46「フールブック号にて」
「ンッンン~、順調に進んでいるようで何よりですな」
ザナドゥは手元にある資料を眺めながら、満足げに呟いた。
「やはり海上憲兵に所属していた人間は頑丈な体をしている分、実験の負荷に耐えられる者が多くて助かりますな」
彼が乗っている潜水艦型の研究船『進み行くフールブック号』は、世界のあちこちから拉致された人間や魔獣が収容され、投薬や手術を経て肉体を改造された後に、異種交配の実験をさせられる業の吹き溜まりのような場所である。
余人がこの風景を見れば、地獄だと思うだろう。しかし、異種交配による生命の増加こそが世界を救う手段だと信じているザナドゥにとって、ここは理想郷へと続く道に他ならない。
実験の下準備を終えた今、あとはその成果が出るのを待つだけである。ザナドゥは期待に胸を膨らませた。
この終わりかけた世界に生まれる生命はどんなものであっても素晴らしく、尊い。自分が苦心して作り上げたモノであれば猶更だ……ザナドゥは前触れなく後ろを向いた。
「おや、スカルペルですかな」
「うへあ、やめてくださいよその振り向き方。首から上だけが回ってるみたいだ」
背後に居たのは白衣を着た男だった。年齢で言えばザナドゥとそう変わらないかもしれないが、顔を飾る無精髭と目元まで伸びた前髪により、実際より老けて見える。これだけならザナドゥに劣らぬほどに貧相な印象が与えられるが、彼の背中の鞘に仕舞われている刀が物騒な印象を付加していた。
『進み行くフールブック号』はザナドゥの研究船だが、そこに所属する研究員は彼ひとりだけではない。
いかに彼が元勇者一行の生物学者だからと言って、船一隻分の生物全ての実験を執り行ったり、管理を行き届かせたりするのは物理的に不可能だ。トップにいる以上、研究材料の調達や上陸した島での最低限のフィールドワークは出来るだけ彼ひとりでおこなっているが、それ以外のことまで含めると、流石に無理が出てくる。なので、部下として働く人員が何人か必要なのだ。
今ザナドゥの目の前にいる、スカルペルと呼ばれた男は、その内のひとりだった。
「相変わらず鋭い勘をしていますね。……いや、鋭いのは嗅覚なんだっけ」
「自分でもよく分かりませんが、魂というか在り方が臭いで分かるのですな。分かるといっても曖昧に感じるだけですし、その匂いが実際の匂いと区別が付かないのが困りものですが」
「なんじゃそりゃ。異種交配より前に、その体質を研究した方がいいんじゃないですか?」
「それで」
ザナドゥは話題を切り替え、本題に切り込んだ。
「何の用でここに? 任せていた実験の成果が出るのは早すぎますな。もしかして先日の脱走者の件……いや、まさか」
「そのまさかですよ。あんたのお目当てのヒトが乗っている船を、レンズちゃんがやっと見つけましたよ」
「素晴らしい! あとで褒めてあげないといけませんな!」
ザナドゥは頬を両手で挟んで喜びを表現した。
「ということはついに、ついに、ついに! シャングリラと再会できるというわけですな!」
「俺はよく知らないんですが、そのシャングリラとやらはあんたにとってよっぽど大切なヒトなんですか?」
「大切なんてものじゃあありませんな! かつて共に魔王と戦った我々は運命共同体と言えましょう! そして、その運命はこの滅びかけた世界においても同じですな!」
力説するザナドゥ。
それだけに留まらず、興奮のあまり体を仰け反らせ、芋虫のように蠢いている。
スカルペルはそれを冷めた目で見ていた。周囲の人間牧場宛らな惨状に対してはそれほどショックを受けず、ザナドゥの奇行に対しては引いているあたり、彼も相当なロクデナシのようだ。
「たぶん、このままならあと二日もしないうちに追いつくんじゃないですかね」
「それは上々。では、貴方がたは戦闘の準備をしておいてくださいな」
「りょーかい……って、はい?」
踵を返してその場を去ろうとしていたスカルペルは、驚いた顔で聞き返した。
「戦闘の準備ってことは……戦うんですか?」
「おや、意外な反応ですな。いつの間にか平和主義者に鞍替えしたのですかな?」
「いや、そりゃあ、チマチマした研究作業よりは、目の前の敵を斬るだけの戦いの方が好きですけど……でも、今回の相手はザナドゥさんの大切なヒト、もとい運命共同体なんでしょう? そんなヒトを相手に戦って大丈夫なんですか?」
「無論、シャングリラを殺すなんてことはあってはなりませんな。というか、いくら貴方でも彼女に敵うはずがありませんな。しかし、船の乗員は彼女以外にも居るでしょう。シャングリラと共に旅を続けられるほどの実力とこの危険な世界でなお航海できるほどの胆力を持った者たちが」
「……へえ、そりゃあ何とも滾る話ですね」
ゆらり、と身を乗り出すスカルペル。それと同時に背負っていた刀が揺れ、金属音を鳴らした。前髪から覗く瞳には、昏い闘志が燃えている。
「もう一度言いますが、シャングリラは絶対に殺してはなりませんな。彼女を失うことは、私の計画を阻害するようなものだと考えてくださいな」
「オーキードーキー。それじゃあ『理解室』のみんなにこのことを伝えてきますよ。ザナドゥさんがそこまで警戒する奴らが相手だと、俺ひとりじゃ荷が重そうですから」
へらへらとした態度で語りながら、スカルペルは今度こそその場を後にした。
ひとりその場に残されたザナドゥは、改めて資料の確認に取り掛かろうとする。
だが、ダメだ。
手が震えている。興奮が一向に収まらない。むしろ、時間が経つたびに増していく。翌日にピクニックを控えている子供みたいな心境だ。
「ははははっ!」
ついには笑い声が出て、握っていた紙束を落としてしまう。
「シャングリラ。かつて仲間だった貴方と一緒なら、この研究は飛躍的に進むでしょうな」
旧友と再会する日を夢想しながら、ザナドゥはそこまでも純粋な笑顔を浮かべるのであった。




