スキュラ少女のレンズが首を傾げながらそう言った瞬間、超巨大イカの触手が振り下ろされた。こんな大質量が衝突すれば、どんなに頑丈な船でもあっという間に粉微塵になってしまうだろう。
しかし、その大きさ故に狙いも大雑把になってしまったのか、幸いながらその触手が『シットローズ号』に直撃することはなく、『シットローズ号』と『フールブック号』の間にある海面を叩くだけの結果に終わった。
とはいえ、それだけでも生み出される衝撃は凄まじい。隕石が落下したような轟音が鳴った後、水飛沫が高く舞い、嵐の海さながらの大波が発生した。それを受けたふたつの船は、吹き飛ぶようにして触手の落下地点から離れていく。つまり両者の距離は大きく開かれることとなった。
「『息子の仇』って……もしかして、このクソでけえイカ、このまえ戦闘班が倒した奴の親なのか⁉」
船員の誰かが叫ぶ。しかし、柵に掴まるのに必死なロータローに、そんなことを気にしている余裕はなかった。
超巨大イカの海面叩きは船がひっくり返ってもおかしくない衝撃である。流水に晒されるイコール死という弱点を持つ吸血鬼のロータローにとって、海に落下する事態だけは何としても避けなくてはならない。
『シットローズ号』だけでなく、『フールブック号』も超巨大イカの登場によって被害を受けているらしい。『理解室』なる白衣集団の内何人かが海に落ちて、レンズに救助されている。これではとても、サスライを勧誘するとか『シットローズ号』に攻撃するとか言っていられる事態ではないだろう。
そう言う意味ではロータローたちは超巨大イカのポップに感謝すべきなのかもしれないが、被害度で言えば『シットローズ号』の方が深刻だった。
ただでさえザナドゥがやって来て、船底に穴が開いたことでてんやわんやの大騒ぎになっているのだというのに、復讐心に駆られた超巨大イカまで登場したのだ。どう考えても同時に処理できる量をオーバーしている。
まずは船体に負ったダメージを何とかしなければ、どうにもならない。このままザナドゥや超巨大イカに対処していて、その間に船が沈んでいては目も当てられないからだ。
ロータローは首だけを振り向かせて、サスライを見た。彼女も他の船員と同様に、船体に掴まっている。
「ど、どうするんだよサスライ!」
「…………仕方ない。あまりやりたくなかったんだけどねえ」
サスライは苦々し気に呟くと、大きく息を吸った。
「おい! キロリッター!」
次に口から吐き出されたのは、奥の船室にいる客人に向けたメッセージだった。
たしかに、至高の吸血鬼を自称する彼女が出て来れば、現在目の前に山積みしている問題を片付けることくらいは出来るだろう。
「アンタだって、このまま船が沈んだら困るだろう? ここは手を貸しな!」
協力の要請だが、それは実質命令みたいな口調だった。
船室から返事の声はない。
船尾まで届きそうなくらいに通った声をしているサスライの言葉が届いていない訳はないはずだが、それをキロリッターが聞いているかは別である。
『そういや今って昼間だし、吸血鬼にとっては活動の範囲外の時間に当たるんじゃね? キロリッターって地震が起きても寝てそうな性格してるし、もしかしたら寝ているのかも』と不安に思うロータロー。
その時だった。
船底の穴に異変が生じたのは。
穴の周辺の空間が引き歪み、そこにあった現実が有耶無耶になる。
ぐちゃぐちゃでごちゃごちゃでめちゃくちゃだ。
時間を経るごとに歪みが強くなっていた空間は、ある程度のピークを迎えると、次は逆に歪みを弱めていった。
そうして異変が完全に治まると、先ほどまであった筈の大穴は完全に消え失せていた。
柵に体全体で掴まっていたロータローは、その一部始終を目にしていた。
「『物質創造』……?」
の応用で穴を塞いだのだろう。目を凝らして見ても痕が分からないくらいに高度な修復だ。キングオブノーライフキングであるキロリッターだからこそ為せる技であった。
これでひとまず沈没の心配はなくなったが、他にも問題は残っている。キロリッターからこれ以上のリアクションはないし、『残りは自分たちでなんとかしなさい』ということなのだろう。やはり吸血鬼である彼女にとって、昼間の活動は極力避けたい物なのだろうか。
「行かせてくださいな!」
『フールブック号』の方からザナドゥの声がした。彼は『シットローズ号』に向かって飛び出そうとしたところをスカルペルに羽交い絞めにされる形で引き留められていた。
「ここで撤退するとは何事ですかな! わたくしが同胞との再会を何十年待っていたか知らないのですかな⁉」
「それは十分知ってますよ。心中お察しします。でもですねえ、あんな怪物がいる場所にこれ以上留まっていたら、俺たち全員海の藻屑になっちまいますよ。仮に生き残れたとしても、研究成果の宝庫である『フールブック号』に被害が及ぶことは避けられません。そうなったら元も子もないでしょう」
「! ぐ、ぐぬぬ……」
予想される被害を提示され、歯がみするザナドゥ。ここから逃げ出したいのは向こうも同じようだ。相手にキロリッターのような『物質創造』の能力者がおらず、また、何よりも大切にしなければならない『研究成果』とやらがあってくれて助かった。
ザナドゥたちがこのままこの場から去ってくれることを、ロータローは祈る。
すると。
「仕方ありませんな」
不意に、謎の浮遊感が彼を襲った。
何か触手のようなものが、体に巻き付いている。
それはレンズのタコ足でなければ、超巨大イカのものでもない。
ザナドゥの腕だ。
さっきまで人間の腕の形を取っていたはずの腕が、触手じみた形態に変化し、ロータローの元まで伸びていたのである。
ザナドゥは触手を縮ませてロータローを『フールブック号』まで引っ張ると、腕を元に戻し、俵のように背負った。
「この野郎……! 離せ!」
「シャングリラ!」
ロータローが放った拳を頭を動かすだけで回避したザナドゥは告げた。
「ここは一旦退かせてもらうましょうかな。とはいえ、全くの手ぶらで帰るというのは、研究者の恥でしょう。この混ざり物の少年を頂いていきますな」
一方的な誘拐宣言を発しながら、ザナドゥはハッチへと戻っていく。既に、他の研究員たちは殆どが艦内に避難していた。
「仲間想いで慈悲深く、優しかった貴方のことです。きっと、この少年を取り返そうとするでしょうな。なので、ここから南南西に三日ほど向かった先で再会しましょう! 海上憲兵の海図によれば、そこに島があるようですからな」
その言葉を最後に、ザナドゥはハッチを閉じる。
『進み行くフールブック号』は潜水を開始し、たちまちの内に海中に消えた。




