38「燃える吸血鬼」
ヒヒオゥが倒れたことで海上憲兵たちは大慌てしていた。
大佐ですら勝てなかった剣士を相手に、どうすればいいというのか。
混乱の最中に居る彼らは、何もできずにいる。
一方、マリィは元から良くなかった顔色を更に青褪めさせていた。
「あれ⁉ ロータローさんが本当に死んでる⁉」
彼女の視線の先で転がっているロータローの胸には依然として大きな穴が開いている。それを含めて体中の至る所に散見される傷は、先ほどまで遅々と進めていた再生を止めていた。
マリィはてっきり、吸血鬼体質のロータローなら少しの休息をとれば、これだけの傷を負っても直ぐに回復するのだと思っていたが、実際はそんなことなかった。
ロータローに幾つも与えられた致命傷は再生しない。
再生しない以上、彼が復活することはあり得ない。
サトー・ロータローは完全に死亡していた。
あれだけ何度も流水の攻撃を受けていれば、こうなるのは当然だった。
「あ、あわわわわわ……ど、どうしましょう」
狼狽するマリィ。しかし彼女にできることなど何もない。
あんな大見得を切ったというのに、また自分は大切な物を守れなかったのか──と愕然しそうになる。
すると、彼女の頭上から音がした。
ひゅるるるるる。
落下音。
先の高波とは違い、人ひとり分くらいの質量が、遥か空高くから落ちてきている音である。
いや、落ちているのは人ではない。
炎だ。
人型の炎が真っすぐ落下してきたのである。
まるで小さな太陽が高速で没しているかの如き光景だ。
炎はマリィの傍に着地した際に大きなクレーターを形成し、ごうごうと燃焼音を立てている。
「あ、新手の敵……?」
には見えない。
見た目こそ暴力的なビジュアルをしているが、マリィの剣士としての感覚は目の前の炎から敵意らしきものを感じていなかった。
敵意どころか、見覚えのある雰囲気さえ感じる気が……。
炎は頭にあたる部分を動かして水浸しの周囲を見渡した後にロータローの亡骸を見下ろした。
「『あれ? 私の眷属っぽい立場にいる奴の命が危ない気がするぞ?』という朧げな感覚がしたから飛んできてみれば、まさか本当に死んでいるなんてね。呆れるわ」
「その声は……キロリッターさん⁉」
『シットローズ号』にて聞いた覚えのある声を耳にして、マリィは目を丸めた。
一度それに気づいてみれば、炎に包まれた体格や背丈はキロリッターのそれとぴったり一致している。
いや待てよ。
吸血鬼は日光の元を歩けないのではなかったのではないか?
先のヒヒオゥの津波攻撃でテントが崩れた今、マリィたちの周囲には日光が燦燦と降り注いでいる。
ロータローのような半吸血鬼ならともかく、真正の吸血鬼にとっては死地に等しき環境だ。
なのにどうして、キロリッターは平気でこの場に立っているのだろうか?
マリィがそのような疑問を抱くと、その心中を見透かしたのか、キロリッターは、
「全然平気じゃないわ」
と首を横に振った。
「『吸血鬼は日光を浴びると燃えて灰になって死ぬ』。これは最高の吸血鬼である私でも克服できない弱点だわ。だけど、完全に燃え尽きるまでの時間を少し延ばすことくらいならできる。長くても三分が限界だけど」
「…………!」
キロリッターの規格外ぶりに絶句するマリィ。
ここでロータローが生きていたら『いや、お前も相当な規格外だと思うぞ?』と突っ込んでいたかもしれないが、そもそも技量や鍛錬では説明が付かないレベルの超越をキロリッターは見せていた。
「というわけで、時間がないからとっとと済ませたいのよね。こいつが死ぬまでの状況は大体分かったわ。こんな水浸しな地面をみたところ、大方、戦った賊……あれ? そこで転がっている奴が着ているのって海上憲兵の制服じゃない? まあ、そこら辺の事情は今はどうでもいいわ……敵が流水を操る何らかの異能を持っていて、それで吸血鬼の生命力が弱まったところに致命傷が与えられた、って感じかしら?」
「はい。水の杭で背後からドスリと……」
「馬ッ鹿ねー。流水と杭って吸血鬼にとっては弱点に弱点を掛けているようなものじゃない。至高の吸血鬼である私みたいな力を持っているならともかく、ちょっと死ににくいだけの体で、吸血鬼では相性最悪な敵と戦うなんて、間抜けが過ぎるわ」
「でも、ロータローさんがそこまで体を張ってくれたおかげで、私はこうして体を取り戻……」
「あー、はいはい」 鬱陶しそうな口調で遮る。 「そういう感謝の言葉は、後でコイツが目覚めた時に言いなさい。私も今の五倍は文句を言うつもりだから」
「ええ、そうしましょう……え?」
あまりに当然のように言うものだからうっかり流してしまったが、今なんと言った。
『コイツが目覚めた時』?
そう言わなかったか?
「? 何を驚いているのかしら?」
キロリッターの顔は炎に包まれているので、その表情を窺い知ることは出来ないが、きっと眉でハの字を作っているのだろう。そんな推測が可能な言い方で喋りながら、彼女は首を傾げた。
キロリッターはロータローの死体の傍まで近寄ると、空中で腕を横薙ぎに振るった。その腕も、燃え盛る炎に覆われている。
次の瞬間、ロータローの体表を濡らしていた水は一気に蒸発した。それだけではない。キロリッターの周囲に撒き散らされていた水すらも一瞬の内に気体へと変じたのである。
考えてみれば当然の事象だ。
不滅の吸血鬼すら灰にして滅ぼす炎が、たかが水を一瞬で消し飛ばさない理屈がどこにあろうか。ましてや、今この場にいるのは、日光による焼死からすらも僅かな時間限定とはいえ生き延びられる至高の吸血鬼、キロリッター・トングラム・センチメンタルである。
そんな彼女が燃える腕を振れば、周囲から水気が消し飛ぶのは当たり前なのであった。
もしキロリッターが流水を司るヒヒオゥと対峙したとしても、この圧倒的な熱量をもってすれば、相性を無視した圧勝を成し遂げていただろう。
「ふふん、また借りが出来たわねロータロー。感謝しなさいよ。……はあ、まったく。どこの世界に餌に血を与える吸血鬼がいるのかしら」
いや、まあ、ここにいるんだけど。
そうボヤくと、キロリッターは左手で作った手刀で右手首の血管を切った。ダイナミックなリストカットである。
刻まれた亀裂から鮮血が溢れ、ロータローに浴びせられる。
すると、驚くべきことが起きた。
ロータローの体にさっきまであったはずの傷が、見る見るうちに消えていくではないか!
それは吸血鬼の再生力。死をも越える圧倒的な生命力の表れである。
「流水で再生力が弱まったから死んでいるんでしょう? だったら強くすればいいだけじゃない。もっとも、こんなことは私みたいに特別な吸血鬼でなければできないんだけど」
そう語るキロリッターの足元では、ロータローがビデオテープの逆再生のように再生している。
その一方で日光を浴びている彼の体が発火する様子は見られなかった。どうやら、ロータローは依然として半端な吸血鬼のままらしい。それだというのに、完全な死に至った状態から帰ってきていることから、彼の体にあるキロリッターの血がどれだけ特別なのかが分かるだろう。
「多分これで大丈夫でしょ。あ、ちょっとタンマ。頭がフラついてきたわ。もう限界かも。先に『シットローズ号』に帰るわね」
頭を抑えながらそう言うと、キロリッターはその場で膝を曲げた。
「ロータローはあと数分もすれば完全に復活するはずよ。そしたら『慈悲深いキロリッター様がわざわざ体を燃やしながらやって来て、血を恵んでくれた』と伝えておきなさい……あ、そうだ」
帰り際、キロリッターは思い出したように言う。
「体が戻って良かったわね、アンタ」
キロリッターは『とん』と地面を蹴った。たったそれだけの動作で彼女の体は消え去り、空高くまで飛んで行った。向かう先にあるのは、『シットローズ号』が泊まる港だろう。




